阪急沿線文学散歩

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生涯をゴッホに捧げた夙川パボーニの画家大石輝一

 「日本初!オランダのファン・ゴッホ美術館との本格的国際共同プロジェクト」と銘打ったゴッホ展が、現在開催中で来年には京都国立近代美術館で開催される予定です。


 ゴッホを初めて日本に紹介したのは白樺派の同人たちでした。武者小路実篤、志賀直哉らにより明治43年に創刊された同人誌『白樺』は文学界に新風を送る存在になり、そればかりでなく西洋の絵画や彫刻を次々と紹介し、その後の日本人の美術観を決定づけるほど、芸術面でも大きな影響を与えました。

白樺創刊号の表紙(画:児島喜久雄)

 その雑誌『白樺』に連載された児島喜久雄訳のゴッホの手紙と伝記は、当時洋画家を志していた大石輝一を深く感動させ、 120度のゴッホ熱に浮かされたと自ら語るように、日夜ゴッホについて論じ、画友たちから「ゴッホ」と渾名されるまででした。
 その後、大正5年22歳の時、三重県熊野市の友人宅に長期滞在していた大石は帰郷中の「秋刀魚の歌」で有名な佐藤春夫と親交を深め、「狂画人ゴッホ、我憐れむ」の春夫歌句に淡彩を添えた合作色紙を残しています。

更に、大正5年から岡田三郎助の本郷洋画研究所で学んでいた大石は、大正9年に芦屋の実業家山本顧弥太の白樺派への資金援助により日本に初めて到着したゴッホ肉筆の四十号大の「ひまわり」を武者小路家で見せてもらうことになります。

その感激はいかばかりだったかと思いますが、芦屋の「ひまわり」は阪神大空襲で焼失してしまったのです。
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 大石は昭和9年に夙川に小さいながら南欧風の、お洒落な茶房「ルウヂ・ラ・パボーニ」を開店し、アトリエを兼ねた文化の発信拠点とします。

 そこで機関紙『パボーニ』を発刊し、「狂画人ゴッホ」と題したゴッホ論を繰り広げるとともに、白樺派の柳宗悦の民芸運動の一端を担った活動も始めました。

 戦後になって、昭和29年には神戸朝日ホールで、昭和31年には西宮市民館で複製画によるヴァン・ゴッホ展を開催します。

その時の日本ゴッホの会式場隆三郎との縁で、画家山下清がパボーニに逗留し、その後も家族的な付き合いを続けました。

山下清は自著『日本ぶらりぶらり』で、パボーニ逗留中に大石と過ごした楽し気な様子を記しています。

 晩年に大石は画家の枠を超えて、南仏アルルの風景に似た三田市の開拓村に芸術の園アートガーデンの建設に邁進します。

やがて開拓村の小高い丘に「タラスコン街道の画家」に描かれたゴッホの姿そっくりの大石が現れ、ゴッホ碑に始まり柳宗悦賛碑、ブスケ像、ロマン・ロラン碑、武者小路実篤の詩碑など次々と建立したのです。


遂にゴッホ熱は大石が亡くなるまで冷めることはありませんでした。




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『KOBECCO』で、お元気なお姿を見ました。
https://kobecco.hpg.co.jp/26906/

[ akaru ] 2017/10/03 11:05:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさんありがとうございます。今月号の「百歳の人」も読ませていただき、元気をいただきました。

[ seitaro ] 2017/10/03 20:30:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

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