阪急沿線文学散歩

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遠藤周作が小説の形を借りて語ったH神父のこと

 遠藤周作の小説『影法師』で描きたかったのは、最も人生に深い影響を与えたヘルツォーク神父のことであり、棄教者の心でした。

『影法師』は僕(遠藤周作自身がモデル)が貴方(ヘルツォーク神父がモデル)に出そうかと迷っている手紙文になっています。

<貴方を語り、母を語るということがこんなにむつかしいことだと今更のように思います。それを全て書くためには、それによって人々が傷つけられぬ時まで待たねばならぬ、いやそれよりも自分の今日までを全て語らねばならぬ。それほど貴方と母とは僕の人生にひっかかり、その根を深くおろして離れない。やがて僕は自分の小説のなかで貴方と母とが僕に与えてくれた痕跡と、その本質的なものを語ることができるでしょう。>
 ここで述べられているように、小説『沈黙』のフェレイラは、実在の人物でしたが、そこにヘルツォーク神父の心を重ね合わせて描いたともいえるでしょう。

『影法師』の後半で、遠藤はためらいながらも最も衝撃的なことを語ります。
<そんなくだらぬことを書いているのも、実は僕がこの手紙の中心部に触れるのをどうしてもためらっているからなのです。今、あのことを語らねばならぬ段階にきて、筆がにぶるのをさっきから感じています。貴方を深く傷つけるのではないかという怖れが、ここまで書き進んできたものを抑えつけます。しかし許してください。>と許しを請いながらも、書き進みます。
 小説ですから、結婚式の当日のことにしています。
<彼女は見たと言いました。貴方に僕らの到着したことを知らせるため事務室の扉を押し開けた時、貴方はあのいつか我々が戸口で出会った顔色のよくない女性と体を離した瞬間だった。貴方の顔のすぐ真下にその女の顔があり、娘は何も言えず、扉を開いたまま戻ってきたというのです。「なんだって」僕は娘の頬を平手で叩きました。「変なかんぐりを、君までするのか」叩かれて娘は頬を抑えていました。「私を信じなさいという貴方の言葉がゆっくりと甦ってきました。>

 小説に書かれたことは事実に近く、妻の遠藤順子さんが『夫・遠藤周作と過ごした日々』で明らかにしています。
<ついにある日、意を決して主人に「あの二人は尋常な仲ではないと思うので、あそこへは通えない」と清水の舞台から飛び下りたつもりで申しました。私の答えに主人の怒りは凄まじいものでした。私は不器用な上に雑でドジばかりやっていましたから。怒られたり怒鳴られたりは年中でしたが、主人があの時程怒ったことはその後一度も見たことはありませんでした。「あの人格高潔な神父さんに対してお前は何という汚らわしい想像しか出来ないのか?」「お前はあの神父様に公教要理を教えて頂く資格などない人間だ」「あおのようなお前の考えを知った以上、もう神父様にお前の指導をお願いするわけにはいかない。お前は自分の汚れた心の為に折角俺が作ってやったチャンスをみすみす駄目にしたんだ」と大怒りでした。>
その後1957年、ヘルツォーク神父は突然失踪。上智大学教授依願退職。イエズス会退会します。
『夫・遠藤周作と過ごした日々』から続けます。
<H神父様が女性問題で責任をとられて、還俗なさるという話を主人の兄から電話で知らされました。教会からの追放という厳しい懲罰を受けられ、教会への出入りは無論のこと、ミサにもあづかれない身の上になられたと聞いて、主人はまるで自分が死刑の宣告でも受けたような様子でした。相手の女性が自分達兄弟の従兄弟に当たる人の家内であった事が二重の重荷となりました。>と書かれており、長らく遠藤周作を苦しめたのでした。

 私が『沈黙』の宣教師フェレイラにヘルツォーク神父の心が重ねられていると、最初に書いたのは、エッセイ「『沈黙』踏絵が育てた想像」に次のようにフェレイラについて書いてあることからです。
<だがそれよりも「転びバテレン」である彼らが転んだあとも日本人の役にたとうとした心理に私は言い知れぬ切なさを感じる。彼らは日本人に役だとうと思ってこの遠い国に布教に来た。しかしそれが拷問によって挫折したあとも彼らには司祭の欲望が残っていたのである。人々のために役に立とうというあの司祭の欲望が……。>

「影法師」の最後でも、棄教した神父がひそかに十字を切った姿が描かれています。
<なぜなら、霧雨のふる渋谷のレストランで、貴方はボーイが一皿の食事を運んできた時、他の客に気づかれぬよう素早く十字を切ったのだから。僕が貴方についてやっとわかるのはまだそれだけです。>
これは、まさに人の為に役に立とうという司祭の欲望が残っていることを示したかったのではないでしょうか。





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