阪急沿線文学散歩

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山田太一『空也上人がいた』空也上人立像

山田太一『空也上人がいた』から続けます。


 六波羅蜜寺の正門に到着した草介は、吉崎老人から携帯で指示を受けながら、宝物館に向かいます。

<「正門のところにいます。すぐ向こうにお堂が見えます」「そうなんだ。本堂だよ。いくらもあきがない。門も道ぎりぎりで、閉まってるだろ」「閉まってます」「少し先に入り口がある」「あります」>
 確かに正門は閉まっていました ので、私たちもその先の入り口から入りました。

正門には菊の御紋がありましたが、尋ねてみると、開基した空也上人は醍醐天皇第二皇子ということからだそうです。

<「そっちの正面には朱色に塗った社の巳成金弁財天があってちょっと古寺というよりお稲荷さんにでも来たようだ。この気取りのなさがいい、人が来てるだろ。いい季節だ」「はい、何人も、五人とか、三人とか」「人気がある。宝物館に入るチケットを売っているはずだ」「売ってます」>

こちらがその弁財天のお堂です。
手前にある入り口で、宝物館のチケットを買いました。
<「折角だから本堂にも手を合わせなきゃいけない。賽銭は私の分と二百円だ」「入れました。拝みました」「左へ行くと回廊がある。その脇は小さな墓場だ」「墓場です」「澄ました石庭なんかよりずっといいじゃないか。そして、つき当りが収蔵庫だ。宝物館だ」>

本堂で参拝して、左手の回廊から宝物館に向かいました。
小さな墓場とは「六波羅浄心苑」という永代供養の樹木葬墓地でした。

さていよいよ宝物館です。

<狭い場所にいくらの間隔もなく、薬師如来、持国天像や増長天像やら平清盛座像などが陳列され、そのどれにも赤字で「重要文化財」と添え書きがあり、その列の中に、特別扱いもなく、空也上人立像があった。>

写真撮影は禁止されていますので、入館時にいただいたパンフレットの写真からです。

<小さな僧侶の像だった。一米少しという印象。粗末な衣はわずかに膝をかくすまでしかない。細い二本の足が露わで紐でしっかり結んではいるが、すっかり薄くなっている草鞋。首から吊るした鉦。それを叩く種目が右手に。その先に鞘のように鹿の角。髪のない頭。薄目でやや上向きに顎を出し、その小さくひらいた口から、針金に支えられて小さな仏像が六体。
「だからこれ、南無阿弥陀仏の六文字ね。空也上人が念仏を称えると口から次々阿弥陀さまが現れた」と私と前後してやはり上人の像に立止まる何人かの、誰にいうともなく係の中年男性が説明をはじめた。>

草介はその係の男性から肩を軽く叩かれます。
<正面からばっかり見ていないで、ここらへしゃがんで。しゃがんでお顔を見上げてみなさい。ここら、ほら、ここら、ほら」断りにくく、しゃがんで見上げた。声が出なかった。動けなかった。「どう?もうええでしょう。他の人に場所をゆずって。さあ、ゆずって、立って」三十代の女と替わった。すぐ女は声をあげた。「目が光った」「そうでしょう。下から見ると目が光る」「生きとるよう」「そう。生きておられるようでしょう」>
 私も下から見上げて、光る目を見せていただきました。木像の目の部分には水晶玉が埋め込まれているのですが、わかっていても感動します。 
山田太一は、実際に空也上人立像を見た時の感動を小説に著わしたくて、この小説を書いたのではないかと思ってしまいました。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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