阪急沿線文学散歩

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「かんさい熱視線」で放映されたアドベンチャーワールドのパンダ子育て

 年末に訪れた白浜温泉、二日目はアドベンチャーワールドへ。

2016年9月18日に生まれたパンダの赤ちゃん「結浜(ゆいひん)」が公開されていました。
「結浜」という名前には「大切なものを結びつけ未来を創る」という願いが込められているそうです。

そして、1月6日(金)のTV番組「かんさい熱視線-NHK」で「パンダ子育て 密着100日“主役は母と子” 白浜方式」が放映され、見て来たばかりの結浜の誕生物語を知ることができました。

ジャイアントパンダの赤ちゃんの結浜と、母親の良浜。
今、世界にいるジャイアントパンダの数はおよそ2000頭で、各地で繁殖に向けた取り組みが行われ、その中で、和歌山・白浜町のアドベンチャーワールドが高い実績を出しているそうです。

 母親の愛情をたっぷり受けた子は、自分も上手に子育てができると考え、できるだけ多くの時間を母子で一緒に過ごさせ、お互いの絆を深めていく白浜方式で成長したジャイアントパンダの赤ちゃん。
生後12日まではパンダ模様もありません。

 首都圏では上野動物園のパンダばかりが注目されていますが、和歌山のアドベンチャーワールドと兵庫の王子動物園でもパンダは飼育されていて、特にアドベンチャーワールドでは、10頭前後のパンダが住まう状態が維持されています。
今回のかんさい熱視線は首都圏でも放映してもらいたい充実したお話でした。

年末に訪れたときの写真です。




もうひとつ感動的だったのはマリンワールドでのイルカショー。

イルカの演技も大したものですが、イルカと一緒に泳ぐ飼育員たちの姿は、あれほど人間とイルカが一体になれるのかと驚かされます。




 アドベンチャーワールドはもともと1978年のオープン当初は「南紀白浜ワールドサファリ」という名称で、現在も広大なサファリゾーンでは、1周約1500m(約25分)の列車型牽引バス「ケニア号」で周遊させてくれます。


 多くのテーマパークが苦戦している中で、アドベンチャーワールドは一流のノウハウを持って善戦していると感じました。



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宇江敏勝『白浜温泉の怪』から「白良浜」

 大正時代までは白浜温泉という名はなかったそうです。湯アが由緒ある温泉だったのですが、大正時代には白良浜土地建物株式会社の温泉の掘削が始まり、昭和4年の昭和天皇の行幸により白浜温泉の名は確固たるものになったそうです。

 今回私が宿泊したのは「ラフォーレ南紀白浜」でしたが、その部屋から見える白良浜の景色はアニメヤマノススメセカンドシーズン第19話「宿題が終わらないよぉ」でひなたが白浜に旅行した宿泊先の窓からの景色とそっくりでした。



 最上階の浴場からの眺めも素晴らしく、180度に広がる熊野灘の眺めが楽しめます。



 宇江敏勝『白浜温泉の怪』では、白良浜の伝説がいくつか紹介されています。
<河童の伝説も残っている。ほかにも似たようなはなしがあるかも知れないので、端折って紹介しよう。むかし白良浜にはゴウラ法師(河童)がいて、湯ア温泉へ行く客に悪さをして困らせた。そこで彦左という力の強い男が相撲をとったのである。彦左はゴウラの首をよこにねじ曲げて、皿の水をこぼしたので勝つことができた。ゴウラは、どうかかんべんしてください、こいからはぜったいに悪さはしやせんさかい、と命乞いをした。そこで彦左は、今後はけっして浜へはあがらないと約束をさせ、万が一、白良浜の砂が黒くなり、沖の四双島に松の木が生えることがあったら、そのときは浜へあがってもよい、と言って放してやった。>


<ゴウラ法師はなんとか浜へあがりたいと考えて、白良浜の砂にたびたび炭をぬろうとしたが、すぐに波に洗われて白くなってしまう。また四双島に松を植えてもみたが、たちまち波に流されるので、いまも砂浜にはあがれないでいる、というのである。>

