阪急沿線文学散歩

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昭和7年カトリック夙川教会の住所は西宮市外香櫨園夙川

 今年、カトリック夙川教会のアルコーブに聖テレジアの像が戻されたことを前回紹介させていただきました。

 夙川教会の歴史を読むと、夙川にネオ・ゴシック様式の聖堂が完成したのは昭和7年4月。新聖堂はブスケ神父が敬愛してやまなかった聖テレジアに献げられ、「幼きイエズスの聖テレジア教会」と呼ばれたそうです。
 初代主任司祭のブスケ神父が翻訳した『小さき花 聖女小さきテレジアの自叙伝』を見ると、昭和四年第十五版の奥付には
「兵庫県西之宮市香櫨園(夙川阪急停留所西) 訳者兼発行者 シルベン・ブスケ」
と記されています。


更に昭和五年に発行された『幼な子に倣いて』の奥付には
「著者発行者 西宮市外香櫨園夙川カトリック教会 シルベン・ブスケ」
と記されています。

昭和11年の鳥瞰図でもカトリック夙川教会、阪急夙川駅、阪神香櫨園駅の位置関係がわかるように、現在の阪神香櫨園駅に馴染みのある我々にとって、少し奇異に感じますが、カトリック夙川教会が昭和7年に建堂された場所は、正に香櫨園の中心地だったのです。

 ご存知のように、香櫨園の名前は明治40年に、大阪の商人である香野蔵治氏と櫨山慶次郎氏の手によって開設された香櫨園遊園地に始まりますが、場所は現在の阪急夙川駅の西側、羽衣町、霞町、松園町、相生町、雲井町、殿山町一帯でした。

 さて、香櫨園遊園地は大正2年に廃園となり、サミュエル商会から大神中央土地(株)の手にわたり、住宅地経営が始められます。
当時は武庫郡大社村森具でしたが、大正12年には羽衣町、霞町、松園町、相生町、雲井町、殿山町一帯を森具区から分離独立させ、香櫨園区と命名されたのです。

大正末の地図を見ると、香櫨園と記されています。
この地図には、高塚山のあたりに香櫨園鉱泉と記されており、それも興味あるところです。

 夙川自治会発行の『夙川地区100年のあゆみ』によりますと、「昭和7年に阪急電車の駅名と区名を一致させるために、香櫨園区は夙川区と改称され、長く親しまれていた香櫨園は名実ともに発祥地から姿を消した」とされています。大社村が西宮市と合併したのは翌年の昭和8年のことですから、西宮市香櫨園という地名は存在しなかったので、昭和4年のカトリック夙川教会の住所は「西宮市外香櫨園」という方が正しいようです。

しかし、合併後の昭和8年の西宮市全図を見ると、そこにはまだ香櫨園と書き込まれていて、香櫨園の名称がしばらく使われていたと思われます。

 大社村の正式合併前から、既に西宮市と呼んでいた可能性もあり、上のブスケ神父の印に記されているように、西宮市香櫨園という住所が一般に通用していたのではないでしょうか。

最後に、夙川自治会長さんに、夙川地区というのは、上の昭和8年の夙川区平面図に示されている、羽衣町、霞町、松園町、相生町、雲井町、殿山町一帯のことであるとお教えいただいたことを申し添えておきます。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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