阪急沿線文学散歩

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遠藤周作『黄色い人』再読・告解室の思い出

 遠藤周作の小説を読んでいると、エッセイで自分自身の経験を語っている場面が、そのまま小説に登場していることに気づきます。
『黄色い人』は昭和30年に「群像」に発表された初期の作品ですが、そこにも後にエッセイで述べられている場面がしばしば登場します。それらを比較しながら、『黄色い人』を再読してみました。

 『黄色い人』の冒頭のB29の川西工場爆撃場面は、エッセイ『阪神の夏』に書かれている通り、遠藤周作が仁川に戻っていた時経験したことでした。

 次に『黄色い人』に登場するのが主人公千葉の告解室の思い出です。
<神父さん、あなたはむかし、ぼくをなにもわからぬ無邪気な少年だと思い込まれていました。日曜のあさごと、貴方のミサの答えを唱え、それから教会の小さな告解室で、どもりながら罪を告白したあの頃のぼくを思いだして下さい。>
(写真は遠藤周作が通った頃のカトリック夙川教会)
 
 小説では仁川のカトリック教会となっていますが、これは明らかに遠藤周作の灘中時代のカトリック夙川教会での思い出を、ほとんどそのまま小説にしているのです。
『黄色い人』から続けます。
<ただ告解をしなければならぬ信者の義務のためだけに、無理矢理に勉強をなまけたことや学校できたない話を友だちにきいたことをつくってぼくは貴方に告白したものです。目の粗い木綿の幕で周囲の光と音とを遮った暗い狭い密室の中で貴方はぼくのおびえた声をききとろうと耳をちかづけました。>

 更に千葉は教会の罪の分類について次のように述べています。
<結局、神父さん、人間の業とか罪とかはあなたたちの教会の告解室ですまされるように簡単にきめたり、分類したりできるものではないのではありませんか。>

さて、この告解室での思い出を、遠藤周作はエッセイ集『私の愛した小説』(初出;昭和58年「新潮」)のなかで、四十数年ぶりにカトリック夙川教会を訪れたときに思い出して次のように述べています。

<毎週の日曜日のミサの前に告白室でさせる罪のゆるしの記憶が甦った。カトリックに馴染みない読者に説明すると、当時のミサの前には、あらかじめ信者は祈祷書をめくり、信者のために色々な罪をくわけして書いた頁を読んで準備したものだ。>

(写真の右奥にあるのが告白室)


 ここで、小説に書かれた罪の分類に対する疑惑が述べられているのです。
<しかし同時にあの時、子供ながらにも私には罪とはそんな風に分類できるほど簡単に説明できるのか、という疑惑がもう湧いていた。告白室に入り、金網の向こうに耳をかたむけている仏蘭西人の老神父に「嘘をたびたび、つきました」などとその時さえ嘘を呟きながら少年の嘘にも複雑な種類があり、複雑な段階があり、複雑な因果のあることを感じ、それが言葉ではとてもいいあらわされぬことに思い至っていた。>
このように小説とエッセイを読み比べると、遠藤周作が解説してくれているようで、小説の理解が一層深まります。






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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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