確かに写真矢印の四双島に松の木が生えるとは思えません。

<白良浜はいまでは浅い平坦な砂地だが、かつては砂丘のように大きくもりあがっていたという。その微粒の雪白珪砂がガラスの原料として売れるようになったのは明治二十三年である。帆船に積んで大阪や尼崎の工場まで運ぶようになり、以後そこからの収入により村の経費のほとんどがまかなわれた。>
今も真っ白な砂浜が広がる白良浜です。

冬は海水浴客もおらず、ゆっくり美しい白良浜の散策を楽しむことができました。


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宇江敏勝『白浜温泉の怪』から三段壁

 年末の白浜ドライブで雄大な水平線と景色を楽しむことができました。特に印象に残ったのは千畳敷、三段壁の風景。宇江敏勝『白浜温泉の怪』でも、次のように登場します。

<湯崎からなだらかな坂道を登ったところの千畳敷や三段壁は観光客には見逃すことのできない名所である。>

早速行った千畳敷、パノラマ写真でもわかるように、太平洋の水平線が丸く見えます。
<千畳敷は海に突き出した岩場が畳千畳も敷くほどの広さがあるとの形容で、ところどころ人の背丈より低い木や茅が生えている。岩場は南へと続いて、ひときわ高く断崖絶壁になっているのが三段壁である。>

<見わたすと複雑な形状の巨石と、そこに突きあたって散る波のしぶき、さらに南西に広がる熊野灘の雄大さと、四季により日々による変化は人々を飽きさせない。>

述べられている通りの光景。展望台から下を見ると足がすくみます。
晴れた翌日にもう一度行ってみました。

 ガイドブックにも書かれておらず、何の説明もない「口紅の碑」という看板がありました。

<口紅の碑、といわれるものは三段壁の上にかぶさった平たい岩場にある。断崖の先端に近く、灌木の繁みの中に人の背丈ほどの岩が海に向かってななめに立っている。そこには次のように刻んだ文字を読むことができる。「白浜の海は今日も荒れている。1950.6.10 定一貞子」すなわち昭和二十五年、若い男女が投身自殺する直前に口紅でもって書きつけたもので、死を哀れんだ者がそのまま彫刻にしたのだといわれている。>

<二人は堺市で家族とともに暮らしていた。二十二歳の定一は父親の実子、十八の貞子は後妻の連れ子であった。その血のつながらない兄妹が恋におち、しかも定一は胸を病んで明日もしれない命、というのが心中を決意させた理由と言われている。>

 しかし、『白浜温泉の怪』「三段壁」で紹介される話はこれとは関係ないと断って、次の話に移ります。
<口紅の碑から四、五十メートル山手には生ぬるい湯がわずかに湧き出ていて、灯明の湯と呼ばれている。いまではホテルや土産物屋が立ち並び観光客が散策しているが、これも昭和になってからの風景である。かつてはすぐ背後まで森がせまり、人影もほとんどなかった。ただ海のよく見える岩場に沖合の船をみちびく灯明台と粗末な小屋だけが建っていた、というのは幕末のころまでのはなしである。>
 灯明の湯というのがあったのは、昭和の頃のようですが、現在行ってますと足湯ができていました。

次のように「灯明台温泉」という掲示がありました。
源泉名 灯明台温泉
泉  温 54.0 度
泉  質 ナトリウム ー 塩化物温泉
知  覚 微弱黄色燈明にて無臭、弱塩味を有する
pH 値  7.2
湧出量 202  L / 分

 そこで灯明番を務めていた南常楠が天狗につれてこられたように、林に倒れていたサキと知り合います。
<秋の夕暮れどき、常楠とサキは三段壁の岩のはなにならんで座り、海を眺めていた。波はおだやかで、潮の紺碧の色にも濃淡があり、岩には白い波がたっている。沖合には五、六艘の帆掛け船がまるでじっと停まっているかのように見える。やがて瀬戸の沖は夕陽を浴びて茜色に染まってきた。波はこまやかに輝きながらいっそう色濃くなっていった。まわりの草のかげでは虫たちがざわめいている。二人は黙ったまま、どちらからともなく手を重ね合わせていた。>

灯明台は慶応三年になくなり、常楠とサキの夫婦は子宝にもめぐまれ仲睦まじく暮らし、昭和のはじめまで生きていたという、「白浜温泉の怪」の中では唯一心温まるお話でした。



