阪急沿線文学散歩

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バンコクはどう変わったのか?『深夜特急第一便』からBS“チョイ住み”まで

 BSプレミアムに“チョイ住み”という旅番組があり、バンコクの快適な借家暮らしの様子がでてきましたので、見入ってしまいました。

 普通の家に住み、日用品を買い、食事を作り、近所の地図を覚え、その日ふと思い立った場所へ出かけ、地元の飲み屋でクダをまき、疲れたら家でテレビを見る。現地の人と同じ目線に立つことで、ガイドブックには載っていないその国の姿が見えてくるという番組。

 番組を見ながら思い出していたのは沢木耕太郎の『深夜特急』でした。沢木耕太郎が20代のときに成し遂げたユーラシアの果てまでの旅行記で、当時バックパッカーの間でいわばバイブル的に扱われるようになった作品。1970年代前半の交通事情、宿泊事情、途上国の貧困さの一端も伺えました。

一人だったらこんな旅をしてみたいと思った旅行記で、今もこのシリーズは大切に持っていますが、タイには一度も行ったことがありません。テレビで小説の約40年後のバンコクの姿を見ながら、行ったことがないにも関わらず、なぜか懐かしく感じていました。

『深夜特急』のバンコク到着からです。
<バンコクの天気は晴れ、温度は二十九度、というスチュワーデスのアナウンスがあって十五分後に、飛行機はバンコク・ドムアン空港に着陸した。入国の手続きも税関の検査も拍子抜けするほど簡単だった。空港ビルは閑散としておりどことなく気怠そうな雰囲気が漂っている。それでも出入口にはタクシーの運転手が屯し、盛んに客引きをしていた。>

 増子が到着した空港はバンコク中心部より東へ約30Kmに位置し、敷地面積は沢木が到着したドンムアン空港の5倍、成田国際空港の約3倍の広さを誇るというスワンナプーム国際空港。

増子でさえ新国際空港の大きさには驚いています。
 増子はインフォーメーションで尋ねて、白石の待つ宿泊先へ鉄道で向かいます。

 インフォメーションカウンターの女性が化粧をしているのは、沢木が言っている気怠そうな雰囲気がなすところでしょうか。

近代化したとはいえ、屋台サイドカーがトヨタの高級車とすれ違ったり、

屋外での洋服の手直し屋さんなど、新旧入りまじった街の風景。

『深夜特急』で沢木がバンコクで泊まった最初のホテルはゴールデン・プラザという立派な名前のホテルですが、一泊120バーツ、日本円で1800円。ボーイの女の売り込みに嫌気がさして、別の宿に移ります。
<そこは看板も出ていない、しもたや風の建物の二階にある宿だったが、地図が正確なおかげで簡単に見つけられた。金物問屋の横の階段を登っていくと、暗い踊り場に老婆がひとり椅子に座っていた。>
そこで老婆に部屋を見せてもらいます。
<その部屋はゴールデン・プラザと比べると三分の一もないような広さだった。小さなベッドに小さな窓。クーラーはもちろんあるはずもなく、部屋と不釣合いなほど大きな扇風機が天井からぶら下がっているだけだ。それでも狭いトイレにはシャワーがついている。>
この宿泊費はゴールデン・プラザの四分の一、30バーツ450円でした。

 一方増子と白石が借りた家は、白い塀を張りめぐらせ、頑丈そうで立派な門扉が付いた邸宅。

自転車が置いてあるのは、本来のガレージ、右側の白い建物は日本の豪邸にもみられたドライバーか庭使のための部屋(家?)でしょう。
タイの貧富の格差が垣間見えてきます。

素晴らしい発展を遂げたバンコクの街。

約40年前に訪れた沢木耕太郎はその騒音に驚きます。
<とりわけ意外だったのはその騒音である。バンコクは東京や香港以上にけたたましい街だった。オートバイはマフラーをつけずに走り廻り、サムロと呼ばれるミゼット型のタクシーは爆音のような凄まじい音を残して発進し、バスはバスで絶え間なく警笛を鳴らしている。>

ミゼット型のタクシーは今も健在でしたが、騒音はテレビの映像だけではわかりませんでした。

 食事の値段で、タイの物価がどの程度上がっているのか推定できます。
 沢木耕太郎のバンコクのうどん屋での朝食の値段です。
<出されものは私の望んでいた通りのものだった。スープは胡椒のよくきいた塩味で、ひとくち飲んだ時、日本のなつかしい味がした。麺にも必ずモヤシが使われるということを含めて、それはバンコク版塩ラーメンといった趣きのある食べ物だった値段は五バーツ、約七十五円という。これでバンコクにいる間は飢えなくてもすみそうだと安心した。>

「チョイ住み」では同じ食べ物は出ませんでしたが、庶民的な店で、このエビのバカオライスが160円。

二人でシェアできそうな量の三品で、570円ですから、40年で1.5倍程度の値上がりでしょうか。

二人が食事したこのテント張りのようなお店。

 気になったのは夜間に小学生高学年か中学生くらいの少女が数名、ウエイトレスの仕事をしている姿。
 今の日本では考えられませんが、少女たちの表情は決して暗いものではなく、生き生きしていました。学校の授業が終えて塾通いをする日本の子供たちと比べて、本当はどちらが幸福なのでしょう。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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