阪急沿線文学散歩

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原田マハさんの『おいしい水』に登場する夙川・芦屋川の桜並木

 夙川の桜も散り始めました。

 
 原田マハさんは関西学院に通っていたことからでしょう、学生時代の思い出をモデルにした小説に『おいしい水』があります。

 そこに阪急電車と夙川・芦屋川の桜並木の様子が描かれていました。

<あずき色の電車は、大阪・梅田から、私の住む西宮北口という駅を通って、神戸・三宮、新開地まで走っていた。特急ならば、西宮北口から三宮まで十分ちょっと。物足りなくて、私はしばしば普通電車に乗った。車窓から眺める風景が、何より好きだったのだ。
山側は北。海側は南。方向音痴の私でも、神戸では方角を間違えようがない。
毎週末乗るようになってから、この電車をデザインした人を尊敬するようになった。なぜなら、明るい緑の六甲山を背景に、夙川や芦屋の川辺の桜並木を抜けるとき、あずき色は風景に完全に溶けこんでいるからだ。>

夙川をまたぐ阪急夙川駅のプラットホームです。

夙川駅の一番近くにある桜は見事です。

夙川駅のプラットホームから見た夙川の桜。

わたせせいぞうさんのラッピング電車のイラストの夙川の桜も印象的ですが、原田マハさんならどんな感想を述べてくれるのでしょう。




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原田マハさんの思い出の桜が満開

 原田マハさんは1981年に山陽女子学園から関西学院大学に入学し、岡山から阪神間に出てきた時のことを次のように話されていました。

「憧れの神戸に来て、西宮と神戸の間の忘れられない風景があります。阪急電車で芦屋川を通った時に、桜がバーっと咲いていてるのが見えて、その車窓の風景に歓迎されているようで、自分の中では忘れられない青春の一枚の写真となって記憶に残っています。」

上の写真は阪急芦屋川駅のプラットホームから見える桜。
ようやく満開になりました。

 その桜満開の風景がもとになったのでしょうか、原田マハさんと関西学院時代からの友人をモデルとした、ハグ(波口喜美)とナガラ(長良妙子)の旅物語の『笑う家』で芦屋川沿いの桜並み木が描かれていました。
<もう一度は、私が芦屋へ行って、春爛漫の芦屋川沿いをそろぞ歩き、はらはらと風に舞い散る桜を全身に浴びた。お互いの住む町を訪ねる、こういう旅のかたちもあったのかと、不思議に新鮮だった。

 芦屋を訪ねたのは、この春のことで、実に三十年ぶりだった。最後に訪問したのは、ナガラがアパートに入居してすぐ、引っ越し祝いとお互いの就職祝いを兼ねて、フレンチレストランで祝杯を挙げたときのこと。>

ハグとナガラが祝杯を挙げたフレンチレストランとは、芦屋川沿いのベリーニをモデルにしたのかもしれません。イタリアンですが。

この時期、ベニバナトキワマンサクが見事な赤紅色の花を咲かせていました。


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 関学の正門の通りの桜もすごいと思います。

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/04/15 10:44:14 [ 削除 ] [ 通報 ]

マハさんの経歴は近いところで仕事をしながら、遠いと申しましょうか。凄いです。楽園のキャンパスとか何冊か本を読みましたが、やはり小説の世界にすると集中しますが、あり得ないでしょということになり、ついていけませんでした。

[ ふく ] 2017/04/15 10:58:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

モンセ分店薬局さん かんべむさしが『爆笑上ヶ原大学』でちゃかしていた「学園花通り」ですね。大昔ですが、高校の入学式の頃、桜がきれいだったのを覚えています。

[ seitaro ] 2017/04/15 11:33:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん 原田マハさんの自ら切り開いてこられた生き方には感服しています。トークも面白く、その後も何冊か読み続けています。

[ seitaro ] 2017/04/15 11:35:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

