阪急沿線文学散歩

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香櫨園の鴨居羊子邸は?そして珠玉のエッセイの解説は早川茉莉さん

 鴨居羊子コレクション2『のら犬・のら猫』に収められた「のら猫トラトラ」には、鴨居羊子さん直筆の昭和30年ごろの香櫨園附近の絵地図が掲載されています。

それを見ると、芦屋に移る前まで住んでいた香櫨園の鴨居邸は、香櫨園市場の西側の道を北側に上がったところにありました。

 上の写真が、鴨居邸に続く道で、右側が公設市場の西側の入口があったところ。一番奥に少し見えている山影が六甲山。
 絵地図に描かれている「靴直しのミーの家」は写真の左手にあったはずですが、そのような店はまったく残っていません。

 写真には「靴屋のミーは店先の木型の下でいつも主人の仕事ぶりを見る」と説明されており、昔はそんな靴職人の店が香櫨園にあったのです。

 この道を少し北に上った交差点の角に、絵地図に描かれた「洗たく屋のシロの家」だったと思われるクリーニング屋さんが残っていました。

扉の上の看板は「NING」しか残っていませんが、扉にはCLEANINGと書かれていました。場所も絵地図と一致します。
きっとこの写真の奥の右側に鴨居邸があったのでしょう。

上の写真には「お前、誰だい?いやに白くって垢ぬけてるけど、洗濯屋のシロ君かい?」とキャプションが付けられていました。

 鴨居羊子さんの猫の写真は、『のら猫トラトラ』を執筆するにあたって、その二十年も前に撮って、ロッカーのカルピスの箱の中に眠っていたものから取り出されたそうです。
<犬をなつかせるのはたやすいが、見知らぬ猫を眼玉一つ、指先一つで、なつかせる術を私は知っている。ずっーと昔、二十年も前、出勤途上の市場の裏道で、私はいろんな猫の友達をもっていた。彼らは私の現れる時間を知っており、屋根の上や、ゴミ箱の裏や、路地奥の奇妙なところから忍者のようにまかり出て私に挨拶する。そんな彼らを、当時覚えたての写真で、丹念に撮っていたのだった。>

 この「鴨居羊子コレクション2」の解説を早川茉莉さんが素敵な文章で書かれていました。
その最後だけ引用させていただきます。
<私は鴨井さんがうらやましくて仕方がない。鴨井さんはもういないし、鴨井さんと触れ合った犬や猫たちもいない。なのに、鴨井さんが彼らと触れあった瞬間、時間はキラキラと宝石のように輝きながらそこにあり、その愛しい瞬間、瞬間の中で鴨居さんは生き、犬や猫たちもまた生きているのだ。>

動物好きの方には、お勧めの一冊です。




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seitaroさん、こんばんは。
アマゾンで早速古本手に入れました。
いい本紹介頂きありがとうございます。

[ もしもし ] 2017/11/07 23:07:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

遂に購入されましたか。香櫨園の散策お楽しみください。

[ seitaro ] 2017/11/08 23:04:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

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鴨井羊子お気に入りだった夙川の夾竹桃

 鴨井羊子が香櫨園に住んでいたのは昭和30年代。『のら猫トラトラ』が出版されたのはその後20年経た昭和53年のことでした。

 鴨井羊子は出版にあたって再び香櫨園を訪ね、その風景を最後の章に描いています。

<香櫨園駅近くの夾竹桃も、賑々しく夏の陽をさえずり謳っていた。この界隈は山の頂上から海に至るまで、川に沿って、桜、松、夾竹桃がこもごもに、着物のひき裾のようにうねりをもってながれている。桜の季節、人々は、川に沿って集ってくるが、夾竹桃の花咲くときは、誰も集まってはこない。>

上の写真は昭和41年のものですが、昭和50年代になっても、まだ夙川の夾竹桃は多く残っていたようです。

 村上春樹『ランゲルハンス島の午後』では、夙川の夾竹桃について、
<水の綺麗な川で、そこに趣のある古い石の橋がかかっている。バイクも通れないような狭い橋である。まわりは公園になっていて、キョウチクトウが目かくしのように並んで茂っている>と述べており、これは村上春樹が中学生の頃、昭和30年代後半のお話です。