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宇江敏勝『白浜温泉の怪』から京都大学白浜水族館の怪とその後

 番所山公園、南方熊楠記念館、京都大学瀬戸臨海実験場(水族館)などがあるあたりを臨海と呼ぶそうですが、そこにまつわる怪談がありました。番所山の歴史もよくわかります。


<番所山というのは海岸から一段あがった丘陵地帯で、藩政時代には紀州徳川家の別邸と番所があった。番所は狼煙台もそなえて外国船を見張ったのである。また沖では鯨を獲ったが、紀州藩としては捕鯨にかこつけて水軍の調練もしたといわれている。湯治のためとした殿様の別邸は幕府の眼をくらます擬態だったのかも知れない。>


 瀬戸内海に入ろうとする外国船を見つけた時は、この番所山の見張り台から狼煙を上げて和歌山城まで知らせたのでしょう。

<だがあたりには民家はなく、岩山のあいだに荒地とわずかな畑があるだけであった。岩山のあいだに荒地とわずかな畑があるだけだった。そこに京都大学瀬戸臨海実験所の設置が決まったのは、大正十年二月のことである。>

大正時代まで遡る施設だったとは知りませんでした。

 その土木工事が始まったときに、地下に多くの人骨が見つかります。
<年寄りたちに見てもらうと、古くは安政元年の大地震による津波で流れ寄った死体もあるはずだが、七十年余りも前のことはよくわからない、と言う。明治二十二年の大水害のときの死体は、たしかに自分たちの手で葬ったが、船の遭難による犠牲者もいるはずで、とにかくこのあたりは潮の加減でいろんなものが漂着する場所なのだと、と話した。>


 建設工事中色々な事故が続き、大正十一年六月に予定していた竣工式も延ばさざるをえなくなり、学問の府である京都大学の関係者もさすがに驚いて、供養しようということになり、無縁仏施餓鬼法要を丁重に行ったそうです。
<開所式が盛大に挙行されたのは一か月後の大正十一年七月末のことである。水族館の無料公開、相撲大会、餅まきなどがあり、おおぜいの人々で一日じゅう賑わった。それからは何事もおこることはなく、過去のいまわしい出来事はさっぱりと忘れられた。>


現在も結構人気のある水族館です。


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宇江敏勝『白浜温泉の怪』の舞台巡り、まず番所山公園へ

 昨年末に行った白浜温泉のお話を続けます。今回はJRトクトク切符で申し込んだおかげで、駅レンタカーのアクアが24時間3200円で借りれるお得なセットで、白浜の絶景ドライブを楽しんできました。

白浜駅でレンタカーを借りて、まず向かったのが2014年4月にオープンしたという番所山公園。


 番所山に登る前の海岸線から見えてきたのは円月島。打ち寄せる波でできた真ん中の海蝕洞が満月のように見えます。


 番所山には南方熊楠記念館もあるのですが、残念ながら現在改装工事のため閉館中でした。

「名探偵コナン」で随分前に、「南紀白浜ミステリーツアー」が放映されました。そこで登場する南方熊楠記念館。

入り口に描かれている大きなヤシの木は今も健在です。この入り口が番所山公園への入り口になっています。

当時はまだ番所山公園が開園されていなかったようで、「名探偵コナン」ではトンネルは閉ざされていましたが、今回はこのトンネルを通って、展望台へ。


園内には十二支のモニュメントが設置されています。


展望台では360度の素晴らしい展望が開け、太平洋の丸い水平線が実感できました。




『白浜温泉の怪』に登場するのは、展望台から岩礁のように見えている四双島のお話し。

現在は写真のように夜間用に白い小さな灯台が設置されています。
<瀬戸のアノ浜の沖には四双島という岩礁がある。手前の円月島ほどには一般に知られていないが、ときおり船が座礁する難所であった。また春には鯛がよく釣れるので、漁師たちにとってはなじみ深い漁場だった。>

潮の満ち干で見え隠れするのではないでしょうか。航空写真でははっきりわかります。

<その時も四双島のまわりには、鯛の一本釣りの小船が十数艘もならんでいた。空はどんよりとくもって、なんとなく生温かいような風が、かすかに頬を撫でる夜であった。
 ふと北西の日ノ岬の方角から、赤い火の玉のようなものがこちらへ向かってくる。幽霊船だ、と漁師たちは恐怖におびえて顔を見あわせた。それまでにも四双島の付近で出会った者がいたのである。>
 ガイドブックでは四双島については触れられていませんが、昔はこのあたりで座礁する船が多くあり、このような怪談が生まれたのではないでしょうか。