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芦屋の思い出が詰まった原田マハさんの掌小説『笑う家』

 ルナホールで開かれた「よみうり読書 芦屋サロン」の、いわば課題小説は『笑う家』。

 
 原田マハさんと関西学院時代からの友人をモデルとした、ハグ(波口喜美)とナガラ(長良妙子)の旅物語です。
 原田さんのお話によると、ナガラのモデルは、関学の同期生で、学生長屋に一緒に住んでいた友人。彼女は卒業後大阪の証券会社に就職し、原田さんは東京に行き離れ離れになっていたそうですが、原田さんが40歳で独立するタイミングに突然、旅に出ようと連絡してきたことから、その後も女二人旅が続いているそうです。

 ハグとナガラが登場する短編は、
1回目が短編集『さいはての彼女』に収められた「旅をあきらめた友と、その母への手紙」。

 修善寺の温泉へ一人で訪れたハグ。本当は、友達のナガラと訪れるはずだったが、急にナガラの都合が悪くなり、一人で来ることになり、ナガラのお母さんに手紙を書くという設定。

 2回目は『星がひとつほしいとの祈り』に収められた「寄り道」。
友人と行った白神山地をそのままプロットした物語。ハグとナガラは超晴れ女で、青森のねぶたと秋田の竿灯を見に男鹿半島へ来て、白神山地行きのツアーに参加したところ、黒いミニスカのスーツとハイヒール姿のミステリアスな女性に出会います。

 3回目は『あなたは、誰かの大切な人』に収められた「波打ち際のふたり」。

 学生時代の友人ナガラと年に4回ほどの旅行をしていたハグ。40を越えて多忙な毎日を過ごしていた二人が久しぶりに旅した先はナガラさんの故郷にほど近い赤穂でした。

 そして、今回登場するのが4回目の『笑う家』。
ナガラは、勤続三十年の証券会社で辞令が出て、梅田支店から八尾支店へと転勤となり、ハグは、認知症の母の介護のため、一人暮らしをしていた東京から郷里の姫路へと戻り、自宅でフリーの広告ディレクターを続けていたという設定です。
 この短編で、芦屋は次のように描かれています。
<もう一度は、私が芦屋へ行って、春爛漫の芦屋川沿いをそろぞ歩き、はらはらと風に舞い散る桜を全身に浴びた。お互いの住む町を訪ねる、こういう旅のかたちもあったのかと、不思議に新鮮だった。
 芦屋を訪ねたのは、この春のことで、実に三十年ぶりだった。最後に訪問したのは、ナガラがアパートに入居してすぐ、引っ越し祝いとお互いの就職祝いを兼ねて、フレンチレストランで祝杯を挙げたときのこと。>

原田さんの芦屋の思い出は、やはり関学入学時に見た、芦屋川の満開の桜だったようです。
 
 そしてこの短編の最後を飾るのは、私もよく訪ねた大原美術館。ハグとナガラが学生時代に最後に行ったふたり旅のことです。
 ナガラが大原美術館工芸館で見つけた作品は、蓋つきの小さな陶器の入れ物。青い家の絵が描いてあって、どうしても笑う家に見えたと、ハグに説明するのです。

<笑う家。ぴんときた。大正時代にイギリスから日本へやってきて、この国で陶芸家になったバーナード・リーチの作品だ。私もあの一点のほのぼのとしたあたたかさに心惹かれて、ポストカードを駆って帰ったのだ。だから、はっきり覚えている。>

 原田マハさんが「笑う家」と名付けた作品の正式名称は「鉄絵染付長屋門文筥」でした。
 最後は「女ふたり旅 またしよな」と互いに思いやるメールのやり取りで終わりますが、次の目的地は大原美術館になりそうだとも。

最近出版された『リーチ先生』も気になります。



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ハグとナガラの旅物語が収録されている3冊を図書館で予約しました。
「笑う家」が読売新聞に載ったのなら、図書館で読みたいと思います。
発行日が見えにくいのですが、10月16日(日)で合っていますでしょうか。

