阪急沿線文学散歩

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宝塚の園井恵子に光を当てた増山実(『風よ僕らに海の歌を』)

 増山実『風よ僕らに海の歌を』は、タカラジェンヌも御用達のイタリアン・レストラン宝塚南口「アモーレ・アベーラ」の創業者オラッツィオ・アベーラ(小説ではアリオッタ)さんをモデルにした物語。したがって、戦時中の宝塚、少女歌劇の様子なども描かれています。  
 著者の増山実さんは、『勇者たちへの伝言』でもそうだったのですが、いぶし銀のような人物や、脇役、市井の人にスポットライトを当てるのがお好きなようで、今回も名脇役の園井恵子のファンが登場します。終戦直後から宝塚ホテルのレストランで働き、現在は余命2週間となった梶という老人です。

 宝塚ファンの祖母と母の影響で小学生の時から大劇場に通い、中学に入った昭和14年ごろにはすっかり宝塚ファンになっていた梶の話です。

<私は、昭和二年の生まれです。少年時代、宝塚という街は、私にとって「夢の街」でした。実家のあった豊中から電車に乗り、阪急宝塚線の宝塚駅の降り立つだけで、胸の奥が締め付けられ、足の指先が恍惚感に包まれたものです。当時の残り香を漂わせるものが宝塚大劇場だけとなってしまった今では想像しにくいと思いますが、おそらく当時、世界の中でも宝塚ほど、あらゆる人間のあらゆる享楽を集めて、あらゆる階層の人間を惹きつけようとした街は、なかったでしょう。>
大正14年生まれの阪田寛夫さんも大の宝塚ファンでしたし、当時は少年ファンも多かったようです。

 梶は脇役のタカラジェンヌ園井恵子に心を奪われ、「今ではもうタカラヅカファンでさえ、彼女の名前を知っている人はほとんどいないでしょうね。」と言いながら次のように紹介します。

<身長が百五十センチと低かったんですが、子役、少年役、お嬢様役や奥方役から老婆訳まで、できない役はない、といわれるほど芸の幅の広い人でした。個性的な美しさがにじむマスクで、白い柔らかな頬に、唇の端がきゅっと上がって、いつもにこにこしている。そんな園井恵子が、私は大好きでした。>

梶は園井恵子を観に、一人で宝塚に出かけます。

<あれは中学に入った翌年の五月でした。学校が休みの日に、豊中からひとりで阪急電車に乗って宝塚にやってきました。どこかで偶然、園井恵子に会えないかと淡い期待を抱いて「花のみち」を歩いたのです。阪急宝塚駅を降りると線路沿いに土産物屋が立ち並び、それが途切れると、宝塚大劇場と宝塚音楽学校まで、川沿いに桜並木の小径が四百メートルほど続きます。これが「花のみち」です。武庫川の古い堤防跡だったので、小径は周囲より一メートルほど高くなっていました。春ならば、並木道はまるで桜のトンネルです。>

現在の「花のみち」。確かに1mほど高くなっています。
そして遂に園井恵子と目を合わせる機会が訪れます。
<一瞬、園井恵子と目が合いました。彼女はひどい近眼で有名でした。しかしその時、彼女は確かに私の顔を見て、微笑んだのです。もちろん恥ずかしくて声などかけられません。ただ園井恵子のまぶしい姿をじっと見ているだけでした。>

 園井恵子は、昭和17年に宝塚を引退し、翌年、映画女優として『無法松の一生』に抜擢されます。

 主役の阪東妻三郎演じる無法松にひそかに慕われながら、子供の成長のために生涯をかける軍人の未亡人という大役を見事に演じたのです。

 彼女は宝塚を辞め、女優に転身し、映画「無法松の一生」に出た後、国策に沿って結成された「桜隊」という軍隊慰問の移動劇団に参加して活躍しますが、昭和20年8月6日、慰問先の広島で、爆心地から700メートルほど離れた寄宿舎の廊下で、被爆したのです。
<その日はちょうど三十二回目の誕生日でした。被爆当初は症状もなく、八日まで広島におり、鉄道が復旧したことを知って神戸に戻り、親代わりだった六甲に住む知人宅で一時は平静を保っていましたが、やがて高熱、皮下出血、下血といった放射線障害の症状が次々と現れ、急激に衰弱したそうです。彼女が放射線障害による原爆症で死んだのは八月二十一日でした。>
大女優の道を歩みつつあった彼女の無念さは如何ばかりだったでしょう。
 8月17日付け母への手紙(絶筆)には「本当の健康に立ち返る日も近いでしょう。そうしたら元気でもりもりやります。やりぬきます。これからこそ日本国民文化の上にというよりも、日本の立ち上がる気力を養うためのお役に立たなければなりません。」と書かれていたそうです。
 
 小説では、次のように書かれていました。
<おそらく朦朧とした意識の中で、死ぬ直前、彼女の心象に映ったものは何だったのでしょう。なつかしい故郷、岩手の風景でしょうか。華やかな舞台の上から観た、観客席でしょうか。行きたいと願い、無念にも叶わなかった、自分の未来の姿でしょうか。>

「岩手県岩手郡岩手町|e-いわてまち.ねっと」によると、平成8年岩手県岩手郡岩手町に、宝塚音楽歌劇学校当時の園井恵子がブロンズ像に再現され、母校川口小学校の児童らの手で除幕され、阪田寛夫氏から贈られた台本によって"お帰りなさい園井さん"という朗読劇が演じられたそうです。





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増山実 | コメント( 3 ) | トラックバック( 0)

園井恵子さんのこと、以前ちょっと書きました。
http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/21be3fcc398433e0e4ff34931bcebf8a

[ imamura ] 2018/01/08 10:12:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

こちらにも。http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/75aeb965f3fad1814faa3d2f8a0afbce

[ imamura ] 2018/01/08 10:28:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

imamuraさん、ありがとうございます。ふたつとも読ませていただきました。園井恵子さんのことは忘れられないようにしてもらいたいと思っています。旧宝塚音楽学校「宝塚文化創造館」の建物は残してもらってよかったです。宝塚文芸図書館の建物が消え去ったのは残念でなりませんんが。

[ seitaro ] 2018/01/08 12:42:14 [ 削除 ] [ 通報 ]

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