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和歌山良いですね〜〜^_^

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/01/03 23:44:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

今回の白浜は二度目なのですが、冬で渋滞もなく、くまなく廻る事が出来、素晴らしい景色と温泉、ついでに怪談を楽しんできました。

[ seitaro ] 2017/01/04 6:06:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

『kobecco』に協力されたのですね。まだ本誌は届いてませんが、読ませて頂きます。
https://kobecco.hpg.co.jp/7621/

[ akaru ] 2017/01/04 8:22:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

はい。ニテコ池の案内をさせていただきました。とりとめないお話をさせていただいたのですが、さすがプロでうまく纏められていたので驚きました。本年もよろしくお願いいたします。

[ seitaro ] 2017/01/04 9:40:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

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宇江敏勝の民族伝奇小説集『鹿笛』より「白浜温泉の怪」

 宇江敏勝の民族伝奇小説『鹿笛』に収められた「白浜温泉の怪」は、白浜の民族、風ゾクを怪談を交えた物語にしたもので、白浜の歴史を知るうえで、民俗学的な価値さえ感じさせる短編集でした。

 白浜のガイドブックだけでは知ることができない歴史を紐解いてくれます。
<そもそも大正時代までは白浜温泉という名前はなく、温泉は鉛山(かなやま)村と呼ばれた湯崎にしかなかった。
湯アといえば千三百余年まえの『日本書紀』に、紀温湯(きのゆ)または牟婁温湯(むろのゆ)として登場する。すなわち西暦六百五十八年十月十五日、斉明天皇は紀温湯に行幸されたのである。>
と日本書紀にまで登場する歴史ある温泉だったそうです。

(地図中の赤矢印が湯ア)

<湯崎と呼ばれるようになっていた江戸から明治時代にかけては遠来の湯治客で賑わったという。『紀伊続風土記』は、幕末の頃には村中の七十戸ほどはことごとく旅舎を営んでおり、飲食や遊戯や歌舞音曲などの賑わいはまるで都会のようだ、と書いている。>
 湯アは白良浜の南側に位置しますが、この日本最古の湯アの温泉で、今も外湯としてだれでも入れるのが崎の湯です。

ホテルから撮影した写真。太平洋にせり出した先端の部分にアの湯があります。(赤矢印)
そしてその赤矢印のあたりの水平線に夕日が沈んでいくのです。

行ってみると、結構次々と車でやってきます。

「白浜温泉の怪」には「崎の湯」と題した怪談も収められています。
湯アに住んでいた豆屋逸八という猟師が、猟で魔性のものを撃つのですが、湯アに帰ってから崎の湯へ出かけます。
<逸八はアノ湯へ出かけた。あたりは海に突き出た岩場である。そそり立った崖の下から波打際にかけて、でこぼこの荒い岩が重なり、あいだの一ヵ所が大きくくぼんで熱い湯が湧き出ている。ゆたかな温泉の煙は海上を行く船からもよく見えるという。紀温湯と呼ばれて、遠い昔、斎明、持統、文武の天皇たちが沐浴したのもここだといわれていた。
 逸八はくたびれた躯を熱い湯に沈めていた。寒くて強い風が吹くせいか、ほかに人影はない。彼方には白良浜の松並木から瀬戸にかけての湾曲した浜が見える。西の方角に広がった大海原もくすんだような色にくれようとしている。そこかしこの岩礁には波がしらが白く散っていた。またひとしきり冷たい風が吹いて、崖の上の立つ松の梢が音をたてた。
 逸八がふと気がついてみると、いつのまにか男が一人向こうのほうで湯につかっていた。>

崎の湯は岩場にあって、絶景の海景色でした。

 最後まで書けませんが、そこからぞっとする話になるのです。
宇江敏勝の「白浜の怪」は怪談を楽しみながら白浜の歴史を学ぶことができます。


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西村京太郎の『振り子電車殺人事件』を読みながら南紀白浜へ

