阪急沿線文学散歩

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いよいよ芥川龍之介も歩いた河童橋へ

 大正池から梓川に沿って上り、河童橋を目指します。

途中で立ち寄りたかったウェストン碑。


 霞沢岳と六百山を望む梓川のほとりに、英国人宣教師ウォルター・ウェストンのレリーフがあります。

右が霞沢岳、左の山が六百山です。


 ウェストン碑のある場所には、自然を大切にするためか大きな案内板はありません。見落としてしまい、引き返してようやく見つけました。


 
ウェストンは登山家として日本各地の名峰を制覇し、上高地にも訪れて山案内人・上條嘉門次とともに北アルプスに挑み、上高地の魅力を明治29年、著書『日本アルプスの登山と探検』で世界に称賛。レリーフは「楽しみとしての登山」を日本に浸透させた功労者として、日本山岳会が掲げたものです。
 
 更に梓川に沿って歩くと、河童橋が見えてきました。

河童橋はいつかけられ、誰がどんな理由で河童橋と命名したのかはわかっていないそうです。その昔は河童橋の下は深淵で、その深みを「河童の渕」と呼んでいたという説など色々な説があります。

 芥川龍之介の『河童』には「河童橋」がただ一度だけ登場します。

 河童は次のように始まり、ある精神病患者の独白になっています。
<これは或精神病院の患者、――第二十三号が誰にでもしやべる話である。>
主人公の僕とは、芥川自身のようにも思われます。
<三年前の夏のことです。僕は人並みにリユツク・サツクを背負ひ、あの上高地の温泉宿から穂高山へ登らうとしました。穂高山へ登るのには御承知の通り梓川を溯る外はありません。僕は前に穂高山は勿論、槍ヶ岳にも登つてゐましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登つて行きました。>

河童の国の舞台は、上高地から槍ヶ岳、穂高岳に至る梓川周辺で、芥川龍之介が槍ヶ岳登山を行ったのは明治42年で、そのころの風景が小説に描写されています。

そして、芥川が宿泊した温泉宿は、先ほどのウェストン碑の少し下流にあり、梓川沿いに隣接した上高地温泉ホテルと上高地ルミエスタホテル(旧上高地清水屋ホテル)でした。


 朝霧の中で一時間ばかり歩いた後、道に迷った僕は、水際の石のところで食事中に河童に出会い、追いかけます。

芥川が歩いたころは遊歩道など当然整備されていません。

追いかける途中で深い穴に転げ落ちる時に、「河童橋」の名を思い出したのです。
<僕は滑かな河童の背中にやつと指先がさはつたと思ふと、忽ち深い闇の中へまつ逆さまに転げ落ちました。が、我々人間の心はかう云ふ危機一髪の際にも途方もないことを考へるものです。僕は「あつ」と思ふ拍子にあの上高地の温泉宿の側に「河童橋」と云ふ橋があるのを思ひ出しました。それから、――それから先のことは覚えてゐません。僕は唯目の前に稲妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正気を失つてゐました。>

小説では、この一度しか「河童橋」はでてきませんんが、芥川龍之介に「河童」を書かせたのは、河童橋の名前がヒントになったのかもしれません。

 私が歩いたときは霧などまったくない好天で、河童橋からは穂高連峰がはっきり見えました。


約3時間半の上高地でしたが、素晴らしい天気に恵まれ十分楽しむことができました。でもまだまだ見たいところは多く、次回は宿泊して明神池から徳沢の方まで歩いてみたいと思っています。




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戦争末期、理科少年・北杜夫が短歌にした梓川 

 先日、はじめて上高地を訪ね、穂高連峰の景色に圧倒され、梓川の透明な流れの美しさにも感動して帰ってきました。
 井上靖『氷壁』では梓川について、主人公の新鋭登山家・魚津恭太が遭難した小坂乙彦の妹・かおると上高地を訪れた場面で、次のように語られます。

<「梓川ですよ」魚津は梓川の流れが初めてくるまの右手の方へ姿を現してきた時、かおるに教えてやった。「まあ、日本で一番美しい川ですのね」「日本で一番美しいかどうか知りませんが、とにかくきれいなことはきれいですよ」魚津が言うと、「兄は日本で一番美しい川だと言っておりましたわ。小さい時から、何回も兄にそう教育されて来ましたので、わたし、いつかそう思い込んでしまいましたのね」>
梓川の美しさには本当に驚きました。かおるが話したように日本で一番美しいかもしれません。

