阪急沿線文学散歩

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『街道をゆく1』湖西のみち、近江最古の白髭神社へ

 弟子𠮷治郎さんの『湖猫、波を奔る』で浜大津から湖西の日吉大社までやって来ましたので、更に北上して、司馬遼太郎『街道をゆく1』の湖西のみちをたどってみることにしました。

目指すは近江最古の神社といわれる白髭神社。
司馬遼太郎は『街道をゆく』の連載を、「日本人はどこから来たか」というテーマの答えを求めて、琵琶湖西岸の「湖西のみち」を選びます。そして渡来人の痕跡を湖西にみつけます。
<われわれは叡山の山すそがゆるやかに湖水に落ちているあたりを走っていた。叡山という一大宗教都市の首都ともいうべき坂本のそばを通り、湖西の道を北上する。湖の水映えが山すその緑にきらきらと藍色の釉薬をかけたようで、いかにも豊であり、古代人が大集落をつくる典型的な適地という感じがする。>

浜大津から見た比叡山と坂本のあたりです。

司馬遼太郎は湖岸に散在する渡来人の影を求め、北小松の漁港に立ち寄ったあと、白髭神社に向かいます。

<この漁港から湖岸をわずかに北へ行くと、山がいよいよ湖にせまり、その山肌を石垣でやっと食いとめているといったふうの近江最古の神社がある。白髭神社という。>


水上に鳥居が立っています。


 その解釈は、NHK「街道をゆく」プロジェクトによる『司馬遼太郎の風景A』に述べられていました。
<その理由は、神社の裏山に登って辺りの風景を見渡すとよくわかる。国道一六一号線が鳥居と神社の間を断ち切るように走っているので、今は鳥居は境内から孤立して見えるが、上から俯瞰すると、琵琶湖の中の鳥居と神社の拝殿と裏山に登る参道は、すべて一直線上に並んでいることに気づく。かつて、自動車が普及する以前は、舟に乗って湖を渡ってくる水上の道こそが、この神社への参詣路であったことを示すものに違いない。現に付近の漁村には、今でも正月には舟でこの神社に詣でる人もいるという。>

湖上クルーズがあり、湖上からはこのように見えるのです。
まさに水上の参詣路。

<「正体は猿田彦也」といわれるが、最近、白髭は新羅のことだという説もあって、それがたとえ奇説であるにせよ、近江という上代民族の一大文明世界の風景が、虹のようなきらびやかさをもって幻想されるのである。>
 司馬遼太郎は白髭は新羅のことだという社名の由来説を引きながら、はるかな古代への風景に思いを馳せたのです。古代においては琵琶湖こそが、朝鮮半島と日本列島中央部とを結ぶ巨大な街道だったとしています。

<白髭神社の宮司・梅辻春樹さんの話によると、祭神の猿田彦は古来、道案内の神様だったいう。この神社が琵琶湖西岸のほぼ中央に位置し、湖を行く人々がちょうど舟を泊めて立ち寄るであろう場所に存在することを考え合わせえると、興味深い符合である。>

朝鮮半島から日本海を横切って若狭に上陸し、湖北岸から浜辺に立ち寄りながら湖上を南に下って大津に至り、大和へ向かったと推定しているのです。

ここまで来たならと、マキノのメタセコイア並木まで行ってきました。


3月末の時期外れでしたが、想像以上の長さで、一見の価値はあります。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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