阪急沿線文学散歩

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野坂昭如は震災後も、かの君の思い出を訪ね夙川に来ていた

 野坂昭如は、昭和20年、満池谷の家で二カ月間一緒に暮らした二歳年上のK子さんの葬儀が執り行われた平成11年5月29日に葬儀場に現れています。

 そして翌月の6月15日にもK子さんを愛おしんででしょうか、満池谷から香櫨園の浜を歩いていました。そしてその翌日も、満池谷に来たようです。

(急な階段の上から満池谷の疎開先を眺める)


『妄想老人日記』からです。
<六月十六日 S医師宅泊まり。朝、かの君の生家今はマンション。>
この部分は事実とは違っており、かの君K子さんの生家は満池谷ではありませんでしたし、野坂昭如が疎開していた満池谷の家のあった場所は空き地のままです。

おそらく、ニテコ池の南端の道から見える写真右側のマンションをイメージしたのでしょう。

<やがて雨、辺り地震の跡留めぬ広壮な屋敷、濡れるにまかせ阪急の駅。引揚げられた轢死体風ズブ濡れ姿、喫茶店に入れず、タクシーに乗れない。昭和九年開業、戦時中も阪神間ただ一軒、店を開いていた「パボーニ」が残ってりゃ、風呂にだって入れたろうが、震度七で壊滅。>
 野坂は雨の中、ズブ濡れになって満池谷から阪急夙川駅まで歩いたようです。野坂が通った夙川の喫茶店パボーニは阪神淡路大震災で倒壊して、跡地は現在も空地になっています。

(黒田征太郎が震災後間もなく描いたパボーニ跡地)

<この喫茶店にかの君とよく行った、後に聞けば、主人夫婦、恋人同士とみて、なにしろ空襲下、稀なことで、特にサービスしてくれたのだそうだ、当時、すでに旧式のラッパのついたラジオ、絵描きの主人が説明してくれたゴッホ、駅の右、天主公教会尖塔、神父の名はブスケ。二人で教会へおそるおそる入った、少しよみがえってきた。大阪泊まり。>

(パボーニを訪ね大石夫人と、戦時中かの君と通った話などする野坂昭如)

 戦時中のカトリック夙川教会の主任司祭は既に、メルシェ神父に代わっていましたが、野坂はパボーニの大石画伯から、ブスケ神父と教えられたようです。

 大石画伯は戦後ブスケ神父が亡くなったことを知り、ブスケ神父の肖像画を描き、昭和36年クリスマスの日にカトリック夙川教会に献納しています。




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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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