(写真は現在のあしはら橋)

 また夙川河岸にあった回生病院の夾竹桃のある風景も村上春樹の短編『めくらやなぎと、眠る女』に描かれていました。


 鴨居羊子の『のら猫トラトラ』に戻ります。
<夾竹桃は、いやしく、まずしい花とされていて、誰も夾竹桃の花見にはこない。壁病院や工場のまわりや、防波堤、公衆便所、幼稚園にしか咲いていない、いやしい花だからと友だちが言っていた。でも私はこの素朴な麦わら帽子をかぶった田舎娘のような夾竹桃が気に入っている。その花のついた一つの木の一盛りをごっそりふところに抱えるか、でっかいリボンで結んで、私のものよ!といいたくなる。飛んでいって、大きな大きなウチワみたいな手で、あの花を撫でてみたい。誰もいない夾竹桃の赤い川。赤い森。>

どうして、あれほど生命力が強い夾竹桃が少なくなったのか分かりませんが、現在は鴨井羊子お気に入りの夾竹桃はあまり見かけず、松と桜のオアシスロードとなっています。



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夾竹桃アレルギーが話題に上がったことがありましたので減ったのだと思います。

[ akaru ] 2017/11/03 18:12:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうだったのですか。ありがとうございます。

[ seitaro ] 2017/11/03 20:28:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん、こんばんは。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000080132/p11576782c.html
この春にかなり伐採されました。夾竹桃。
夙川左岸、臨港線北辺りです。
かなり大きくなって景観を損ね始めたからではないかと思っています。

[ もしもし ] 2017/11/03 21:00:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん、夾竹桃が伐採された写真見せていただきました。
やはり、順次伐採されていくんでしょうかね。

[ seitaro ] 2017/11/03 21:44:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん、こんばんは。
昭和41年に植えた頃は、腰までの高さだったのですが、最近は大きくなりすぎたのだと思います。
それを伐採していいかどうかは別ですが、公園を維持する方にとっては難しい問題だったと思います。
確かに伐採することで、遊歩道から夙川の様子がよく見えるようになったことは確かです。

[ もしもし ] 2017/11/05 0:01:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん、おはようございます。
昭和41年にも植えられているのですか。詳しくお教えいただきありがとうございました。

[ seitaro ] 2017/11/05 6:46:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん、こんばんは。
すいません、上の写真を見て昭和41年頃に植えられたと勝手に判断してえいます。
ただ、夾竹桃は育ちが早いので、昭和41年の写真の夾竹桃は、植えられてからそんなに時間がたっていないと推測できます。

[ もしもし ] 2017/11/05 20:15:35 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん、ありがとうございました。

[ seitaro ] 2017/11/05 20:44:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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香櫨園、タマの遊び場(鴨居羊子)

 鴨居羊子は昭和30年頃の香櫨園附近の絵地図を残してくれましたので、当時のノラ猫たちの住処がよく分かります。

『のら猫トラトラ』にしばしば登場するおばあちゃんの二代目タマは三毛猫で、鴨居羊子が撮影した可愛い写真も掲載されていました。
 絵地図に書きこまれているおばあちゃんの家の位置は、現在の航空写真で見ると、赤い線で囲んだ香櫨園市場の跡地から1ブロック東の通りの角(青丸で囲んだ所)にあったようです。


 タマの様子は次のように描かれています。
<おばあちゃんの家の前の道をへだてて、〇〇会社の寮があるが、幼稚園式のつくりで、白い柵がはりめぐらされ、緑のちょっとした庭があり、何本か木も生えているので、タマたちの手頃な遊び場である。>
 これも住宅地図で調べると、当時そこにあったのはグンゼ寮でした。白い柵がある可愛い造りの寮だったようです。

グンゼ寮の白い木の柵にのぼったタマの写真がありました。
<ボスは小町娘タマに言いよった。タマは次第にあとずさりし、柵へ逃げる。そしておばあちゃんの所へとんで帰ってします。>と説明書きがあります。

