昨年11月にBSで「ドナルド・キーン95歳心の旅」が放映されていました。キーンさんも既に95歳、心温まる番組でした。
失礼かもしれませんが、私がドナルド・キーンさんとイメージを重ねるのが、最近また再放送が始まったBSの「京都人の密かな愉しみ」で団時朗が好演している、イギリスヨークシャー出身の文化人類学者エドワード・ヒースロー。
「京都は美しい。しかし、京都人はわからない」という名セリフ。このような日本通の学者をドラマに登場させることができたのも、ドナルド・キーンさんの存在があったからかも知れません。
ところでキーンさんが1953年に京都大学大学院に留学のため来日して初めて京都で過ごしたお正月についてのエッセイがあります。初出は月刊「リーダーズダイジェスト」連載の「ドナルド・キーンの日本診断」(1984年1月号)「正月という英知」。
外国人から見た京都のお正月について、次のように述べられています。
<日本で初めて過ごした正月のことを、私は決して忘れないだろう。その年(1953年)暮れが近づくと京都の人々は何週間にもわたって、来るべき“お正月”についてしきりに言葉を交わし、その興奮ぶりが外国人の私にもいやでも伝わってくるのだった。それはちょうどアメリカの子供たちがクリスマスについて語るときの熱の入れように、どことなく似ているように思えたものである。>
忘年会についても次のように述べています。
<日本人の新年の祝い方は実に念が入っている。なにしろ、忘年会という前座まで用意されているからである。ちなみにこの忘年会というものは、私の知っている限りでは他のどの国にもない習慣である。一年の間に起こった不愉快なことをすべて忘れてしまうことを目的としたこの習慣は実に結構なもので、外国に紹介されてしかるべきではないだろうか。>
そして大晦日に八坂神社でをけら詣りをして、火縄を持ち帰り、下宿で生まれて初めて味わった御節料理については、
<御節料理のほとんどは私にとって初めてのものだったが、いずれもおいしかった。蛤の御雑煮は特に気に入った。エビをはじめとした種々の海の幸にもすっかり堪能したものである。御節料理が日本の料理の中で特においしいものだとは、私は思わない。だが、正月には必ずこの特別な料理を食べて育ってきた日本人が、御節料理に深い愛着と郷愁を感じていて、今ではすっかり品薄になってしまった数の子や、その他正月には欠かせない珍味を、法外の値段をいとわず買おうとするのは、無理からぬことだと思う。>
と解説されています。
初めて日本で経験した京都のお正月風景から、「日本の正月は、多くの場合顧みられない日本伝統の重要性を、どんなに短い間にせよ、現代人に再認識させてくれるという特別の意味を持つ」と述べられており、キーンさんに改めて日本の良さ、伝統を気付かされるエッセイでした。
最後に、正月にハワイに出かける多くの人々について、
<しかし、太平洋の楽園で陽光を体いっぱいに浴びながら、コバルト・ブルーの海を眺めてご満悦の彼らも、心の底のどこかで何となしに物足りなさを感じているはずである。それはつまり、正月に日本にいることによって初めて味わえる、日本人の伝統的精神性の重要な一部たるべきあの“正月気分”に、ハワイなどにいたのでは決して浸れない、ということなのではなかろうか。>と結ばれています。
これが書かれたのは1984年のことですが、今や日本の正月風景もかなり変わり、そのようなことを感じる世代も少なくなっているのではないでしょうか。