阪急沿線文学散歩

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佐藤愛子さんは本当に灘中で評判の甲南女学生だったのか

 遠藤周作『口笛をふく時』で登場する東愛子は佐藤愛子さんがモデルになったのに違いないのですが、遠藤周作の灘中時代に佐藤愛子さんはどんな存在だったのでしょう。
 遠藤周作は1923年3月生まれ、佐藤愛子は1923年11月生まれですから、同じ時期に灘中と甲南女学校に通っていたのは間違いありません。

当時の甲南女学校は灘中の近くの、住吉川西側の東灘区田中町4丁目12-1にありました。

現在は本山南中学校となり、甲南女子学園発祥之地の石碑が建てられています。

『口笛をふく時』では国道電車からおりてきた甲南女学校に通う東愛子ら3人のあとをつける場面が描かれています。
<「亀しよう」と囁いた。みると平目の額に汗が少し浮き出ていた。亀するとうのは当時の阪神の中学生たちの言葉で、兎を追いかける亀のように、女学生たちのあとを尾行することだった。尾行するだけで声ひとつ、かけられぬくせに、ただいつまでも従いていくのだが、それを「亀する」というのである。三人の娘たちは、ずっと前方を並んで歩いていた。白い道が川に沿って真直ぐに伸びている。娘たちのセーラー服のスカートから黒い靴下をはいた格好のいい足が動いている。>

 さてこの小説の場面のように、実際に佐藤愛子のあとをついていったことを、遠藤周作はエッセイ集『心のふるさと』に収められた「マドンナ愛子と灘中生・楠本」で述べています。
<佐藤愛子はその頃から実に美貌で、我々灘中生の間でも評判だった。私は楠本と、彼女と彼女の友だちを下校の途中、よく「カメ」したものである。「カメする」とは私たち中学生の用語でうしろから尾行することなのだ。と言って別に何か悪いことをするのではない。話しかける勇気もないままに尾行して、彼女の家の玄関の前で、「バカ」と言われて、お終いなのだ。>

そうすると『口笛をふく時』の平目は楠本憲吉をモデルにしたのかもしれません。

 さて佐藤愛子さんがそれほど有名だったのは、美貌のせいだけではなく、当時から有名だった小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の娘だったからでしょう。


 遠藤周作は楠本憲吉と一緒に飲み歩いて、昔の愚行の思い出をよく話したそうです。
<話題のなかには佐藤愛子という女学生のこともよく出てきた。灘中の近くに甲南女学校という女子高があって同じ電車に女学生があまた乗ってきた。そのなかに我々の灘中生の話題になった一人の美しい生徒がいた。そえが佐藤愛子で有名な小説家の娘だという話をきいた。三色の襟巻を首に巻いた彼女は灘中生たちの前で颯爽と電車に乗った。
 私等がー特に私は彼女たちの注目を引こうとして吊り革にぶらさがって曲芸をしたものだが、女学生たちは知らん顔をして見ぬふりをしていた。>

遠藤周作は夙川から国道電車で灘中に通っていたようですが、吊り革にぶらさがって曲芸をした場面は小説にも登場し、この電車にも思い出がいっぱい詰まっていたようです。





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