 上高地を、旧制中学時代から何度も訪れている北杜夫は『梓川』と題したエッセイで次のように述べています。終戦直前、昭和20年の7月末に、死ぬ前にぜひとも一目だけでもみておこうと、松本から徒歩で向かったときのことです。
<確か釜トンネルを抜け、もう上高地も間近くなってきたとき、私たちは道から降りて、すでに清流となっている梓川の河原の上で、宿で作ってくれた握り飯を食べた。>

<そしてまたしばらく小石まじりの道を辿って右折したとき、突然それまでの景観とはまったく異なった山容が現れた。それが死火山の荒れ果てた岩だらけの焼岳であった。その前面にひろがる大正池も、現在のように濁ってはおらず、水面に林立する樹々の中にはまだ白い白樺の幹もあった。>

水面には林立するほどまでは残っていませんが、枯れた樹が数本見えます。

<更に右方に目をやると、穂高連峰があまりにも荘厳に連なっていた。まだ午後もそれほど遅くない陽光をあびて、溶け残った雪渓があえかに身をくねらし、岩々は固く凝結した殿堂であった。>


そして北杜夫は梓川を次のように絶賛します。

<当時、上高地では温泉旅館だけがまだ開いていた。そこへ行くためには梓川を越えねばならない。そして、島々からずっと見続けてきたこの川が、上高地ではあまりにも澄明で、そして早く流れているさまを私は年齢にふさわしい哀愁を覚えながら眺めた。このような浄らかな水というものを、その後何十年を経ても私はまだ見たことがない。>

なかなか、写真で透明感をお伝えするのは難しいのですが、本当に水は透き通っていました。

支流の水の中で藻が流れに泳ぐ様子もはっきり見えます。

 戦争で死ぬ覚悟をしていた中学5年の北杜夫は、こんな歌を作っています。

一人きてただ眺め入る川水は悲しきまでに速く流るる

現身(うつせみ)のわれの眺める川水は悲しきまでに透きとほりゐる

作者は「いかにも感傷的な歌にすぎないが、理科少年が初めて作りだした作だからまあ仕方あるまい」と述べていますが、梓川の流れの速さ、透明感は歌のとおりでした。


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北杜夫の上高地帝国ホテル

 先日、上高地日帰りツアーに行ったとき、どうしても立ち寄りたかったのが上高地帝国ホテル。北杜夫は学生時代の上高地帝国ホテルの印象を、『上高地あれこれ』で次のように述べています。
<そうして、初めに涙が出るような思いで接した上高地、次第に第二の故郷のような気持ちを抱いてきた上高地の懐かしい道を通り過ぎてゆくと、落葉松林の奥に、噂に聞いていた帝国ホテルの姿がほの見えた。当時はずっと閉ざされていて、山小屋風の瀟洒なその建物も、おそらくずいぶんと古び傷んでいたにちがいない。それでも、樹々のあいだに垣間見えるそれは、これまた夢のように童話じみたものと感じられた。>

大正池から梓川沿いに上って行くと、田代橋があり、そこから右折して上高地帝国ホテルに向かいます。

田代橋から見る梓川。

北杜夫はこのカラマツ林を抜けて帝国ホテルに向かったのでしょう。

林の間に「ほの見えた」帝国ホテルです。

帝国ホテルの裏側に出ました。

今でも山小屋風の瀟洒な建物です。

表側の玄関にまわって、ラウンジでコーヒーを飲んで休憩することにしました。

<そのように夢そのものであった上高地の帝国ホテル(戦後に建て直されたものであったが)に実際に泊まったのはつい数年まえのことである。部屋の梁も山小屋風で感じがよかった。ロビイの床は輪切りにした樹が埋め込んであって、靴の当りがごく柔らかかった。>

確かにロビイの床に輪切りにした樹が埋め込まれていました。

通路には昔の写真もかけられています。

竣工写真。

帳場です。現在もある床に埋め込まれた輪切りにした樹は竣工時からのもののようです。

<そして、しゃれた鉄の傘の下の暖炉の中で、赤々と薪が燃えていた。むかし私は、番人とていない季節外れの山小屋の土間で、ただ一人で心細く焚火をして暖をとったこともある。あおれに比べて、この快い薪火にあたって食後酒を飲んでいると、なにか自分が途方もない贅沢をしているような、うしろめたい気持ちすら起こってきた。>

