阪急沿線文学散歩

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遠藤周作『口笛をふく時』戦前の灘中と甲南中学

 さて戦前灘中に国道電車を使って通っていた遠藤周作ですが、国道電車には甲南女学校の生徒のほかに甲南中学の男子生徒も乗っていました。当時はライバル校だったのかもしれませんが、『口笛をふく時』には灘中生と甲南中生の喧嘩の様子が描かれていました。
 いつものように授業を終えて小津と平目は住吉橋から国道電車に乗ります。

<その日、いつものように平目と国道電車に乗った。例によって甲南の女学生たちを意識しながら身をかたくして吊革にぶらさがったが、どうしたわけか、この電車のなかには一人のセーラー服も腰をかけていなかった。「今日、寄り道せいや。ぼくの家の近所に戎さんあるさかい」と平目は鼻をすすりながら小津を誘った。「串カツや飴細工の屋台がでとるねん。おもろいで」戎さんとは西宮で一番古い大きな神社でしかも官幣大社だった。小津は元旦、母親につれられ、弟と一緒に初詣をした憶えがあった。>

灘中生は住吉橋から国道電車に乗りますが、甲南女学校の生徒たちが載ってくるのは、500mほど離れた、次の停留所からでした。

ここで戎神社が登場しますが、官幣大社ではありません。既にキリスト教徒になっていた遠藤母子ですが、ひょっとして小津母子のように初詣に戎神社に行ったことがあるのでしょうか。

<にぶい音をたてて電車が何番目かの停留所にとまり、変な声をあげて別の中学の生徒たちが乗り込んできた。小津たちの灘中と何かにつけて仲の悪いK中学の連中だった。「はア。カルピスの味は初恋の味か。おもろいなア」彼らの一人は小津たちを意識して殊更に大きな声を出した。「見いや、灘の奴ら、眼ヅケしてきよるで」平目が眼をショボショボさせて彼等をぼんやり眺めた因縁をつけてきたのである。>

ここで乗り込んできたきたK中学の連中とは甲南中学に違いありません。

旧制甲南中学設立時の校地は現在の甲南大学の場所にありました。


戦後の国道電車の路線図がありました。甲南中学は山手にありましたが、もし国道電車に乗るのなら、南にまっすぐ下れば甲南女学校と同じ停留所の「甲南学園前」から乗り込んだはずです。

<電車が芦屋川の松並木で停まった時、小津は急いでドアから飛びおりた。そのあと平目が不器用についてきた。白い川原にわずかの水が流れていた。松並木の間を自転車に乗った男が通り過ぎる。「あいつら後ろから来るで」平目がかすれた声で呟き、後ろをふりかえた。>
芦屋川の業平橋の停留所で小津と平目は国道電車を飛びおりますが、そのあとを追ってこられます。

東京の黒い土が嫌いだと語っていた遠藤周作が、「白い川原」と書いているのが印象的です。このあと、芦屋川の川原で喧嘩が始まるのです。





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遠藤周作 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

東京の(首都圏南部の)黒い土が大嫌い、というのは私と同じですね。なんだかうれしい。ホンマに見てぞっとする黒い土。私が一歩外に出ればそこらじゅうにある黒い土。

[ せいさん ] 2018/03/01 10:37:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

せいさんのお気持ちはわかるような気がします。私は、昔白い土という表現がピンときませんでしたが、東京に行ってよくわかりました。

[ seitaro ] 2018/03/01 11:27:54 [ 削除 ] [ 通報 ]

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