阪急沿線文学散歩

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黒田征太郎が阪神淡路大震災の後に描いた夙川パボーニ跡

 黒田征太郎が阪神淡路大震災の後、6月2日に夙川のパボーニの跡を訪ね、絵を描きました。その絵が現在、堂島のカーサ・ラ・パボーニに展示されています。

(クリックしてご覧ください)


黒田征太郎は太平洋戦争の頃、夙川に住み安井国民学校に通っていました。

戦後、野坂昭如と少年時代の想い出話をし、印象に残っていた夙川の喫茶店パボーニを野坂と共に訪れています。

雑誌CoyoteNo.47 Autumn/Winter2012で次のように述べています。
<野坂さんは神戸で育ち、僕も物心ついたころに大阪から神戸に引っ越した。泳ぎを覚えた海岸も一緒でした。火垂るの墓で書かれた場所へ、野坂さんは神戸大空襲から逃れてきた。そこに僕が住んでいたんです。そこは爆弾が落ちて焼け野原になった。野坂さんと妹さんが住んでおられた横穴の防空壕を知っています。もうずいぶん前に二人でその一帯を歩いたことがあるんです。かつて少年だった時の目線と大人になった時の目線がどう違うのか、何が写るのか、検証したことがあった。誰に依頼されたわけではなかった。ただ確認したいと思った。酒を飲んでいて少年時代の話になって、野坂さんに「蔦がからまっている変な家がありましたね」と言うと、「あれは有名な喫茶店だよ」と野坂さんに笑われました。「一緒に行こうか」と案内していただきながらその場所の野坂さんのエピソードを紐解いていった。>

多摩美術大学学長 建畠晢氏が「地上に存在していることが奇跡ともいうべき美しい喫茶店」と称した夙川のパボーニも震災で倒壊しました。

その直後の写真です。

跡地は現在も空き地になっており、黒田征太郎が描いた絵のように二本の棕櫚だけが高くそびえています。

黒田征太郎は、無くなったパボーニへの思いを込めて、絵に次のような文章を加えています。

パボーニのあと。 玄関のシュロだけが残っている
が こげているらしい… 大丈夫だろうか。

青い空がかえってむなしく見える。

あの楽しかった壁画。あのあたたかかった空気。
もう二度ととりかえせない。

僕は子供のころ この近くに住んでいた。
そのころは この家はなんなんだろうと思っていつも見ていた。
その家がパボーニだったのだ。
                           
              黒田征太郎

震災の翌年、大石邦子さんの又姪にあたるかたが、堂島にカーサ・ラ。パボーニを復活されました。

http://pavoni.jp/index.html




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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