阪急沿線文学散歩

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須賀工業歴代社長の名前とTSマーク

 須賀家のご親族の方から伺ったのですが、須賀商会のマークは創業者須賀豊治郎の頭文字ををとって、TSマークとしたそうです。

「須賀工業90年史」に掲載されている須賀商会の写真を見ますとTとSを重ねた須賀商会のマークが掲げられていました。

また須賀商会のカタログや広告にもTSマークが記されています。


 興味深いのは初代須賀豊治郎氏(須賀敦子さんの祖父)に続く、須賀一族の歴代社長の名前です。
 初代須賀豊次郎氏の後が、実弟の須賀藤五郎氏。
この藤五郎氏は須賀敦子さんの『コスモスの海』に出てくる、大叔父のことで、北野町の宏壮な異人館に住まれていたそうです。
<そのころ大叔父は、それまで住んでいた三宮駅に近い町屋から山手の宏壮な異人館に移ったので、ケンさんは庭仕事をまかされて、奥さんといっしょに母屋の裏の小さな家に住むことになった。庭仕事といっても、邸が古いので、始終あちこち修繕しなければならなかったし、家のうしろの山すそにかけていちめんにひろがる花畑の世話もした。>

 その場所も広瀬毅彦著『風見鶏謎解きの旅』から明確になりました。

<風見鶏の西隣にあった異人館は、須賀さんが住んでおられたところだが、それはそれは華麗なお屋敷だったという。今では、数戸の住宅の敷地に分割されてしまっていて、往時の面影は全く見られない。しかし、渥美さんの写真には、この北野小径の両側がすべて異人館であった時代の佇まいがそのまま残されている。
 この写真が撮られてからほどなく、須賀さんの家は取り払われ、風見鶏の南側にあった異人館も壊されてラブホテルになってしまった。>

風見鶏の西隣が須賀藤五郎氏のお屋敷でした。

 話はそれましたが、偶然でしょうか、藤五郎氏により須賀商会のTSマークは守られました。
 そしてその次の社長が、須賀敦子さんの父、二代目豊治郎氏で、どうも須賀商会のTSマークを継続するために、生まれた時の名前を変え、二代目豊次郎の名を襲名されたようです。
その次の社長も須賀孝氏、その次の社長が須賀敦子さんの実弟の須賀新氏でした。
新氏は何故か三代目豊次郎を襲名されませんでしたが、TSマークは続いていました。

しかし長く続いた須賀工業のTSマークは創業75周年を機に、新しいマークにされたようです。


ところで、昔のTSマークがついた設備がつい最近まで、あのヴォーリズの心斎橋大丸にあったそうで、あわてて行ってみましたが、既に建物全体が覆われ、改築工事入っており、あの設備はおそらくもう廃棄されてしまったでしょう。

このお話は次回に。




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須賀敦子 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

須賀敦子様は私の第二の母です。彼女のおかげで、今の私があります。彼女は私を始めての外国、フランスへつれていってくださり、その後の私はフランス留学、米国移住と住みにくい日本に後足で砂をかけて生きてきました。彼女に救われたような人生です。

[ 真知子 ] 2018/05/01 4:14:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

真知子様 ブログお読みいただきありがとうございます。今年は没後20年で、近々湯川豊さんが執筆された須賀さんの関連本も出版されます。須賀ファンの一人として、もっともっと須賀さんのお話を伺えたらと思っております。

[ seitaro ] 2018/05/01 6:24:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

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