犬と歩く夙川

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阪神大水害から79年

今日も各地で大雨が降っております。
Yahoo天気に災害カレンダーという機能があります。

それによれば79年前の今日、谷崎潤一郎の細雪にもえがかれた阪神大水害が起こりました。

以下がその記事と写真です。



1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、兵庫県西宮市、芦屋市、神戸市にかけての六甲山麓で、「阪神大水害」と呼ばれる土砂災害や河川の氾濫が相次いで発生した。

 本州付近に停滞する梅雨前線の活動が活発になったことで発生したこの大雨は、7月3日から5日までの3日間に集中し、総雨量は神戸市中央区で456mm、住吉(神戸市東灘区)で436mm、西宮市で362mmに達した。特に神戸市では、7月5日の8時から正午までの4時間に166mmもの雨量を観測しており、この集中豪雨をきっかけとして、六甲山地を刻む無数の谷で土石流が発生し、下流の神戸市・芦屋市・西宮市などを襲った。これらの阪神地域は、明治以降住宅地として開発が進み、人口が集中していたこともあって被害も大きく、死者・行方不明者627人、損壊・浸水家屋は210,000棟以上にものぼる甚大な被害をもたらした。

 この災害の背景として、開発による六甲山地の荒廃が挙げられ、この災害を契機に六甲山地の治山工事や河川改修工事が国直轄事業で進められた。







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むかしの神戸のこと | コメント( 2 )

阪神大洪水のことよく祖母から聞いていました。
山津波は怖い!六甲から石ころが落ちてくるように水が流れて来た!って 水は何もかもさらって行った!泥棒は手に持てるものだけ持って行く!が...何度も聞かされました 私はまだ生まれていないときの事ですが 祖母は山津波と言っていました。
詳しく読ませて頂きありがとうございました。

[ いろは... ] 2017/07/05 22:32:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

いろは さん 書き込みありがとうございます。この時の水害を教訓にして治山工事が行われたから、阪神間は長らく大きな山津波は来なかったといわれています。ところが最近の豪雨は山のキャパシティーを遙かに超えているのか、各地で予想だにしないことが起こっています。一度あったところは特に気をつけねばならないと思っています。明日は西宮付近にも被害があった昭和42年の水害から50年目になります。

[ ふく ] 2017/07/07 10:57:40 [ 削除 ] [ 通報 ]

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毘沙門山の洋館


昭和の神戸という本を本屋さんが持ってきてくれました。

ぱらぱらとめくっていたら…

なんと、この写真に出会えるとは。


塩屋の毘沙門堂のそばで、一ノ谷の合戦の旧跡があったりするそうです。





往時の写真です。(ネットでみつけました)




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有馬温泉の袂石

神戸の古い絵はがきからもう一枚、
(有馬名所)豊公遺愛の袂石(たもといし) というのタイトルのものです。


巨石です。


こんな大きな石がぽつんとあったかな…、と思いましたが、

芦有から有馬の街に出てくる時、西宮北に行くときも必ず通っている太閤橋の袂、有馬温泉のバス停のところにありました。




高さは約5メートルとあります。

温泉神社の祭神熊野久須美命を射ようとした松永城主に、命が着物の袂からとりだして投げた石が大きくなったといわれたり、大己貴命が病魔退散のために投げた石ともいわれているそうです。


六甲山系には巨石がたくさんあります。

巨石は磐座(いわくら)といわれており、日本では古来より、信仰の対象となってきました。


磐座、 巨石、 六甲などで検索すると、出る出る、いろいろ出て来ます、一つづつ訪ねておられるかたもおられるようです。


http://www.geocities.jp/yamauo1945/iwakura2.html

このサイトにいろいろ出ています。山歩きの途中、知らず知らないうちに巨石はたくさん見てきたみたいです。


「磐座紀行」 藤本浩一著  向陽書房 1982年という本が少し気になります。絶版で高価、ついでのおりに図書館でみてみることにしましょう。




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袂石、明日香の石舞台なみの迫力ですね。

[ Numa ] 2014/03/21 7:26:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

Numaさん おはようございます。 「袂」が最初読めませんでした…。背景が何もなかった時代はさぞや大きく不気味だったことでしょう。今や後ろの建物があるので、よくよく見ないと気づきませんが…。交差点なので車がとめにくく、ゆっくり見たことないのですが...

