阪急沿線文学散歩

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『異人館の少女』に描かれた橋本京子の県立芦屋高校時代

 藁科れい『異人館の少女』は震災の翌年に戻ってきた主人公橋本京子が、昭和30年代に芦屋の六麓荘町(小説では六ノ山荘町)で過ごした日々の回想が綴られます。
 山手中学三年生の時に、京子と級友田所リサ、六ノ山館の主人・五堂英雄の奇妙な関係の解消と別れがおとずれます。 六ノ山館のハウスキーパーを務めていた京子の母は、勤め先を変え、東芦屋町のさる貿易商の邸の離れに住み込みで働き、京子も一緒に移ります。そこで受験勉強に励んで西芦屋高校に入学します。

東芦屋町には芦屋神社もあり、昔は多くの洋館がありました。

かつて東芦屋にあった竹内才次郎邸(現存せず)

こんな東芦屋町のマンション広告もありました。

現在の東芦屋町。

 京子が入学した西芦屋高校とは、どうも宮川町の県立芦屋高校のようです。

<西芦屋高校はいわゆる受験校だったが、のびやかな気風が漂っていた。中学時代よりも、私はしあわせだった。幸せ。この言葉は私のばあい、薄い絵の具をとかした水のように淡々と穏やかな、さらりとしたものであった。私は生物研究会に所属し、“ぞうさん”というニックネームをもらい、みんなに信頼されて書記を律義につとめた。“やせギスのめがね”の少女はもう、いなかった。背が伸び、幅もできて、大柄なずっしりした感じに変わっていた。>

 京子の思春期は高校入学で終わったのでしょうか。この描写は、著者の藁科れいさんご本人の実体験を元に書かれているとしか思えません。
<二年も半ばになると、進路のことを考えねばならなかった。私の成績はまあまあだった。四五〇名中、八〇番くらい。中学時代のようなわけにはいかなかたった。母と私は進路指導の先生によばれ、どの大学をめざすかで相談を重ねた。「神戸大学農学部は、どや?」担当の老先生は、好意的だった。母子家庭でることも考えにいれて、畿内の大学をあれこれ調べてくれた。>

 当時の県立芦屋高校での成績を考えると、進路指導の先生の推薦は妥当です。でも京子はひそかに、芦屋を遠く離れたいと思っていました。

 高三の晩秋、入院している五堂英雄から電話がかかってきます。
<氏はしばらく黙っていたが、やがてふと調子を変えて、「来年はどこを受けるのかね。神戸?京都?それとも……」「あの、たぶん北海道……」地名がそのまま大学名をさすことは、二人のあいだでは了解できた。「そうか……」暗闇の中で、氏がほほえんでいるらしんおがわかった。「しっかり勉強するんだぞ。がんばれよ」>
 京子は母には内緒で、ひそかに北海道を狙っていたようです。この気持ち、私の高校時代と似ていて、よく理解できます。
 ところで著者が実際に入学したのは京都大学農学部でした。よっぽど頑張ったのでしょう。





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芦屋 | コメント( 2 ) | トラックバック( 0)

芦屋神社ですが、わたしが敬愛した詩人、杉山平一先生に深いゆかりがあります。https://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/d7474780bbf992237153972cd9c8174a

[ imamura ] 2018/11/04 23:03:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

ブログ読ませていただきました。そのような縁があったとは。
ありがとうございました。

[ seitaro ] 2018/11/05 11:08:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急沿線の街にゆかりのある小説や随筆、アニメの舞台を訪ね、当時の景色や登場人物に思いを馳せるセンチメンタル散歩です。震災以降、街並みは大きく変わりましたが、歴史ある美しい景観を守る一助になればと思っています。

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