阪急沿線文学散歩

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昭和11年の井上靖が暮らした香櫨園

 井上靖は『闘牛』、『あした来る人』、『貧血と花と爆弾』、『昨日と明日の間』など数多くの作品で、高級住宅地として香櫨園を登場させています。しかし、井上靖が香櫨園に住んだのは昭和11年から12年にかけての僅か1年間でした。
井上靖略年譜を見ると、

昭和10年 28歳
京都帝国大学名誉教授、足立文太郎の長女・ふみと結婚
昭和11年 29歳
京都帝国大学卒業、「流転」により第1回千葉亀雄賞を受賞、大阪毎日新聞社に入社
昭和12年 30歳
軍隊に召集され、中国の北部各地に駐屯

となっており、大阪毎日新聞入社から軍隊に召集されるまでの新婚の1年間を、香櫨園で暮らしたのです。

 香櫨園で暮らした経緯について、夫人の井上ふみ著『やがて芽をふく』に詳しく述べられていました。
<昭和十一年八月一日付で毎日新聞大阪本社の『サンデー毎日』に入社することになったので、私たち家族は会社の近くに引っ越すことになった。子供の頃から一番面倒をよくみてくれて、私が好きであった従兄の世話で、そのすぐ近くの西宮市香櫨園に引っ越した。
 材木屋のご隠居の住居であったというその家は、さすがにしっかりした建物であった。玄関と八畳、四畳半、それに台所、その隣に三畳のお手伝いさんの部屋があった。>

井上靖が暮した川添町の家は、「西宮歴史資料写真展」にも展示されていました。

<家の前に広い空き地があって、子供たちが野球の練習をしていた。海が近くて、靖は休日などには、赤ん坊を抱いてよく散歩に行った。>

井上靖が川添町に住んでいた昭和11年の鳥瞰図です。黄色の矢印のところですが、現在とは違い、家の数もまばらで、家の前は広い空き地だったようです。
 鳥瞰図に描かれている夙川沿いの松並木を、生まれて間もない赤ん坊を抱いて香櫨園海水浴場のあたりまで散歩したのでしょう。
<そうした昭和十二年八月末、靖は赤紙を受け取った。長女幾世が這っていた。思い出に残る日である。何はともあれ、靖は三日後には、本籍のある郷里の伊豆湯ヶ島に戻らなければならない。靖の両親は、まだそこに元気で住んでした。
 私も幾世を連れて、足立の母と湯ヶ島へ行って靖を送りだした。すぐまた戻って、この西宮の家を引き揚げ、靖の留守中は京都の実家で過ごすことになった。>
 僅か一年で離れざるをえなくなった香櫨園ですが、新婚早々住んだ土地は忘れがたかったのでしょう。井上靖の小説には何度も登場しています。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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