阪急沿線文学散歩

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遠藤周作のエッセイにも小説にも登場する敷島劇場とは

 昔、阪神西宮駅に近い札場筋沿いに敷島劇場という映画館がありました。この映画館は、戦前、遠藤周作が灘中に通っていたころ、学校をさぼって鞍馬天狗などをよく見に行っていた映画館で、その思い出を小説にも描いています。


 短編小説『母なるもの』には長崎五島の隠れキリシタンの集落を訪ねたときのことと、併せて夙川で母と暮らしていた頃の出来事が書かれています。
<級友で田村という生徒がいた。西宮の遊郭の息子である。いつも首によごれた繃帯をまいて、よく学校を休んだが、おそらくあの頃から結核だったのかもしれない。優等生から軽蔑されて友達も少ない彼に私が近づいていった気持ちには、たしかに厳しい母に対する仕返しがあった。>
 遠藤周作が灘中2年か3年、昭和11年前後の出来事が背景にあると思われますが、昭和11年の吉田初三郎の鳥観図を見ると、西宮の遊郭と、敷島劇場が描きこまれていました。



本当に遊郭の息子の友人がいたのかもしれません。
昭和9年の西宮遊郭の写真。

戸田町・与古道町の南境の裏町筋に集めれていたそうです。

<学校の帰りに映画に行くことも田村から習った。西宮の阪神駅に近い二番館に田村のあとから、かくれるように真暗な館内に入った。便所の臭気がどこからか漂ってくる。子供の鳴き声や、老人の咳払いの中に、映写機の回転する音が単調にきこえる。私は今頃、母は何をしているかと考えてばかりいた。>
小説では「二番館」という名に変わっていますが、場所を考えると敷島劇場にちがいないのです。

大正11年創設当時の敷島劇場。立派な建物です。
 この敷島劇場の思い出は、『私の履歴書』の「映画狂」にも、
<今でも私は当時西宮にあった敷島劇場の長椅子に腰かけたあわれな自分の姿を思いだすことがある。補導連盟にみつからないかという不安と、学校の戒めを破った快感とを味わいながら、私は桑野通子や嵐寛寿郎に夢中になっていた。>と詳しく述べられています。
更に、
<映画に熱中するあまり、私はある日、面白くもない学校をさぼって敷島劇場に行った。三本立ての映画をすべて見て家に戻ると。既に登校しなかったことがばれていた。三本立ての映画をすべて見て学校に戻ると、既に登校していなかったことがばれていた。学校から電話があったのである。>
その結果二日間の停学となるのですが、それでも映画館通いをやめなかったそうです。

<私は学校の勉強がつまらなかったし、理解もできなかった。ただ銀幕にうつる物語のなかで一人溜息をついたり、胸をどきどきさせることだけが私を充実させていたのだ。便所のかすかな匂いが漂っていた敷島劇場。あのなかで私は知らずして夢見たり、別の世界をうろついたりしながら、小説家になる種を心に埋めていたのかもしれぬ。>
どうも遠藤周作を小説家にする土壌となったのが敷島劇場のようです。

昭和6年の西宮神社付近の写真。右下が西宮神社。黄色の矢印で示した左上に敷島劇場の建物が見えています。当時としては大きな映画館だったように見えます。





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遠藤周作 | コメント( 4 ) | トラックバック( 0)

小説では「二番館」という名に変わっていますが、とseitaroさんが書いておられます。
くだんの小説を読んでいないのであくまで私の想像ですが、「二番館」というのは映画館の名称ではなく、「封切りのすんだ映画を、封切館の次に上映する映画館」を意味しているということはないでしょうか?
老婆心ながら申し上げました。

[ 西野宮子 ] 2018/05/25 13:13:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

コメントいただきありがとうございます。「西宮の阪神駅に近い二番館に田村の...」という記述なので、明らかにエッセイと読み比べておわかりのように敷島劇場をモデルにしています。敷島劇場は封切館でしたし、書かれている意味の映画館はそこにはありませんでした。

[ seitaro ] 2018/05/25 14:36:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさんが以前書いておられたことを思い出しました。
遠藤周作が小説を書くとき、読者が小説と現実とごっちゃにしないように、わざと事実と異なること(例えば駅名)を書くそうですね。
だから、封切館の敷島劇場が小説では「二番館」になったのでしょうか。
(素人が思い付きを書きました。)

[ 西野宮子 ] 2018/05/25 16:50:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

ええ、私もそう思っています。小説では適当な名前をつけるようです。どうも遠藤周作は外国映画は三宮の映画館に行って、敷島劇場では嵐寛寿郎や桑野通子を見て、家に帰ると風呂敷で顔を覆って、刀をさして夙川をうろうろしていたようです。

[ seitaro ] 2018/05/25 17:54:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

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