 年末に英気を養おうと思い立って、白浜温泉に一泊旅行に行ってきました。いつも通り数冊の小説を抱えていきましたが、新大阪午前9:03発の「くろしお3号」に乗って読みだしたのが、西村京太郎『十津川警部捜査行 古都に殺意の風が吹く』に収めれた「振り子電車殺人事件(南紀白浜)」。

 2006年に刊行された本ですが、そこには特急「くろしお」について次のような説明が為されています。

<「国鉄の特急列車」という本によれば、L特急「くろしお」は、やはり、黒潮のことで、曲線の多い紀勢本線で、スピードアップをはかるために、昭和五十三年十月から、381系振り子電車が投入され、地方幹線としては類を見ない表定速度八十キロを達成したと書かれてあった。「くろしお」の写真ものっている。クリーム色の車体に、赤い横の帯が入っていて、波頭の図案のところに「くろしお」という字の入ったヘッドマークをつけた特急電車である。>

 特急「やくも」で揺れを経験している振り子電車ですが、今回の「くろしお」は乗っている感覚は、それほど揺れず快適でした。

それもそのはず、調べてみると2015年10月から特急「くろしお」に、新型車両の「289系」を導入し、約40年前から運用してきた振り子式電車の「381系」の運転を終了したそうです。

 381系は、車体と台車の間に「コロ」と呼ばれるローラーが組み込まれているのが特徴で、カーブ区間では振り子のように車体が傾くことにより高速で走行することができます。

http://www.toretabi.jp/train/vol08/01.html


 小説の中では最初、<(一度、乗ってみたいものだ)と思う反面、振り子電車だろうが、殺人には関係ないなとも思った。振り子電車だからといって、殺人がやり易いということはないだろう。>と書かれているのですが、被害者は初めて振り子電車に乗って気分が悪くなったことが、犯人につけいる隙を与えていました。

 ストーリー展開は、いつもの西村京太郎の時刻表ミステリー。被害者のダイイング・メッセージ「下りの −グリーン車の男」がポイントなるのですが、ここで面白いことを知ったのが、紀勢線の「のぼり」と「くだり」の呼び方。

天王寺駅から和歌山に向かう阪和線は「下り」ですが、紀勢線を通る「くろしお」は「上り」が正しい呼び方になっているのです。

<紀勢線を走る「くろしお」というように思っていたが、正確には、阪和線と、紀勢本線の二つの線区を走るのである。その阪和線のページを見ると、天王寺から和歌山へ向かう電車の列車番号が、すべて、奇数になっている。国鉄では、下りを奇数、上りを偶数で表しているから、これは、明らかに、下りの列車なのだ。同じく天王寺から、白浜、新宮に向かう「くろしお8号」は、偶数だから、これは明らかに、上りであることを示している。>
と小説では述べられていました。

 現在の時刻表を確かめてみると、更に面白いことがわかりました。
現在の「くろしお」は京都または新大阪が始発駅となっており、東海道線・環状線・阪和線・紀勢本線を通ります。
 西村京太郎が述べているように、京都・新大阪から白浜・新宮に向かう「くろしお」は「上り」となっています。

しかし、列車番号は、奇数が充てられており、「下り」を示す列車番号になっているのです。

「振り子電車殺人事件(南紀白浜)」が発刊された当時は、天王寺始発の「くろしお」の列車番号は偶数だったようですが、現在は奇数に変わっています。これは、「くろしお」の始発駅が天王寺から京都・新大阪に変わった頃に変わったのかもしれません。
 これを見ると、現在の「くろしお」は「上り」と「下り」の特性を持った、特異な列車となっているようです。

上の写真は紀勢線を走る「くろしお」の車窓から撮影した熊野灘。新大阪から約2時間半、もうすぐ白浜に到着です。


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西村京太郎の作品は昔よく読みました。
seitaroさんが読まれるとは思いもしませんでした。
いつも旅行には旅先にまつわる小説を持って行って読まれるのですか。

[ 西野宮子 ] 2016/12/29 20:49:58 [ 削除 ] [ 通報 ]

推理小説も好きなのですが、最近は遠のいておりました。旅先の本を読むと、ガイドブックだけではわからないお話があり、興味がわいてきますよ。

[ seitaro ] 2016/12/31 7:20:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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