[ 西野宮子 ] 2016/11/14 22:30:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

はい。読売新聞10月16日(日)の朝刊です。

[ seitaro ] 2016/11/14 23:28:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

ご紹介くださり、ありがとうございました。
4作品とも読みました。
他の収録作品を読まず(読めず)に返却したのが心残りです。

[ 西野宮子 ] 2016/12/15 14:22:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

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原田マハさんが「よみうり読書 芦屋サロン」に登場

 11月4日芦屋ルナホールで、原田マハさんを迎え、「よみうり読書 芦屋サロン」が開催されました。


さすが読売新聞主催です。読書サロンが終わった会場の出口では、もう「原田マハさん自作を語る」と題して、写真入りの特別号外が配られていました。詳細は17日の読売新聞に掲載されるとのこと。


 原田マハさんが登壇されると、早速芦屋への思いを述べられました。
マハさんは1981年に山陽女子学園から関西学院大学に入学し、岡山からあこがれの阪神間に出てきた時のことを次のように紹介されていました。

「憧れの神戸に来て、西宮と神戸の間の忘れられない風景があります。阪急電車で芦屋川を通った時に、桜がバーっと咲いていてるのが見えて、その車窓の風景に歓迎されているようで、自分の中では忘れられない青春の一枚の写真となって記憶に残っています。」

何故夙川の桜ではないのかとも思うのですが、ここは芦屋ですから我慢しましょう。

 マハさんは1985年3月に芦屋ルナホールで開催された劇団夢の遊眠社の「白夜の女騎士」の観劇に来られたそうです。

「野田秀樹の夢の遊眠社の第一回関西公演がこの芦屋ルナホールであり、見に来ました。芦屋川沿いのモダンな建物、おしゃれな街。まさか30年後に私がそのルナホールのステージに立てるとは。」

 芦屋ルナホールだったらやりたいと、よみうり読書サロンを引き受けられたそうです。

10月16日の読売新聞に掲載され、今回のメインテーマとなった原田マハさんの掌小説『笑う家』については次回に。



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岡山弁の傑作小説・原田マハ『でーれーガールズ』

 関西学院大学時代は西宮北口に住んでいた原田マハ。『おいしい水』では80年代の神戸を舞台にしたラブ・ストーリーを著しています。
そして第25回山本周五郎賞受賞作『楽園のカンヴァス』では、最初に倉敷の大原美術館で、岡山白鷺女子高校に通う主人公の娘が登場します。その岡山弁が見事だったので、驚いて原田マハ公式サイトの自伝的プロフィールなるものを読ませていただくと、
<年東京都小平市に生まれる。小学6年生のとき、百科事典や美術書などのセールスマンをやっていた父の仕事の転勤によって、岡山へ。岡山市下井福に住む。岡山市立三門小学校、市立石井中学校を経て、私立山陽女子高校入学。フォークバンドを結成し、自作イラストつき恋愛小説、少女マンガを書くなど、かなり進歩的な10代を過ごす。>
http://haradamaha.com/profile/
と書かれており、岡山弁のうまさには納得しました。

『楽園のカンヴァス』で登場した岡山白鷺女子高校のモデルは、原田マハが卒業した山陽女子高校に違ないと思っていたのですが、その女子高生たちのラブ・ストーリー『でーれーガールズ』が2011年に刊行されていました。


 読んでみると、当然岡山弁がガンガン出てきて、ストーリー展開もTVドラマ向きだと思っていたら、昨年映画化されていました。

 主人公鮎子は、岡山白鷺女子高校の卒業生の中でも白眉の出世をとげた人気漫画家。
 創立百二十周年の記念講演に招かれますが、原田マハも高校時代は漫画なども描いていたそうで、主人公のイメージと重なってしまいます。

