阪急沿線文学散歩

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遠藤周作『口笛をふく時』東愛子の家は芦屋市平田町

 甲南女学校の女生徒に心を奪われた平目は、灘中からの帰り道、小津を誘って国道電車の芦屋川の停留所で彼女が降りてくるのを何日も待ちます。
<小津は今でも思い出すことができる。あの日以後、時折、平目が帰校の途中、ガタゴトとゆれる国道電車が芦屋川の間近に来ると、「なア、一緒に降りてくれや」魚のような顔に哀願の色をいっぱい浮かべて自分に頼むようになったことを。>

昭和初期の業平橋を走る国道電車です。
二人はここで国道電車が止まるのを三台も、五台も待つのです。
<芦屋川の土手には松並木がつづいている。両岸には昼ざかりにも、ひっそりと静寂な邸が長く続く。邸の塀の影がくっきりと白い花崗岩質の道に落ちている。いやいや、つきあうような素ぶりを見せてはいるが、小津自身、本当は自分もあの娘たちに会いたいのだ。>

現在の業平橋から下流の写真です。静寂感はあまりなくなりましたが、昔の松並木が一部残されています。

 何日もここで待った後、その日待った4台目の国道電車から遂にあの甲南女学校の3人が降りてきたのです。
<「亀しよう」と囁いた。みると平目の額に汗が少し浮き出ていた。亀するとうのは当時の阪神の中学生たちの言葉で、兎を追いかける亀のように、女学生たちのあとを尾行することだった。尾行するだけで声ひとつ、かけられぬくせに、ただいつまでも従いていくのだが、それを「亀する」というのである。三人の娘たちは、ずっと前方を並んで歩いていた。白い道が川に沿って真直ぐに伸びている。娘たちのセーラー服のスカートから黒い靴下をはいた格好のいい足が動いている。>

この芦屋川沿いの松林の道を二人は亀したのでしょう。

 先日この道を歩いたいたところ、驚いたことに国道43号線を横切ってしばらく南に下がったところで、芦屋川の水流が消えていました。

伏流水となっているのでしょうが、海岸までまったく枯れていました。

小説に戻りましょう。
途中二人の友だちと別れて残ったのがあの陽に焼けた、眼の大きな女学生でした。
<彼女が歩きだすと二人の中学生たちも同じくらいの歩調であとをつけた。両者の間隔はいつまでも同じで、長くも短くもならなかった。それが当時の中学生の「亀する」やり方でもあった。
 橋をわたって彼女が向こう岸に行った時、小津たちは横にある邸の門おかげにかくれて見つからぬように体をちぢめた。やがて彼女が蔦のはえた煉瓦の塀をくぐった時、二人は何もしめし合わせぬくせに、駆けるように足を早めた。それは木造の家に洋風の建物がついた和洋折衷の家だった。このような家は夙川や芦屋のような高級住宅地には多かった。>

この橋、ぬえ塚の近くにある「ぬえ塚橋」に違いありません。

この橋を渡ったところに東愛子の邸があったのです。

このあたりにあったことになるのでしょうか。

以前あったランドマーク的な洋館旧田中岩吉邸はマンションに変わっていました。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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