阪急沿線文学散歩

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渡辺淳一『リラ冷えの街』札幌人の正規の東西南北とは?

 渡辺淳一は札幌医科大学医学部を卒業し、1969年までは医学部講師を続けながら、北海道の同人誌に執筆を続けていたこともあり、札幌を舞台とした小説をいくつも書いています。

『リラ冷えの街』では札幌の風景が情緒豊かに描かれ、開拓の歴史にまで触れられています。
<札幌の駅前通りを南へ下ると歩いて十分そこそこで、薄野の交叉点にぶつかる。ここで電車は左右へ分かれ、一方は豊平へ、一方は山鼻へ向かう。山鼻線は右へ三丁走り、そこで左へ曲がって再び南下する。山鼻はかつて山鼻屯田兵が入植し、開拓したところである。>

現在の路面電車線はループ状に走っており、豊平へ向かう線はありません。

黄色で示したのが市電の路線で丸く囲んでいる所がすすきの駅です。

<今でこそ山鼻も札幌の中心地になってしまったが、明治の頃は札幌本府のあった今の時計台の辺りと、山鼻とは随分かけ離れた存在であった。本府の道は、正規の北へ向けて南北の道路を敷き、それに東西に走る道を交叉させ碁盤模様に造られた。>
ここで驚いたのは、札幌に長く住んでいた渡辺淳一が、「本府の道は正規の北へ向けて南北の道路を敷いた」と書いていることです。
 たしかに札幌は東西の基軸を創成川、南北の基軸を大通りとして街づくりが進められ、初めて訪れると、その碁盤の目が東西南北と一致しているようにも思われます。
 この碁盤の目は、開拓が始まった時幕末の慶応2年に、幕府の開拓御用を命じられた大友亀太郎が、飲み水や水運を確保するために引いた用水路が「大友堀」で、これが後に「創成川」と呼ばれ、札幌都心部の街路の基準になっているのです。

上の写真は札幌を東西に分ける基準となっている創成川。

最初の地図で青色が東西を分ける創成川、橙色が南北を分ける大通りです。

座標の原点になって居るのが地図で赤丸で囲んだテレビ塔です。

 さらに渡辺淳一は次のように続けます。
<これに対して山鼻村は南北の道路は北極星に向けて造られた。いわゆる地図上の北と、北極星の北とは七度の開きがある。本府側から伸びてきた道路と、山鼻村から伸びてきた道路は開拓が進むに従って接近し、最後に今の南七条辺りでつながった。山鼻電車線が東本願寺の先で軽く屈曲しているのはこのためである。>
 ここで「地図上の北と北極星の北とは七度の開きがある」と記されていますが、真北と北極星の方角は少しはずれていますが、真北に近く、七度の差はありません。

地図の黄色の丸で囲んだ東本願寺前駅で、軽く屈曲しているその方向がむしろ北に近いのです。

 考えてみると、札幌の地図は、観光地図をはじめとして、碁盤の目を垂直水平に書いた地図がほとんどで、北の方角が入れられていないのも多くあります。

上の観光地図など、北の方角が入っていますが、実際の北は右に7〜8度傾いているのが正しく、反対に傾けています。


 渡辺淳一はこれらの地図を見て、札幌市街の碁盤の目は東西南北方向にぴったり一致していると思い込んでいたのでしょう。
ちなみに京都の碁盤の目は東西南北と一致していますから、江戸時代の人より、1000年以上昔の平安時代の人の方が天文学に優れていたのかもしれません。しかし、少しの角度の違いなど気にしないのは、北の大地に育った人のうらやましい特性でもあります。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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