撮影は現在は取り壊された山陽女子高校の旧校舎のものだそうです。

私も長い間、倉敷で暮らしましたので、小説の中にも、映画にも懐かしい風景が広がります。

倉敷の美観地区。

懐かしい大手饅頭。

岡山駅の北側にある地味な奉還町商店街。原田マハさんもよく行った商店街だそうです。

小説でしばしば登場するのが、旭川にかかる鶴見橋。

「城下」という駅で降り、三分も歩けば旭川に到着する。そこに架かる「鶴見橋」。おおげさかもしれないが、死ぬまでにもう一度訪れておきたかった場所だ。橋の真ん中に、佇んでみる。大きく伸びをして、胸いっぱいに深呼吸する。なつかしい水のにおい。青空の向こうに岡山城がぽつんと頭をのぞかせている。
 自転車に乗った高校生らしき女の子たちが、ミニスカートの裾を風になびかせて、しきりに笑い合いながら、橋の上を駆け抜けていく。
 私は橋の欄干にもたれて、頭を巡らした。二十何年の時を超えて、いま、自分がこの場所に立っていることが不思議でならない。>

特に岡山を知る者にとって、小説も面白く、映画も懐かしいシーンばかりで楽しめました。岡山の観光ガイドにもなりそうです。

しかし、関西ではあまりヒットした様子がなかったのが残念です。



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原田マハは『おいしい水』で美しい神戸の風景を描きたかった

 関西学院大学に在学中は西宮に住んでいた原田マハさんの小説『おいしい水』の終章では、世界中の春をいっぺんに集めたような暖かな日、べべと私は神戸港の遊覧船に乗りこみます。

まるでワタセセイゾウさんのラッピング電車の絵のシーンのようです。
<汽笛がひとつ、悠々と鳴り響いて、船がゆっくりと水上へ出ていく。海の向こうに、はるかな街並みが浮かび上がる。常緑の六甲山が舞台背景のように街を包み込む。山麓に密集する住宅地。うろこ模様の異人館が見える。あの近くの坂道のいちばん上がべべのいちばん好きな場所だ。>

べべのいちばん好きな場所は、港見晴らし台でした。

遊覧船に乗って神戸港から見た神戸の街の風景が描かれています。

更に阪急電車も登場。
<「あ。阪急電車」あずき色の電車が、ずっと遠く、ビルのあいだを縫うように走っていくのが見えた。おもちゃの電車がジオラマの風景の中で動いているようだ。>
しかし、実際には遊覧船からは阪急電車は見えないような気がします。

<船は神戸大橋の下をくぐった。ポートアイランド沿いに走りながら、次第に沖へ出る。神戸の街が、少しずつ遠ざかる。水蒸気に霞んだ街を背景に立つ、紺色のまっすぐな背中。その背中が、ふいに屈みこんだ。>

 この遊覧船の最後となるデートで、べべは秘密を打ち明けて、去ってしまうのです。

 大学の新学期が始まる頃、ナツコさんから電話がかかってきて、三宮のコーヒーショップ「エビアン」で待ち合わせ、べべから預かったケースを渡されます。
<何百枚ものスライド。私は震える指先で、その中の一枚を取り出した。海の向こうに広がる、美しい街の風景。あの日、船の上で撮った写真だ。一枚一枚、取り出して見る。海岸通りの夕焼け、フラワーロードの並木、パン屋の店先。ああ、「エビアン」の緑色の椅子もある。ポストカードの並ぶ窓辺も。>


 きっと原田マハさんは、美しい神戸の街をロマンチックに描きたくて、『おいしい水』という作品を書き上げたのでしょう。

 やはり、神戸にはラブロマンスが似合う街でした。


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神戸でべべが一番好きな場所(原田マハ『おいしい水』)

