阪急沿線文学散歩

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://nishinomiya.areablog.jp/bungakusanpo

カトリック夙川教会の幼稚園を舞台にした阪田寛夫の「酸模」

 阪田寛夫『我等のブルース』に収められた短編「酸模」は六年生の男子小学生の異性へのあこがれ、性の目覚めを描いた、少し甘酸っぱい思いのする物語です。
その舞台はどうも昭和19年まで存在したカトリック夙川教会の幼稚園のようです。
「酸模」は次のように始まります。
<啓四郎は牧師の子供ほど損なもんはないと思っていた。家ではスケベエなことはちっとも言えない。おまけに学校ではアーメン!とからかわれる。春休みになって幼稚園のペンキの塗替えが始まった。幼稚園は教会の裏から松林を隔てて、背中合わせに建っている。(お父さんは園長もかねている)>
 主人公啓四郎は阪田自身をモデルにしたようですが、阪田寛夫の父親・素夫は阪田インキ製造所(後のサカタインクス)をしつつ阿倍野にある日本基督教団南大阪教会と同じ敷地にある南大阪教会幼稚園の園長をされていました。したがって幼稚園のモデルは南大阪教会幼稚園なのですが、さらに読んでいくと舞台を夙川に移していることがわかります。

写真は村野藤吾設計の日本基督教団 南大阪教会と現在も存続する幼稚園。

 啓四郎は二十幾つの幼稚園の先生の右近さんを好きになります。
<朝、学校へ行くのにわざと少し遅い目に出ると、夙川の駅からトコトコ坂道を登ってくる右近さんにうまく出くわす事がある。>
どうもカトリック夙川教会に向かう坂道のようです。

上の写真は1938年のメルシェ神父と幼稚園児たちの写真です。

 この小説の途中に、西宮北口で「日独伊三国博覧会」が開かれていたと述べられています。

戦時中、西宮北口に航空園があったことは知っていましたが、「日独伊三国博覧会」が開催されていたことはネットで調べても出てきません。
<西宮北口で日独伊三国博覧会が開かれている。試験勉強の参考になると先生が言っていたので、タクちゃんと見に行った。朝から冷たく曇っていて、産業館も国防館もみんなガランと淋しく、土間のしめった土が膝まで冷え冷えとしみる。>
中にはフランクフルト曲芸団の公演まであったそうです。
<三十銭払ってはいると三百人程の人がバラバらと腰かけておとなしく待っていた。まん中に大きなマットが敷いてあって、ブランコや吊輪の高い鉄棒が立っている。ドイツのフランクフルト曲芸団の公演と書いてあった。>
「円形のスタンドのてっぺんに三つの国の国旗が順にぐるりと立て廻らせてある」など記述は具体的なので、実際に開催されていたのかもしれませんが、よその場所なのか判然としません。

 そのスタンドでの啓四郎の姿がが面白く書かれています。
<啓四郎はさっきからソワソワしていた。すぐ三段上の席から綺麗なすんなり揃った脚がのびていて、振向くたびに眼がどうしてもその間に吸い寄せられるのだ。まるで銀色の長い靴下のその奥に、柔らかな白い清潔な下穿きがはっきり見える。>
あまりよく振り向くので友人のタクちゃんに注意されるのですが、この少年の覗き見する気持ちもよくわかります。

 次に阪急夙川駅の東のガード下で、とんでもない発想が述べられています。

<夙川の駅のすぐ手前で、道が線路をくぐっている。電車が通ると、車体のハラワタみたいな黒い機械がまざまざ見える。乗ってるお客は真下から見られているとはちっとも気が付かない。啓四郎は此の頃それを見ただけでウンこをこらえている様な気持ちになってくるのだ。こんなのが本当に仕様のないスケベエなんじゃないかしら。>
 私も子供の頃、ガードの下から列車が通るのを見上げるのは好きでしたが、さすがここまでは高揚しませんでした。
現在の夙川駅近くのガードです。

 最近は安全のためでしょうが、上から何か降って来ないように完全に鉄板で覆われていて、昔の様に列車の下側を見ることはできなくなってしまいました。

 主人公啓四郎が、自分は本当に仕様のないスケベエなんじゃないかと心配する気持ちもよくわかります。健康な小学生であればこそと思いましたが、この小説の最後はもっと過激に谷崎潤一郎並みの隠微な終わり方をします。
事務室に忍び込んだ啓四郎はあこがれの右近先生の運動靴を見つけます。
<思い切ってカカトの内側に鼻をくっつけた。吸い込む。チーズの匂いだ。>
全文引用しようと思いましたが、この先まだ過激な文章が続きますので、ここで止めておきます。

 それにしても何故プロテスタントの阪田はカトリック夙川教会の幼稚園を舞台にしたのでしょう。
(投稿禁止用語が2つあり、カタカナとひらがなを混ぜました)




goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11662598c.html
阪田寛夫 | コメント( 4 ) | トラックバック( 0)

すでにお調べかもしれませんが、昭和3年生まれの父に聞いたところ、西宮球場で開催されたのは聖戦博覧会でした。
調べてみると開催されたのは昭和13年の春でした。
日独伊三国博覧会のモデルは聖戦博覧会でしょうか。

[ 西野宮子 ] 2017/09/22 14:37:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

西野宮子さんありがとうございます。お父様も西宮生まれだったのですね。大正15年生まれで、当時建石小学校に通われた河野多恵子さんが、小学校から聖戦博覧会に行ったことを書かれていました。三国同盟博覧会とはやはり阪田寛夫が考え出した博覧会だったのでしょうか。

[ seitaro ] 2017/09/22 16:19:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

今晩、私のブログを訪問してくださったので、父が西宮生まれだという誤解は解けたと思います。
父は生まれも育ちも丹波篠山です。

[ 西野宮子 ] 2017/09/22 21:47:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうだったのですね。失礼いたしました。

[ seitaro ] 2017/09/22 22:41:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

■同じテーマの最新記事
阪田寛夫にとっての阪急電車と宝塚
阪神間で話される言葉は?
阪田寛夫が述べる人文的世界の「阪急沿線」とは
<<新しい記事へ     以前の記事へ>>
このブログトップページへ
seitaroイメージ
阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

カテゴリー一覧

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<