阪急沿線文学散歩

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夙川地区を横切る山手幹線は昭和13年には既に計画されていた

 遠藤周作が昭和8年から昭和14年まで住んでいた夙川の借家は曙池の畔にあったことが判明しました。
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 その時期の地図を調べていると、色々興味深い事実がわかってきました。
 夙川地区は1907年(明治41年)「香櫨園遊園地」(事業主・香野蔵冶、櫨山啓次郎)として開発されましたが、1918年(大正2年)には廃園となり、続いてサミュエル商会から大神中央土地(株)に変わり住宅開発が進められました。

(今も雲井児童遊園に残る大神中央土地の石碑)

1923年(大正12年)まで夙川地区は大社村森具でしたが、分離独立し「香櫨園区」と命名されています。
1933年(昭和8年)4月 には、それまで大社村だった夙川区が西宮市に編入され、その昭和8年の地図がありました。
 西宮市に編入された当初までは、「香櫨園」と呼ばれていたようで、地図からも読み取れます。

この時期に遠藤周作はカトリック夙川教会のすぐ近くの曙池の畔の借家に移ってきたのです。

上は吉田初三郎の昭和11年の鳥観図。黄色で囲んだところが曙池。

 更に1938年(昭和13年)の夙川区の地図を見てみると、「香櫨園」という地名は消失し、霞町、松園町、羽衣町、殿山町、雲井町などの町名になっていました。

そして、驚いたことに震災後ようやく開通した山手幹線が、昭和13年の地図に都市計画道路として破線で示されていたのです。
この地図から見ると、山手幹線が曙池を横断しており、遠藤周作が住んでいた夙川の借家の住所は霞町25番地にあったようです。

ご参考に現在の地図を付けますが、山手幹線は昭和13年の計画通りの位置を走っています。





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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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