[ ふく ] 2014/03/21 9:17:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

バス停のすぐそばなので、バス待ちの時間に何度か写真も撮りました。今は絵ハガキよりも明るい感じですね。

[ mamimi ] 2014/03/21 10:14:57 [ 削除 ] [ 通報 ]

mamimiさん バス停にいると目につきますね。絵はがきはどの方向から撮ったのか確認していませんが、同じ方向ではなさそうです。昔の有馬って芦屋や西宮から行く道はなく、宝塚から入るのだと思いますが…どんなところだったのでしょう。

[ ふく ] 2014/03/21 10:47:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

本題からそれますが…
読めない字、以前なら自分で漢和辞典を引いて調べるしか手がありんせんでした。今は、ふくさんがコメントしてらしたように、コピペで簡単〜 ♪ 便利な時代です〜 (笑)

[ Numa ] 2014/03/21 11:59:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

Numaさん コピペ様々ですが、中間に電子辞書もありますが、意地でもアナログみたいな頑固ものもいますしね。でも辞書をひいたことの無い人がでてきたり、あげくのはてにはコピペが文化だということになったりして...

[ ふく ] 2014/03/21 17:04:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

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万国波止場はメリケン波止場?

絵はがきのなかに
「万国波止場ヨリ海岸通ヲ望ム」
という一枚がありました。



The view of the bund from the international hatoba, Kobe

なんかとても、エキゾチックな響きがあります。

艀の後ろに見えているのは

居留地二番ホンコン・しゃんはい銀行(明治35年竣工)

大正7年に竣工した海岸ビル。

右手は大阪商船神戸支店ビル(大正11年竣工)

その右側は大正6年改築のオリエンタルホテル。

一番右橋は合同庁舎です。


震災以来いっていませんが、

メリケン波止場のあたりは震災メモリアルパークになっているそうです。


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湊川新開地

神戸相生旅館組合発行の絵はがきの一枚に湊川新開地の映画館を写したものがありました。

この場所を写すのは絵はがきの定番のようで、何枚もありますが、この絵はがきは昭和10年頃。リュックを背負った子どもたちが写っていたりして、なんとなく秩序だった雰囲気をかもしだしている点が、少し古い絵はがきとは違うようです。




絵はがき資料館のページにはこれだけあります。
http://www.ehagaki.org/post/area-a-3-1.html

ほぼ同じアングルの1926年の絵はがきです。
湊座、有楽館、朝日館、菊水館が写っているとあります。

http://yajifun.tumblr.com/post/36475949018/shinkaichi-theatre-street-kobe-1926


詳しいことは「神戸のこといろいろ」サイトにあります。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/yousan/koubenokotoiroiro-p3.htm


湊川新開地を紹介してくださるページをみつけました。(音がでます!
http://homepage2.nifty.com/ak-koike/shinkaichi.html


この写真の映画館でかかっているお姫様行進曲というのはFlirtation Walk という1934年のアメリカ映画で、1935年に日本では上映されたとあるので、この写真はおそらく昭和10年頃ではないかと思います。


http://www.youtube.com/watch?v=_pfwwePSTQI
http://en.wikipedia.org/wiki/Flirtation_Walk



写真の面には「神戸歓楽境湊川新開地軒ヲ並ブル娯楽館
Amusement building standing in a row at utopia Kobe.

ユーとビアときますか...

裏面には「神戸由一の劇場街。市民の愉楽地として知られ劇場、映画館、レストラン、カフェー、水族館、音楽堂、物産陳列所其他各種の店舗あり最も殷賑雑踏を極む」....。

残念ながら私が新開地に行ったのは震災後です。いまや大阪に比べてモダンで洗練されて上品なイメージが先行する神戸ですが、そこにもかつて、道頓堀から千日前、そして新世界のように賑わったところがあったのだということだと思います。全く想像つきません。



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学生時代に友人がその近辺の住人だったこともあってなんどか訪れました。さすがに「新」とつくだけあって、新世界と共通する雰囲気を強く感じました。若い自分には、ちょっと怖いイメージも先行してましたね。「新」と名のつくところには、むやみに行かないほうがいいと勝手に思ったものでした。(笑)

[ Numa ] 2014/03/18 12:12:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

 子供の頃はまさにこの辺りを走り回ってました。

[ jazzyah ] 2014/03/18 19:38:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

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湯ノ花豆腐の記事

今朝の朝日新聞に、有馬温泉でかつて有名だった「湯の花豆腐」の店の写真がみつかったという記事がありました。


鰹と昆布の出汁に卵と小麦粉を混ぜて蒸し上げた料理って、どんなでしょう。
明石焼きみたいのでしょうか。

ネット版にもあります。


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記事では茶碗蒸しが引き合いに出されてましたね。
玉子焼(明石焼)と茶碗蒸しのあいのこみたいなもんでしょうか?
作ってみませんか?