<今朝も白い柵にのぼったタマは、アカシアの木影で半分アカシア色に染めて妹分と遊んでいた。靴屋のミーのようなすごいジャンプや派手な木のぼりをタマはまだみせたことはないが、タマだって猫だからうまいにちがいない。
 アカシアの白いぶどうの房のような花束はタマによく似合った。タマが猫だということをときどき忘れることがある。下町の可憐な娘にしか見えない。>
 寮の庭にアカシア(おそらくニセアカシア)の木が生えていたようです。

昔は西宮市内に、ニセアカシアの木が多くあり、白い房のような花が咲いていたのを覚えていますが、最近は空き地も無くなったせいでしょうか、ほとんど見かけません。

阪神香櫨園駅の北側からの写真です。

前方の駐車場とビルになっているところが、鴨居羊子の絵地図のアカシアの木、タマの遊び場だったところです。




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鴨居羊子がのら猫トラトラと出逢った香櫨園公設市場

 鴨居羊子は動物と話すことができたそうですから、のら猫を馴らすのはお手の物だったようです。その秘訣も『のら猫トラトラ』で述べられています。

<香櫨園市場の裏路地ではいろんな猫がいた。うす汚れた少しピンボケの虎縞の野良猫が線路わきの柵の上でいねむりをしている。猫をならすときは、猫と同じような動きが肝心だ。猫の動きはその猫毛のように繊細で軽妙で独特の曲線と粘りがある。したがって、猫を指先でおびきよせるその手つきも、猫的に猫の動作に合わせなければならない。>

 香櫨園市場は屋敷町にあり、航空写真の黄色で囲んだ一角にありました。昭和36年の住宅地図で確認すると43店舗もあったようです。

 香櫨園市場の裏路地と書かれていますが、現在は2車線の広い道路に整備されており、阪神も高架になっていますから、線路わきの柵(枕木の柵だったのでしょう)もなく、面影は残っていません。きっと昭和30年代は、市場と線路の間の道は舗装もされていない路地だったのでしょう

 上の写真が昭和30年代には香櫨園市場の裏路地だった道路です。現在はこの道路に面して、HANA HANAというお花屋さんがありましたが、香櫨園市場があった頃からのお花屋さんでしょうか。

さてのら猫の馴らし方に戻りましょう。

<子供のくるくる回す指先にトンボが目をまわすように、私の指先の猫的リズムに、奇妙なことに、なんとなく猫は暗示にかかって、私にすり寄ってきた。犬を馴れさすよりも、ひそやかな喜びがあった。ピンボケの虎縞は片目を細めて、片目はあけたまま、ここいらが猫的である。次第にゴロゴロという。この猫はその模様がピンボケのように、割合間の抜けた猫で、いろんなメス猫に言いよってはフラれていた。私は「トラトラ」と彼を呼ぶ。>
 トラトラは鴨居羊子さんの気に入りで、その後も毎朝挨拶をかわしたようです。
<トラトラはぼんやりしているようでも、朝の何時何分に私が市場の裏を通る頃合いをちゃんと覚えていた。角を曲がって、トラトラーと口ずさむ私を見つけるや、屋根の上で待っていてたトラトラは、いちはやく電信柱をつたわって、ひょいと私の前におりたつ。垣根の裏やゴミ箱の裏などを探していた私はとび上がってトラトラを抱いてやる。斥候のように屋根の上で待っててくれたのが断然私は気に入った。>
 このあたり今はノラ猫の姿は見かけませんが、もう少し鴨居羊子が付き合っていたノラ猫がいた場所を歩いてみましょう。



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鴨居羊子と香櫨園公設市場をアジトにしていたのら猫たちとの語らい

 下着デザイナーとして時代の寵児となった鴨居羊子は、デザイナー、画家として活躍する傍ら、文筆活動にも才能を発揮し、魅力的なエッセイを数多く残しています。

その一作が『のら猫トラトラ』で、舞台は香櫨園です。

 鴨居羊子は豊中市生まれですが、新聞記者時代から香櫨園に住み、昭和33年には森具に小さな家を買い、昭和43年芦屋に移るまで香櫨園附近に住んでいました。

『のら猫トラトラ』には鴨居羊子自筆の「昭和30年頃の香櫨園附近」の絵地図が掲載されています。

最初の章で、自らケモノ好きという鴨居羊子の、のら猫たちとの出逢いが書かれています。
<ずっと昔、もう二十年も前のことなのに、とてもそうは思えない。私は家から市場の裏路地を通って新聞社へ通っていた。いまでも家は隣町に変わったが、ときどきその市場の裏道を通るので、あれからはや二十年もたったとは思えない。この裏路地で私はいろんな猫たちと友達になっていた。そういえば、その猫たちは、とっくの昔にこの世から姿を消している。やっぱり二十年もたってしまったのだ。>
 絵地図にある香櫨園公設市場といのは、いつまであったのでしょう。