 原田マハ『おいしい水』の主人公安西(私)は、原田マハと同じく、実家は岡山、父は普通のサラリーマン。
通っている大学のモデルも多分、原田マハの出身大学関西学院。

<私が通っていた大学は関西でも有数の名門校で、同級生は育ちが良くてわがままなお嬢さんばかりだった。友人たちが好んで訪れるしゃれたブティックやカフェは、いつも私を孤独にした。二年生になる頃、私はもう誰とも出かけなくなっていた。>
 小説と事実を混同してはいけませんが、ついつい原田マハの関西学院での暮らしぶりを思い描いてしまいます。

 さて、私(安西)は元町駅近くのコーヒーショップ「エビアン」でべべと知り合ってデートを重ねます。べべが私を連れて行ってくれた一番好きな場所とは。

<いちばん好きな風景、見せたろか。そう言って、べべは私をその場所へ連れてきてくれた。
トアロードから北へ、山の方角へずっと上がっていく。異人館が立ち並ぶ北野町界隈に出る。異人館通りを通って、東へ。緑色のよろい戸の異人館の脇を、急勾配の坂を上がる。うろこ模様の壁の異人館が見えてくる。息切れするくらいの坂道を上りきったところで、「振り向いてみ」とべべが言った。>

 おらんだ坂を登って行ったところのようで、宮本輝『花の降る午後』の舞台となった北野町のフランス料理店アヴィニョンのあたりでしょう。


下の写真はうろこの家からの眺望ですが、坂道を登りきって振り返っただけでは、次のような見晴らしは残念ながら広がりません。

< わあ、と私は自然に声を上げた。両腕をいっぱいに広げたように、街並みがなだらかに広がる。その向こうに、灰色の海が見える。ちょこんと突き出ている赤い突起はポートタワーだ。空中をあちこち指差して、私はひとりではしゃいだ。
「あそこがメリケン波止場やね。あ、あの先っぽの建物、ポートアイランドホテルやん。>
 きっと更に上にあがった、港見晴らし台(地図の赤矢印の位置)からの景色でしょう。

神戸の街を見晴らすデートコースといえば、一般的には金星台からヴィーナスブリッジ、諏訪山展望台だと思うのですが、原田マハさんはちょっと渋めのデートコースを選ばれていました。



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原田マハ『おいしい水』に描かれた阪急電車

 倉敷の大原美術館とスイスのバーゼル市立美術館が登場することから読み始めた『楽園のカンヴァス』の作者原田マハさん。原田マハ公式サイト「Naked Maha」のプロフィールを読むと、自伝が詳しく書かれています。
http://haradamaha.com/profile/
 以下は多公式サイトから、彼女の多彩さの謎が解ける自伝からの引用ですが、関学に在学し、西宮に住まれていたようです。
<1981
関西学院大学文学部入学。当初、ドイツ文学科に所属したが、あまりにもドイツ語ができなくて日本文学科に転科。おかげで、明治―現代の代表的な小説をほぼ読破。就職活動の足しになればと、4年生のときにグラフィックデザインの専門学校に通う。のちに、阪神大震災で崩壊する運命となる西宮のアパートで、友人と共同生活を送る。このころ、その友人と共著で、少女マンガ「ロマンチック・フランソワ」を「りぼんまんが大賞」に投稿、最終選考に残るもあえなく選外に。実家は大学1年のときに、岡山から東京へ移住。
1985
関西学院大学卒業。卒論は「谷崎潤一郎:痴人の愛」。就職先がみつからなかったので、そのまま西宮に居残り、バイトをしながら専門学校を卒業。>

 その頃の経験を背景に、神戸を舞台とした19歳のほろ苦い恋のお話『おいしい水』を書かれています。

 その冒頭は、土曜日の朝、西宮北口から阪急電車で三宮に行くシーン。
<あずき色の電車がゆっくりとホームに入ってくる。車内の黄緑色のシートが、あっというまに着ぶくれた人々で埋まる。はしゃぐ子供たちは、王子公園で降りて動物園に行くのか、それとも三宮からポートピアランドに遊びにいくのだろうか。車両の真ん中あたり、北側のドアの前が私の定位置だ。窓に寄り添って立つと、反対側のドアが閉まる。>