玄関を入って正面に大きな鉄の傘の暖炉がありました。この周りが上高地帝国ホテルのカフェ グリンデルワルトになっています。

ここで、上高地の湧水で入れたコーヒーを楽しんできました。

 休憩したあと、再び田代橋に戻り、梓川沿いに上ります。

上高地帝国ホテルから明神岳が美しく見えていました。まるで、スイスにいるような風景でした。



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若かりしころ、帝国ホテルでケーキとコーヒーをいただいたことがあります。
奥穂高岳からの帰り、登山の恰好で行きましたが、おとがめはありませんでした。

[ 西野宮子 ] 2018/10/16 14:49:24 [ 削除 ] [ 通報 ]

私は今回はコーヒーだけでしたが、ロビーをうろついていると、さすが帝国ホテルの接客ぶりを伺い知ることができました。チャンスがあれば宿泊してみたいと思っています。

[ seitaro ] 2018/10/16 19:58:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

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北杜夫が旧制高校時代に大感激した上高地へ

 以前から訪ねたかった上高地。いつかゆっくり散策したいと思っていましたが、先日、上高地日帰りツアーというチラシを見つけて、とりあえず下調べに。
 特急とバスの乗り継ぎで、上高地滞在時間は3時間半でしたが、天候に恵まれ、大正池から河童橋までゆっくり散策を楽しむことができました。
 上高地は、冬の穂高岳で起きたナイロンザイル切断事件に取材した井上靖の小説『氷壁』にも登場しますし、北杜夫はいくつかのエッセイで、上高地を訪ねた時の感激を述べています。

 北杜夫は太平洋戦争の終わる昭和二十年に、松本の旧制高校に入学し、その七月末に、初めて上高地を訪れています。
「上高地あれこれ」からです。
<九里あるバス通路をひたすら歩いた。そして、ついに展望がひらけ、大正池のうしろに怪異な焼岳の姿を見、その右方に残雪に彩られた穂高の連なりを観た時、私は正直に言って目を疑った。私は自宅はもちろん、大半が焼け果てた東京から来た身で、このような雄大で優雅な大自然が未だに美々しく厳として存在することがほとんど信じられなかったからだ。>

 上高地への自動車道は釜トンネルを必ず通ります。北杜夫はこのトンネルを歩いて、大正池にたどり着いたのでしょう。釜トンネルは昔は狭くてバスの運転手泣かせだったそうですが、現在は広くなっていました。

 バスは順調に進み、大正池に到着しました。後ろに見えるのが「怪異な焼岳」です。

大正池は大正4年に焼岳が大噴火をおこし、その際に噴出した多量の泥流により梓川がせき止められてできたので、大正池と呼ばれるようになったそうです。

お昼は大正池ホテルで焼岳カレー。ご飯の焼岳の中には、半熟卵が入っていて、マグマがドロリと出てきました。ブロッコリーは立ち枯れの木のようです。

こちらが、大正池から見える穂高連峰。

 大正池から梓川に沿って河童橋まで上っていきました。

<翌日、上高地じゅうさまよったが、行きあった人はわずか一人きりであった。私は本土決戦で死ぬつもりであったから、目に痛いまで白い白樺の幹も、悲しいまでに早く流れる澄みきった梓川の水も、なぜとなく夢に似た架空のものと思われた。>

 現在は大観光地になっている上高地。昭和二十年は、「上高地じゅうさまよって、行きあった人はわずか一人きり」という今では信じがたい静けさがあったようです。



田代橋から明神岳がはっきり見えました。

 少し雲が遮る瞬間がありましたが、天候に恵まれ、穂高連峰の景色が見え、橋の上にたたずんでいると、北杜夫の感動がじわりと伝わってきました。




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以前は登山者だったので季節を問わず上高地は何度も何度も歩きました。明神岳・間ノ岳以外のピークには全部登りました。観光客の方は明神〜徳沢〜横尾といったあたりにはおいでになりませんね。
積雪期の釜トンネルはトンネル雪崩に遭う確率が高いのでかなりの恐怖で新島々まで雪中を歩きました。
生きてるうちにもう一度行ってみたい上高地。

[ せいさん ] 2018/10/14 15:37:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

何度も行かれたとは、羨ましい。昔の釜トンネルも御存知なのですね。私ももう一度行ってみようと思っています。

[ seitaro ] 2018/10/14 20:28:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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