阪急沿線文学散歩

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渡辺淳一『リラ冷えの街』の舞台となった北大植物園へ

 渡辺淳一『リラ冷えの街』は、北の都・札幌の四季の移ろいを背景に、不思議な巡り合せの男と女の愛の行方を辿る物語。主人公の有津京介は北大植物学教室の研究者で、北大植物園に常勤しています。


<植物園事務室は白壁ぬりの二階建てで、正面玄関の上には三間幅のバルコニーがある。札幌農学校時代の植物学教室を原型のまま大学構内から移したもので、窓の細く長く、どっしりした構えはいかにも明治調の建物だが、バルコニーの床と手摺は一部朽ちかけていた。>

 植物園事務室とは、現在の宮部金吾記念館です。明治34年に建てられた洋風建築物で、北海道大学植物園の初代園長だった宮部金吾博士が、かつて教鞭をとっていた旧札幌農学校動植物講堂の東翼部を移築したもので、昭和63年まで植物園庁舎として利用され、現在は宮部金吾の記念館として遺品などが展示されています。
 『リラ冷えの街』は昭和62年に初版が刊行されていますので、執筆されたときは、植物園事務室だったようです。

当時の正面玄関は、書かれているようにバルコニーの下だったようです。

記念館に、1910年代の移築前の写真が展示されていました。

札幌農学校出身の有島武郎一家の植物園での写真も展示されていました。

<植物園事務所の右手には樹齢八十余年のライラックの老木がある。八十余年というのは明治二十五、六年ごろに、すでに大きな株のままソリに乗せて運び込まれたからである。詳しい樹齢は誰も知らなかった。高さ五メートルを越し、こんもりと枝が繁っているので花どき以外はライラックと気付かぬ人が多かった。>
ここに書かれているライラックの老木がどれか、よくわかりませんでしたが、記念館の前に「札幌で最古のライラック」がありました。


日本にライラックの樹を持ち込んだのは、北星女学校の創始者であったサラ・クララ・スミス女史で、明治22年のことでした。

日本で初めてのライラックの苗木は北星女学校の校庭に植えられ、後にその一部が北大植物園へと株分けされたそうです。

 小説の最終章も植物園の風景で始まります。
<再び五月が訪れた。
植物園正面の花壇にチューリップが咲き、園内の樹木ではニレとコブシが花開いた。北海道の五月には本州のような季節のきめ細かさはないが、一度に訪れる春の喜びは、はるかに強い。まだ肌寒い日もあるのに、人々はコートを脱ぎ、求めて外へ出る。背を伸ばし、大股で歩く、道を行く人々の姿にも活気が溢れていた。>
 
 北大植物園には宮部金吾記念館以外にも、重要文化財に指定されている建物が残されています。


そのひとつ、明治15年に建てられた博物館本館は、今も現役で、日本で一番古い博物館として有名です。

 札幌駅の近くにありながら、広い園内にはハルニレの巨木が立ち、うっそうとした林も残されており、開拓以前の古き札幌の姿がしのばれる都会のオアシスでした。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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