まるでラッピング電車の景色を語っているようです。

<あずき色の電車は、大阪・梅田から、私の住む西宮北口という駅を通って、神戸・三宮、新開地まで走っていた。特急ならば、西宮北口から三宮まで十分ちょっと。物足りなくて、私はしばしば普通電車に乗った。車窓から眺める風景が、何より好きだったのだ。山側は北。海側は南。方向音痴の私でも、神戸では方角を間違えようがない。そんな大らかな地図のような街が、大好きだった。>

 景色を楽しむため、西宮北口駅に入ってきた特急ではなく、この普通電車に乗ったようです。

 原田マハさんは岡山の山陽女子高から関西学院に入学し、西宮にやってきます。関西学院大学のホームページを見ると、次のような学生時代の楽しいお話が掲載されていました。

<―入学してどうでしたか?
 夢のようでした。上ケ原の小さな下宿に住んでいたのですが、それもいい経験でした。そのときに仲良くなった友達とはいまだに仲良くしています。限られた仕送りやアルバイト代の中で生活していましたし、どちらかといえば苦学生でしたが、自分が憧れていた場、舞台にいるという思いが強かったので、苦労を苦労と思いませんでした。関学にいるということ、それだけで嬉しかった。単純な18歳だったかもしれませんね。今思えば一体何を勉強していたんでしょう?(笑)>
上ケ原の下宿から西宮北口の近くに引越しをして、岡山時代の友人とルームシェアをしていたことも述べられています。
http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_005190.html

『おいしい水』に戻りましょう。
<高校生の時、大学の下見で初めてここにやってきて、この電車に乗った。電車といえばオレンンジ色や水色の明るく目立つ色、というのが子供の頃からの概念だった。あずき色の電車を一目見て、なんて野暮ったいん、と思った。
 でも、毎週末乗るようになってから、この電車をデザインした人を尊敬するようになった。なぜなら、明るい緑の六甲山を背景に、夙川や芦屋の川辺の桜並木を抜けるとき、あずき色は完全に風景に溶け込んでいるからだ。冬の枯れ木立のあいだにも、この色はしっくりくる。三宮のデパートのネオンですら、この電車によく映えていた。>

写真は甲陽線ですが、桜並木に阪急電車が映えます。

 関西学院に入学し西宮にやってきて、バイトをしながらグラフィックデザインの専門学校にも通っていた原田マハさん。その間に、すっかり阪急電車ファンになられたようです。




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原田マハ『楽園のカンバス』バーゼル市立美術館と「詩人に霊感を与えるミューズ」

 原田マハ『楽園のカンバス』はソルボンヌ大学院時代は天才的ルソー研究者だった早川織絵(現在は大原美術館で監視員を務めている)と、同じくルソー研究者でニューヨーク近代美術館のキュレーターであるティム・ブラウンが、1983年のある日スイス・バーゼルにある伝説的な美術商コンラート・バイラーの邸宅に招かれ、ルソー最晩年の大作『夢』とほとんど同じ内容の作品『夢をみた』の真贋を鑑定するというアート・ミステリー。

小説のカバーに使われている絵が、ルソーの『夢』です。

『楽園のカンヴァス』第三章から第十章まではバーゼルが舞台で、当然先日訪ねたバーゼル市立美術館も登場します。
 私は「ハウルの動く城」の街のモデルとなったフランスのコルマール観光のあと、バスでバーゼルに向かいました。

