阪急沿線文学散歩

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遠藤周作の少年時代の心の風景と生涯のテーマ

 遠藤周作がカトリック夙川教会で洗礼を受けた時の様子は数々のエッセイで述べられています。

 その一つ『夙川の教会』(初出「すばる」19749月号)では、

<少年時代の私の心の風景はほとんどこの夙川の天主公教会に結びついている。少しうすよごれたクリーム色の建物。庭や門のそばにあった夾竹桃の花。司祭館のバターの匂い。そして「はい」と無自覚に答えたあの復活祭の日曜日。だが、無自覚に答えた誓いがその後、芽をだし、葉をつけ、私を苦しめはじめたのだ。少年時代の私の虚栄心や感傷やきたならしさも、この教会に結びついている。そのためであろう、私は今でもあの教会をふたたび訪れることがこわい気がする。>


ここで遠藤周作は「少年時代の私の心の風景はほとんどこの夙川の天主公教会に結びついている」と述べ、カトリック夙川教会が彼の原風景となっていることがわかります。


また、「あの教会をふたたび訪れることがこわい」という気持ちは、『神父たち(その一)』の冒頭でも述べられています。

<先日、私は二十年ぶりで自分が洗礼を受けた西宮市夙川のカトリック教会をそっとたずねてみた。二十年の間、懐かしい筈のこの地に行けなかったのは、自分の人生にある意味で決定的になった場所を見るのがこわかったからである。>

更に、

<自分の心に消しがたい物を与えてしまった場所をふたたび見ることには、ためらいと不安があった。それは犯罪を犯した場所にもう一度、戻りたいという犯罪者の心理にどこか似かよったところがあるのかもしれぬ。>

とまで、その心理を明らかにしています。

 

そして受洗した時の様子については、

<それでも一年の後、その教理問答を一通り受けると、洗礼を受けることになった。ほかの子供たちと並んで復活祭の晴れた日にこの教会で誓いの言葉を唱えた。「信じますか」という重々しい神父さんの声に他の子供と同じように「信じます」と元気よく答えた。本当に何もわかっていなかったし、何も求めてはいなかったのだが。

 しかしその時の一語がやがて私の生涯のテーマとなった。>

とカトリック夙川教会で受けた洗礼が、その後の人生に大きな影響を与えたことを、はっきり述べているのです。


 遠藤は洗礼式のあと、この正面の階段に並んで写真を撮ってもらっていました。

そして、その後10年たって体に合わない洋服を意識しはじめるのです。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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