阪急沿線文学散歩

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芦屋の六麓荘を舞台にした小説を見つけました

 芦屋の高級住宅街として日本中に名を轟かせている六麓荘ですが、何故か小説に登場するのは稀です。


拓未司の推理小説『蜜蜂のデザート』に登場するくらいだと思っていたのですが、新たに1999年に発刊された藁科れいさんの『異人館の少女』という小説を見つけました。

本の帯に、「帰らぬ懐かしい時代 ・・・・昭和の半ば。兵庫県芦屋市の異人館。五十代の実業家と、十四歳の少女の”愛“。それは時間も空間も超えていた。」と書かれているとおり、何とも奇妙な物語でした。


 作者の藁科れいさんはPHP研究所人名辞典によると、
<1952年9月10日、兵庫県生まれ。京都大学農学部林産工学科卒業。1978年から約20年、オーストリア・ウィーン市に在住。ウィーンについてのエッセイや翻訳を中心に執筆活動を行う。2000年にエッセイ「ウィーンのバレエの物語」で報知ドキュメント大賞を受賞。
著書に『永遠と一日』(幻冬舎)『異人館の少女』(文芸社)がある。>
 私とあまりかわらない年齢ですが、ネットで調べても残念ながらご本人の写真は見つかりません。兵庫県生まれというのは、きっと芦屋市生まれ、少なくとも小、中学時代は芦屋で過ごしたにちがいありません。著作は少ないですが、彼女の特殊な経歴にも興味があり、『永遠と一日』は是非読んでみたい小説です。

 『異人館の少女』の冒頭は次のように始まります。
<六ノ山荘町はしずかだった。芦屋川べりでそこかしこに見られた前年の地震の爪痕も、深山のこの地んまでは及んでいないようにみえた。あじさい。六甲山脈に群生する。このユキノシタ科植物の花びらは、べにいろを幽かにふくんで、ずしりと青い。花球はいくえもの房をつくって、たっぷりと咲いていた。>
 小説では「六ノ山荘町」となっていますが、六麓荘町をモデルにしていることは間違いありません。
 少女時代を六麓荘で過ごした主人公・橋本京子が、震災の翌年、1996年に六麓荘町に戻ってきた場面から始まります。
 藁科れいさんは京大卒業後、1978年から約20年、オーストリア・ウィーン市に在住とありますから、震災後芦屋に戻ってきて、六麓荘町あたりを取材されたのでしょう。

<山道の交差する三叉路 −バス停のそばに、私は立ちつくしていた。昭和三十年代のころそのままの、古式蒼然とした型のバス。大儀そうにバスが走り、遠ざかるのを見送ってから、私は丘の上へと登りはじめた。>
 このバス停、三叉路になった六麓荘入り口にある阪急日の出橋バス停でしょう。今も赤いポストが目立ちます。

古色蒼然とした型のバスとは、ボンネットバスのことでしょう。創作だとは思うのですが、ひょっとすると当時まだ残っていたのでしょうか。

 舞台となるのは、<明治の末ごろ、独人技師が築いたという石の家、かつて個人の所有で、六ノ山館とよばれていた屋敷だ。>で、この敷地内にあり、今は廃屋となっている細長いコンクリートハウスに主人公京子とハウスキーパーをしていた母親フミは住んでいたのです。
 ところで六麓荘町が開発されたのは、1928年(昭和3年)から、この洋館は創作です。もう少し読み進めましょう。



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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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