バーゼルはスイスといっても地図でわかるように、フランスとドイツの国境近くの街。

スイスは何故かEUに加盟していないので、入国時は珍しく検問がありました。

その後ライン河に架かるヴェットシュタイン橋を渡ってバーゼル市立美術館へ。

 バーゼル市立美術館は、市がバーゼル大学のために当時の有力者アメルバッハ家から買い入れたコレクションをもとに、1671年に開設された世界で最も古い公共美術館。ルネサンスから現代に至るまでの西欧絵画の歴史がコンパクトにまとまって展示されている素晴らしい美術館でした。2013年には『The Times』で「世界ベスト美術館」の第5位に選ばれたそうです。

『楽園のカンヴァス』では次のように描かれています。
<美術館の入館口は、表通りから中庭を通ったところにある。一階のロビーに入ると、正面に見えるゆったりとした主階段が一階から三階まで続き、各階の広々としたロビーにつながっている。ロビーの左右に展示室への出入り口があり、中庭をぐるりと囲んで回遊できる設計になっている。クラシックな内装と相まって、十七世紀にはすでに美術館として公開されていたこの館の長い歴史が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。>

この噴水の向こうに見えるのが美術館です。

ここが表通りに面した入り口。

中庭の向こうが入館口になります。左手の作品は、ロダンの「カレーの市民」で国立西洋美術館にもあります。
今年の4月に、1年ほどの閉館期間を経て、新館を伴いリニューアルオープンしたばかりとのことですが、内部の様子は小説に描かれているとおりでした。

 そしてバーゼル市立美術館のルソー作品も紹介されています。
<ルソーが数多く描いた肖像画の中でもっとも卓越した名作のひとつ「詩人に霊感を与えるミューズ」。一九〇九年、死の前年に創作したものだ。極貧の生活の中、不運だった画家を見出した詩人、ギョーム・アポリネールと、その恋人画家、マリー・ローランサン。いつも何かとルソーの面倒を見ていた若き友人アポリネールは、三百フランでこの絵を買い取った。この作品にまつわる、いくつかのおもしろい逸話が残されている。友の肖像を正確に描こうとするあまり、ルソーはポーズをとるアポリネールの全身を巻き尺で測った。目や鼻や口の長さまで測ったという。それが原因だろうか、画中のアポリネールの姿の不自然なこと。ぎくしゃくした立ち姿は、かえって詩人をほのぼのとした容貌に見せている。>

(バーゼル市立美術館所蔵)

 この「詩人に霊感を与えるミューズ」はもう一枚存在して、プーシキン美術館にあります。
<実は、ルソーは最初にこの花を描いたとき、間違ってニオイアラセイトウを描いてしまった。詩人を象徴する花はカーネーションでなくてはならないので、「もう一度すべて書き直す」と、ルソーは同じ構図の絵をもう一枚描いたののだ。最初に描いたニオイアラセイトウの「失敗作」は、モスクワのプーシキン美術館に所蔵されている。絵の一部分だけを描き直すなどということができない、ルソーの生真面目さが現れているエピソードだ。>

(プーシキン美術館所蔵)

この二枚の「詩人に霊感を与えるミューズ」が実在することが、『楽園のカンヴァス』のテーマになっている、ルソー最晩年の大作『夢』とほとんど同じ内容の作品『夢をみた』の真贋を鑑定するというストーリーの構築のヒントとなったのでしょう。

 ところで、二枚の「詩人に霊感を与えるミューズ」にまつわるお話は有名らしいのですが、上のニオイアラセイトウの写真と見比べても、私にはプーシキン美術館所蔵の絵に描かれた花は、どうしてもカーネーションに見えてしまいます。



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倉敷、バーゼルを舞台にした原田マハ『楽園のカンバス』大原美術館

 バーゼル市立美術館を訪問する機会を得たので、読みだしたのが原田マハ『楽園のカンバス』。主人公は私の長らく住んだ町、倉敷にある大原美術館で監視員を務める早川織江で、思わず引き込まれました。


