阪急沿線文学散歩

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://nishinomiya.areablog.jp/bungakusanpo

山下清『ヨーロッパぶらりぶらり』旅立ちの服装は?

 大正11年生まれで、「裸の大将」と呼ばれ、日本全国を放浪した山下清は、念願かなって昭和36年に精神科医で日本ゴッホの会会長でもあった式場隆三郎氏らとともに約40日間のヨーロッパ旅行に出ます。 

その旅行記が『ヨーロッパぶらりぶらり』で、感じたままの素直な感想が述べられ、一つ一つのエピソードに思わずニヤリとしてしまいました。
 最初に書かれている「出発まで」の章では、放浪と自らの展覧会で「日本中ほとんど見てしまい放浪癖もなおり、式場先生がごほうびに、外国へつれていってくれることになった」と、経緯が紹介されています。

 西洋ではよその人に会うときはネクタイをすると聞いて、弟にネクタイの結び方を教えてもらうのですが、覚えることができません。
<式場先生にわけをはなすと、「清にネクタイをむすぶのはむりかも知れないから、蝶ネクタイのむすんであるのを買ってやろう。これなら首のうしろでひっかければいいから清にもできるだろう」といって蝶ネクタイを買ってくれたので、首にまきつけるけいこをすると、こんどはくるしくなかった。>と書かれており、洋服で出発したのがわかるのですが、やはりトレードマークは、着物に下駄履き姿の山下清。

山下清は、昭和31年西宮で開催された「ヴァン・ゴッホ展」に訪れ、夙川パボーニに逗留した際は、やはり着物で下駄ばき。

左横に立つのが式場隆三郎氏です。

夙川でスケッチする山下清。横で指導しているのがパボーニの大石輝一。

西宮の展覧会場で、大石輝一は山下清にズックの靴を贈りますが、足にあわず、結局元町丸善で同型の大きなものに変えてもらったそうです。

大石輝一は、その時のことをパボーニ誌に次のように綴っています。
<全部を観るに、とうとう時間がなくなったので、私の贈ったズックの靴を履いてみた。私が君がアメリカに行くのに下駄をはいていってはまずいからナ、といいうと清君はどもりながら、下駄をはいて行ったらアメリカ人はどうおもうだろうナ、とふくみ笑いをして……。>
 この時はシャツにズボン、下駄ばきだったようです。その頃は大石輝一が記しているようにアメリカに行くつもりだったのかも知れません。

 その5年後、山下清はヨーロッパに旅立ちますが、出発の壮行会も大したものだったようです。
<夕ごはんがすんでからみんなでタクシーに乗って羽田にいった。飛行場につくと、とくべつの部屋が用意してあって、ぼくの知っている人や知らない人がたくさんいて、やたらに写真をとっていた。>

 更にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で日本人初の「蝶々夫人」を歌った今井久仁恵さんから花束をもらいます。

<今井くにえさんという、ふとった女の人がぼくに花束をくれたので、この女の人はうたの上手なおばさんです。おばさんといっても二十いくつかもしれないが、洋服をきた女の人の年はわからないので西洋の女の人はみんあ洋服なので、ヨーロッパへいっても、女の人はおばさんと呼ぶことにしている。今井さんがずっとまえにうたをうたう会をやったときに、ぼくがみにいって色紙にかたつむりをかいたのをあげたことがあるので、きょうの花束はそのときのお礼かもしれない。>
 山下清は、かたつむりの絵をかなりの数の色紙に描いたようで、西宮でその様子を写した写真がありました。


 花束を貰って、山下清は不遜にも、こんなことを書いていました。
<今井さんは唄がじょうずだから、花束のかわりに佐渡おけさか草津ぶしをうたってくれた方がいいと思ったが、そんなことをいってはわるいかもしれないので、どうもありがとうと言って花束をもらったら、また写真をとる人がきて、花束をもらうやりなおしをさせられた。>
素直な感想と言えばそうですが、世紀のプリマドンナに「草津ぶし」を歌ってもらいたかったとは。

更に出発した飛行機の中で、スチュワーデスに向かって、こんな質問をします。
<「おばさん、おばさん、この飛行機はジェット機で、ジェット機はふつうの飛行機よりずっと早いので、ときどきかじを下にむけないと、地球のそとにとびだしゃしませんか」ときくと、きゅうに飛行機のなかがにぎやかになって、いままでねたふりをしていた人がみんな起きてしまった。>

 読んでいる方は、このあと続く40日間のヨーロッパ珍道中記、面白いのですが、付き添っていた式場隆三郎氏はさぞお疲れだったことでしょう。




goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11698192c.html
パボー二 | コメント( 3 ) | トラックバック( 0)

 山下清さんのことは若い人はご存知ないでしょうね〜よく父が真似をして山下清風の絵を描いていろんな人にプレゼントしていました。こんな 苦労した作品をぱっぱと人にやってしまう物欲の無い父親をちょっと理解できませんでしたが・・・

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/01/16 10:04:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

父上も絵がお好きだったのですね。山下清の風貌はどうしても芦屋雁之助につながってしまいます。

[ seitaro ] 2018/01/16 11:58:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

 確かに

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/01/19 9:44:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

■同じテーマの最新記事
黒田征太郎が阪神淡路大震災の後に描いた夙川パボーニ跡
復元されていたゴッホの『跳ね橋』(『旅するフランス語』)
NHK『旅するフランス語』今月は南仏アルルのゴッホを巡る旅
<<新しい記事へ     以前の記事へ>>
このブログトップページへ
seitaroイメージ
阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

カテゴリー一覧

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<