阪急沿線文学散歩

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遠藤周作『砂の城』甲東園で母が見た景色は

 遠藤周作『砂の城』で、主人公泰子の結核で亡くなった母が、泰子の16歳の誕生日にあけるよう遺した手紙から続けます。

<もし、いつか機会があったら、電車にのって西宮北口という駅で宝塚行に行く阪急の支線に乗り換えてごらんなさい。十六歳の時の母さんが見た山や空をきっとあなたもそのまま眺めることができるでしょうから。
母さんはあのあたりの風景が大好きでした。海からは離れているのに、まるで海岸近くのように松林が至るところにあり、松林のなかに別荘風の家々がちらばり、六甲山から流れてくる川の川原が白くかがやき、その川の彼方に山脈が青く拡がっているのでした。母さんはそんなところで少女時代かを送ったのです。>

 母が戦前の少女時代に住んでいた「甲東園」は、明治時代に大阪の実業家、芝川又右衛門が開発し、ぶどうなどの果樹を植えた「甲東(芝川)農園」が起源で、当時植えられた梅の木が現在の「甲東梅林」として残されています。明治33年に「甲東農園」は「甲東園」と変わり、阪急西宝線(現・今津線)の開通時に、その名称が駅名となったそうです。

 泰子の母が住んでいたのは昭和18年の頃のことでしょうが、当時の甲東園はどのような風景だったのでしょう。「六甲山から流れてくる川」とは仁川のことです。

現在の仁川ですが、白い川原はほとんど見えず、草が茂っています。

当時の様子がわかりそうな資料の一つは、昭和11年の吉田初三郎の西宮市鳥観図。

西宮の中央部はかなり詳しく描かれていますが、今津線あたりは、東端に近く、阪急今津線も湾曲させて描いています。甲東園駅や仁川駅の周りには住宅がありますが、その周りは林や畑だったようです。仁川と逆瀬川の間に宝塚ゴルフ倶楽部が描かれています。

西宮市制90周年「西宮という街」に昭和28年の甲東園駅の東側から六甲山系、甲山を臨んだ写真が掲載されていました。

民家が見えますが、やはり田畑と林が多かったようです。

<その頃母さんはセーラー服にモンペをはいていました。モンペをはいているのは学校からの命令でした。ながい戦争が更に烈しくなって、十六歳の娘たちも年相応のはなやかな服装をすることは許されず、そんな作業むきの恰好で登校させられていたのです。>

昭和18年、女学生たちはモンペ姿でした。
そして泰子の母は、甲東園の恩地病院の坊ちゃんに初恋します。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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