それに原田マハさんはインタビューで、
<この作品を読んでMoMAに行きたいとか、大原美術館に行きましたっていう方が1人でも増えればいいなと。そうやって皆さんの潜在能力を引き出すお手伝いができたら、うれしいですね。大原美術館を舞台にしたのも、美術館のある倉敷を世界に冠たる文化都市ということで押し出したいという気持ちもありました。>
と倉敷の応援も、して下さっているのです。

 第一章パンドラの箱2000年倉敷では何度も行った大原美術館の解説が書かれていました。

<織江が務める美術館、大原美術館は、中国地方はもとより日本屈指の西洋美術コレクションを所蔵することで知られる。明治期より紡績会社を営んで財を成し、日本美術の蒐集家でもあった大原孫三郎が創設者である。孫三郎は、友人で画家の児島虎次郎の渡欧を支援し、虎次郎は制作のかたわら、孫三郎のためにヨーロッパの美術作品を蒐集した。そのときに集められた作品群が、美術館の収蔵品の中核を成している。エル・グレコの「受胎告知」はパリの画廊で虎次郎に発見され、虎次郎はこの絵の写真を孫三郎に送って購入のための送金を依頼したという。一九二二年のことだ。
 織江は、いつも「受胎告知」の前に立つたび、七十八年まえのパリ、とある画廊の薄暗い一室にこの作品が飾られていただろう場面を想像する。そして、そこへ偶然歩み入ったひとりの東洋人画家、その慧眼に感謝したい気持ちになる。>

上の写真は児島虎二郎記念館。

 そして「受胎告知」について、次のように説明されています。 
<さて、今度はエル・グレコの描いた聖画と向き合う時間だ。
縦長の画面には荘厳な輝きが満ちている。舞い降りる金髪の天使、稲妻のようにまばゆく突き刺す天上の光。幸いなる人よ、主があなたとともにある −天使ガブリエルの言葉に戦慄するマリア、その美しく歪んだ顔。けれどどこかその瞬間を待ち構えていたような堂々とした姿勢。もう何百回、その顔をみつめ続けてきたことだろう。もう何百時間、処女懐胎などという人類の夢想に向き合い続けてきたことだろう。>


さらに白鷺女子高校の生徒の見学場面では、
<注意するのをあきらめて、美術担当らしき女子教諭が控えめに説明を始めた。
「この作品が、エル・グレコの『受胎告知』です。エル・グレコはどこの画家か知っとる?わからん?スペインの画家じゃね。これは一六〇三年に完成したということじゃから、いまから四百年も前のことなんよ。そんな昔むかしの絵が、いま、みんなの目の前にあるんよ。なあ、すごいと思わん?」>
見事な岡山弁で書かれており、私にはイントネーションまでわかります。

原田マハさんの略歴を調べると、
<1962 年東京都生まれ。東京都在住。中学、高校時代を岡山市で過ごす。 関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。 伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなり、2006年より作家となる。2005年『カフーを待ちわびて』で第一回日本ラブストーリー大賞受賞。2012年『楽園のカンヴァス』で第二十五回山本周五郎賞受賞。>
とあり、その経歴は華麗で、自分のやりたいことをやり通すという、活動的な女性です。

 原田マハ「naked Maha」http://haradamaha.com/ ホームページにはプロフィールの項目に「自伝」と題して、詳しく年譜が記されています。それによると、
<小学6年生のとき、百科事典や美術書などのセールスマンをやっていた父の仕事の転勤によって、岡山へ。岡山市下井福に住む。岡山市立三門小学校、市立石井中学校を経て、私立山陽女子高校入学。フォークバンドを結成し、自作イラストつき恋愛小説、少女マンガを書くなど、かなり進歩的な10代を過ごす。>
とあり、小説に出てくる白鷺女子高は山陽女子高がモデルかと思ったり、娘の真絵は原田マハさん自身をモデルにしたのかと思ってしまいました。
これで岡山弁を自由に操っているわけがわかりました。

 キュレーターの資格まで取っておられる原田マハさんの小説を読みながら次回はバーゼル市立美術館へ。


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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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