阪急沿線文学散歩

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『口笛をふく時』甲南女学校東愛子のモデルは佐藤愛子?

 遠藤周作『口笛をふく時』で灘中の劣等生平目が熱く思いを寄せるのが甲南女学校の東愛子です。
 小津と平目は学校帰りに甲南中学の生徒と芦屋川の川原で喧嘩をしてしまい、平目は手の甲を負傷し、業平橋の停留所に戻ります。

その途中で、初めてセーラー服の甲南の女生徒に声をかけられます。
<「いかん、甲南の女の子、来よるがな」体をかたくして小津は眼を川原の方にそらせて歩いた。相手を痛いほど意識しているくせに、いざとなると、まともに見つめられぬのだった。彼女たちとすれちがった時、セーラー服の白さを肌で感じ、何か甘酸っぱい匂いをかいだように思った。「まア」とその一人が声をあげた、この瞬間に、平目の人生と人生の方向とのすべてが決まったのだと小津はあの時は夢にもわからなかったのである。>
手の甲から血が出ているのを見つけた女生徒は、ガーゼを鞄からだして、差し出します。
<「あら、そんな縛りかたじゃ駄目。わたし、やってあげる」眼の大きな女の子は平目のそばに寄り、当惑の絶頂にあるこの少年の手からガーゼをとった。小津は、ただもう仰天してこれらの様子を茫然と眺めていた。>
 そのあと二人は国道電車で西宮二丁目まで行き、平目の家に遊びに行ったのです。

今や国道電車は通っていませんが、写真の阪神国道を西宮に向かったのです。

 この後、平目は甲南の女の子の名前を知りたいと、芦屋川業平橋の停留所で彼女の帰りを何度も待ち続けることになります。
のちに名前は東愛子と判明しますが、このモデルはどう考えても佐藤愛子さんです。
遠藤周作は1923年3月生まれ、佐藤愛子は1923年11月生まれですから、同じ時期に灘中と甲南女学校に通っていたのは間違いありません。

そして<声をかけたセーラー服の一人は日に焼け、大きな眼をしていた。その眼をクリクリさせて彼女はまるで兄弟にでもするように気安く話しかけてくる。>という表現も、甲南女学校時代の佐藤愛子さんそっくりなのです。

 遠藤周作は1970年『神戸っ子』4月号で<あの「周作怠談」の佐藤愛子なんか、僕らの憧れのまとやったんや。>と述べています。
『昔のセブンティーン』というエッセイでは、甲南女学校のあこがれの女生徒について次のように語っていますが、その女生徒も佐藤愛子さんだったのかもしれません。
<我々の中学のすぐ近くにKという女学校がありましてな、そこの女の子が校門からキャア、キャア、たのしげに笑いながら出てくるのを山田と小生とは暮れ方、陰険な眼でその附近の叢にかくれて窺っておるのであった。彼女たちのなかに、ひときわ、美しい女学生がおりました。まるでクイーンのように誇り高く、歩いておる。今でも思い出すと、胸に焼け火箸をあてられたようによみがえってくるのだったが、彼女の姿が校門から見えると、山田も小生も、電気にかけられたように体がふるえ、ワッと叫んで一目散に逃げだすのが常であった。>

遠藤周作は友人とこの校門の近くの叢で佐藤愛子さんを待っていたのかもしれません。





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遠藤周作 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

 そうだったんですね 

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2018/03/05 9:18:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

どうも間違いなさそうです。

[ seitaro ] 2018/03/05 16:19:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

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