現在の阪神電車は高架になっており、周りには空き地もなく、マンションが建ち並び、当時とはまったく違った風景になっています。

鴨居羊子の絵地図を頼りに、阪神香櫨園駅から歩いてみました。しばらく『のら猫トラトラ』から続けます。



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seitaroさん、こんばんは。
興味深いお話ありがとうございます。
震災もあり、現在とは全く違う様相ですね。
洗たく屋のシロの家は、カワキ屋さんかな?

[ もしもし ] 2017/10/26 22:44:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

昭和43年発行の『関西おんな』(足立巻一著)に若き日の鴨井洋子が登場します。西宮のことは出てませんが。

[ akaru ] 2017/10/26 22:58:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん、こんばんわ。子供の頃このあたりはほとんど歩いたことがありませんでした。香櫨園公設市場があったことはご存知でしょうか。シロの家は、住宅地図で調べるとクリーニング吉屋と書かれていました。

[ seitaro ] 2017/10/26 23:09:40 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさん、その本探していました。産経新聞石野伸子さんの推薦本ですが、「関西女」と聞いていましたので、図書館の蔵書検索で見つけられませんでした。早速予約しました。ありがとうございました。

[ seitaro ] 2017/10/26 23:13:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

石野さんが推薦されてましたか。石野さんは以前「輪」に来てくださって取材を受けました。もう何十年も昔です。その後も一度、フリーでご来店いただいたことがあります。東京に転勤される前でした。この度『触媒のうた』もお贈りしたのでした。2年ほど前の夙川公民館での講演を聞きましたが、長くお会いしてません。

[ akaru ] 2017/10/27 0:00:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん、こんばんは。
私も市場のことは身を持って知らないのですが、地図は二号線より南なのでしょうね。
洗たく屋さんがあるのも二号線ではなくって鳴尾御影線。公設市場東の道が大手前学園に通じる道と見るのが良いのでしょうか?
これからの記事を楽しみにしています。

[ もしもし ] 2017/10/27 0:21:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさん、石野さんとは古くからのお知り合いだったのですね。生前の鴨居羊子さんの取材もされたそうで、今も産経新聞「浪花女の読み直し」を連載され、ご活躍です。

[ seitaro ] 2017/10/27 7:28:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん、おはよおうございます。おっしゃる通りです。そのあたりに住むのら猫との交流のお話ですが、とても面白かったです。

[ seitaro ] 2017/10/27 7:31:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

市場は震災前まであったのではないでしょうか?確信は持てませんが。市場のまわりにはたくさんの住居や文化住宅がありましたが、震災でほとんど壊れてしまいました。西宮でも特に被害の大きかった所です。知人のご子息も木造アパートが壊れて亡くなりました。

[ akaru ] 2017/10/27 22:15:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん、こんばんは。
震災以後も本屋さんの並びか、向かいに銭湯が残っていました。
いい感じだったのですが、東の通りにJOYという銭湯が新しくできて、すぐに店をたたんでしまわれました。
そのJOYも先日店を閉めてしまいました。

[ もしもし ] 2017/10/28 21:48:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさん、ありがとうございます。震災まで残っていたという貴重な市場が復興できなかったのは残念です。

[ seitaro ] 2017/10/29 0:07:00 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん、こんばんは。
そうですか、鴨居羊子さんの絵地図では空き地になっていますが、昭和36年の住宅地図を見ると本屋さんと公設市場の間に苦楽園温泉がありました。銭湯も懐かしい貴重な文化の一つだと思うのですが、寂しいですね。

[ seitaro ] 2017/10/29 0:16:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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