阪急沿線文学散歩

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『チョイ住みinプラハ』プラハの春からもう50年か!

 BSプレミアムの『チョイ住みinプラハ』、キャストは俳優の佐藤寛太とミュージシャンの伊藤一朗。


 もう50年も前になる1968年春にチェコスロバキアで起きた民主化の動き「プラハの春」を思い出しながら、現在の街の人々の平和な暮らしを感慨深く見ていました。 
 1968年1月には改革派のドプチェクが党第一書記に就任しましたが、社会主義体制の危機を感じたソ連のブレジネフ政権が8月にワルシャワ条約機構軍 20万人を投入し、その民主化の動きを圧殺。ドプチェクは解任されフサーク政権が誕生したのです。その後、ようやく1989年のビロード革命によりチェコスロバキアの民主化が達成されたのです。

 当時の様子を舞台にした春江一也『プラハの春』は、プラハの美しい景色とロマンスが描かれ、私がいつか行ってみたいと思うようになったきっかけでした。

 小説『プラハの春』に書かれているプラハの市民の街に対する愛着と石畳の様子です。
<亮介が感心していたのは、このルートの道路が石畳であったことである。いや、プラハ市内中心部のほとんどが石畳で、レンガほどの大きさの石がモザイクのように敷き詰めてあった。あらゆる種類の車が走り、市街電車まで通る石畳の道は傷みやすい。しかも冬の雪や凍結のため、でこぼこになってしまうのだ。この傷んだ石畳の道路は、丹念に手作業で修復しなければならなかった。春先、その修復工事があちこちで始まっていた。プラハの街に対する市民の愛着は、並大抵のものではなかった。>

この石畳は現在も守られ、番組スタッフがまったく同じことを述べています。

<美しい建物と彫像を見ようとすると、ついつい顔は上を向きがちですが、実は足元にもプラハの特徴があります。それが石畳。

街全体が世界遺産ですから、路地裏や歩道が石畳になっているのはわかりますが、車道でさえ、その一部は舗装の代わりに石が敷き詰められていて、ガタガタと激しく揺れながら車が通り過ぎていきます。正直に言えば、ずいぶんと歩きづらいし、足も痛くなって困るのですが、一度舗装された道路を、もう一度わざわざ石畳に置き換えたところもあるそうで、どうやら石畳には相当なこだわりがあるようです。>

 さて、代表的なプラハの眺望の一つはカレル橋。

春江一也『プラハの春』では、次のように描かれています。
<橋は眺望を楽しむ、そぞろ歩きの人々で賑やかだった。この橋はカレル四世によって
一三五七年に工事が開始され、十五世紀に完成した石の橋であった。その後十八世紀に橋の両側欄干の上に、キリストの使徒たちの像が三十体並べられた。像は現在まで二百年余り、歴史的遺産として大切に保存されてきたのだ。聖フランシスコ・ザビエル像のそばに二人は立ち止った。>
この光景も現在もそのまま守られています。

 番組を通じて感じたのは、豊かになったように見える人々の暮らし。

学生時代にヨーロッパで出会ったチェコからの学生たちはもっと質素だったような記憶です。

百塔の街と呼ばれるプラハ、世界の都市景観の中でも一、二を争うこの街をいつか訪ねたいと願っています。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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