阪急沿線文学散歩

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北杜夫が旧制高校時代に大感激した上高地へ

 以前から訪ねたかった上高地。いつかゆっくり散策したいと思っていましたが、先日、上高地日帰りツアーというチラシを見つけて、とりあえず下調べに。
 特急とバスの乗り継ぎで、上高地滞在時間は3時間半でしたが、天候に恵まれ、大正池から河童橋までゆっくり散策を楽しむことができました。
 上高地は、冬の穂高岳で起きたナイロンザイル切断事件に取材した井上靖の小説『氷壁』にも登場しますし、北杜夫はいくつかのエッセイで、上高地を訪ねた時の感激を述べています。

 北杜夫は太平洋戦争の終わる昭和二十年に、松本の旧制高校に入学し、その七月末に、初めて上高地を訪れています。
「上高地あれこれ」からです。
<九里あるバス通路をひたすら歩いた。そして、ついに展望がひらけ、大正池のうしろに怪異な焼岳の姿を見、その右方に残雪に彩られた穂高の連なりを観た時、私は正直に言って目を疑った。私は自宅はもちろん、大半が焼け果てた東京から来た身で、このような雄大で優雅な大自然が未だに美々しく厳として存在することがほとんど信じられなかったからだ。>

 上高地への自動車道は釜トンネルを必ず通ります。北杜夫はこのトンネルを歩いて、大正池にたどり着いたのでしょう。釜トンネルは昔は狭くてバスの運転手泣かせだったそうですが、現在は広くなっていました。

 バスは順調に進み、大正池に到着しました。後ろに見えるのが「怪異な焼岳」です。

大正池は大正4年に焼岳が大噴火をおこし、その際に噴出した多量の泥流により梓川がせき止められてできたので、大正池と呼ばれるようになったそうです。

お昼は大正池ホテルで焼岳カレー。ご飯の焼岳の中には、半熟卵が入っていて、マグマがドロリと出てきました。ブロッコリーは立ち枯れの木のようです。

こちらが、大正池から見える穂高連峰。

 大正池から梓川に沿って河童橋まで上っていきました。

<翌日、上高地じゅうさまよったが、行きあった人はわずか一人きりであった。私は本土決戦で死ぬつもりであったから、目に痛いまで白い白樺の幹も、悲しいまでに早く流れる澄みきった梓川の水も、なぜとなく夢に似た架空のものと思われた。>

 現在は大観光地になっている上高地。昭和二十年は、「上高地じゅうさまよって、行きあった人はわずか一人きり」という今では信じがたい静けさがあったようです。



田代橋から明神岳がはっきり見えました。

 少し雲が遮る瞬間がありましたが、天候に恵まれ、穂高連峰の景色が見え、橋の上にたたずんでいると、北杜夫の感動がじわりと伝わってきました。





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長野 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

以前は登山者だったので季節を問わず上高地は何度も何度も歩きました。明神岳・間ノ岳以外のピークには全部登りました。観光客の方は明神〜徳沢〜横尾といったあたりにはおいでになりませんね。
積雪期の釜トンネルはトンネル雪崩に遭う確率が高いのでかなりの恐怖で新島々まで雪中を歩きました。
生きてるうちにもう一度行ってみたい上高地。

[ せいさん ] 2018/10/14 15:37:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

何度も行かれたとは、羨ましい。昔の釜トンネルも御存知なのですね。私ももう一度行ってみようと思っています。

[ seitaro ] 2018/10/14 20:28:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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