阪急沿線文学散歩

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遠藤周作『口笛をふく時』東愛子は芦屋から仁川へ

 遠藤周作『口笛をふく時』で小津は平目より十円の為替を東愛子に渡すよう頼まれ、芦屋の家を訪ねますが、女中から結婚して仁川の月見ヶ丘に転居したことを知らされ、仁川に向かいます。

<教えられた仁川なら彼も一、二度、行ったことがあった。阪急の今津線にそった駅で芦屋とはちがい、もっと西洋風の家が小さな川沿いに並んでいる。松林の多い住宅地だった。>
 これは昭和15年ごろのお話ですが、現在の仁川には松林や洋館はほとんど見られなくなりました。

<夕暮、阪急電車の仁川駅で降りた。小さい駅の前にパン屋と本屋と八百屋の三軒があるだけで、ほかに店は見あたらぬ。芦屋川より、もっと小さな白い川原にそって松林に囲まれた瀟洒な洋館が並んでいる。小津はここに二度しか来たことはないが、そのたびごとに異国の高原の別荘地にでも来たような感じがした。>

物語の10年後、戦後の阪急仁川駅。現在とは反対の西側がメインの駅前通りでした。

現在残っている数少ない仁川の洋館。

現在も残っている木の扉のあるガレージです。
しかし、戦前の風景とは随分変わっています。

<キムラ屋と書いたパン屋で月見ヶ丘の場所をたずねると「ああ、長山さんの家でっか」パン屋の主人は愛子の嫁ぎ先を知っていた。「この道を右にいきまんねん。大きな池がありますさかいな、その池のあたりで訊ねはったらよろし」教えられた道をしばらく行くと、池がちらほらと林の間に見えた。近づくとかなり大きな池で貸しボートという立札が立っていた。愛子のあたらしい家は塀の高い洋館だった。>

仁川駅前にあった「きむらや」という雑貨屋のGouldonさんの写真がありました。

大きな池とは弁天池のことです。

現在の弁天池には貸しボートはありませんが、戦後まもなくの写真には貸しボートが写っています。

月見ヶ丘は遠藤周作が母としばらく住んでいた町です。

角の赤いポストのあたりに遠藤邸があったのですが、そこを愛子の嫁ぎ先に設定したようです。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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