阪急沿線文学散歩

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結婚式を二度挙げた遠藤周作

 遠藤周作年譜によると、「昭和32年9月、岡田孝三郎の長女で当時、慶應義塾大学仏文科に通う後輩の順子と結婚。ホテルで式を挙げる前日に、ヘルツォーク神父の司式により上智大学のクルトルハイムで密やかに結婚式を行う。結婚後、経堂の父の家に同居するが、十一月に同じ経堂内で転居。」


この頃のことを小説『影法師』では次のように書かれています。
<娘との結婚には色々な曲折がありましたが、どうにか父を説得することができました。ただ父は条件を出しました。式はアーメンの教会などでやってくれるなと。僕と母との心理的な関係を父はどこまでも断ち切りたかったのでしょう。僕はこの馬鹿馬鹿しい申し出を聞き入れ、娘と相談して二つの結婚式をやろうと考えました。一つは父とその知人を集めたホテルでの式とそれからその娘と僕と二人っきりの教会での結婚式を。なぜなら、僕の妻になった彼女はその時、もう洗礼をうける決心をしていたのですから。勿論、その二人きりの式にミサをたれてくれるのは貴方でなければなりませんでした。>

『影法師』はフィクションですが、ほとんど事実を物語っているのではないでしょうか。

写真は上智大学クルトゥルハイム。


 18歳の時に母を仁川に独り残して父の家に移り、ずっと母を裏切ったと感じ苦しんでいた遠藤周作ですが、その母も昭和28年脳溢血で亡くなっています。
 それだけに、カトリック嫌いの父への反発も強く、二つの結婚式を挙げることになったようです。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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