[ 響 ] 2014/03/18 8:39:14 [ 削除 ] [ 通報 ]

響さん たぶん茶碗蒸しには小麦粉が入ってないけど、明石焼きには入っているように思います。茶碗蒸しにちょっと小麦粉を入れて蒸したらよのでしょうか… 検索すると有馬の温泉煎餅の店で、湯の花堂っていうのがあります。ここも昔は湯の花豆腐を作っていたのか…それとも単に温泉だから湯の花なのか...などと考えると楽しいです。 

[ ふく ] 2014/03/21 10:08:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

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六甲山裏山開発計画A

もう一枚、別のセットだったと思われるロープウェイの写真がありましたので貼り付けておくことにします。ロープウェイは空中策道といったようです。

写真の右上に「突米百六千市線索イエウブーロ山登甲六(戸神
神戸 六甲登山ロープウェイ索道一千六百米突く と書かれているようです。

裏には「神戸相生旅館組合発行」とあり、
「六甲山 標高九三二米。六甲連峰中の最高峰。眺望雄大なる理想的山上公園で四季の景観に富める外ゴルフ、キャンピング、スキー、スケート等の運動施設にホテル食堂、郵便局等の設備もある。山上に達するにはにはロープウェイケーブルカー、自動車の便がある。尚有馬温泉、宝塚温泉方面へも自動車で通ず。」と、書かれています。

このロープウェイは不要不急のものでないので昭和19年に撤去されてしまったそうです。※「不要不急」とは急ぎでは無く、重要でも無いことです。

特に戦時中は戦争遂行が何にもまして優先されましたので、ロープウェイなど不要不急のものとして、設備を撤去して金属として回収し、資源に回したようです。





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 当時の六甲山観光開発の様子について、(阪神・阪急二大資本の抗争)と、神戸叉新日報が取り上げた記事を、15年ほど前に神戸市文書館で読んだ覚えがあります。

 
  

[ shiratori ] 2014/03/17 22:43:06 [ 削除 ] [ 通報 ]

shiratoriさん おはようございます。数年前から神戸大学が新聞文庫というデジタルアーカイブを公開してくださっています。全部ではないと思いますが、又新日報も収録されており、六甲山、阪急、阪神などで検索するといろいろでてきます。六甲山への自動車での経路の変遷に興味があるのですが、なかなか調べきれません。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

[ ふく ] 2014/03/21 10:53:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

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六甲山裏山開発計画

昭和の初め、西宮市内に住宅ができはじめた頃、
阪神大水害が起きる前、
六甲山裏山開発計画というのが構想されていました。

神戸の背中にある六甲山を一大レジャー地として開発しようというのです。
それは神戸にとどまらず、西宮市域から宝塚、有馬まで含まれていました。
温泉、遊園地、ゴルフ場、ドライブなどがキーワードになっていたようです。

現在は表六甲ドライブウェイ、東六甲ドライブウェイ、裏六甲ドライブウェイ

など幾つかの道があります。こうした道はいつ頃できたのでしょう。

なぜこんなことが気になったのかといいますと、
たまたま六甲山のロープウェイの写真がでてきたからなのです。

現在六甲山のロープウェイは六甲山から有馬にかけてのものがあります。
六甲山へはロープウェイではなくケーブルカーです。

ところが、戦前はロープウェイがあったそうです。


※いそしずさんのライナーノートにケーブルの駅について詳細があります。


もう一枚の写真は当時六甲山にあった県立無料休憩所の写真です。


こちらは今はありませんが、グルームの碑のすぐそばにあったそうです。

まずは、当時の六甲山の景色を見ていただき、
裏山計画についてご紹介したいと思います。



※ここから追記です。

絵はがきの裏側の写真です。



ロープウェイは未使用ですが、

展望台の写真の方は二枚あり、

うち一枚は使用済みで、六甲山頂から大伯母が伯父にあてて出したものです。

切手は二銭、乃木将軍でしょうか。消印は昭和12年11月27日です。


六甲ケーブルは阪神電鉄が1932年に開業、免許は阪神御影駅からとってあったようですが、結局現在のケーブル駅から山上までの営業となりました。


それに対してロープウェイ、六甲登山架空索道は阪急系で1931年から営業していたそうです。


阪急阪神が一つになる前は、ケーブルには阪神バスが接続しており、六甲山ホテルが阪急、オリエンタルホテルが阪神で、確かスキー場は阪神だったりと六甲山に関しては交錯していました。



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 ふくさんのプログを読ませて頂き、改めて関係資料を探し出しました。
 
 掲載された写真「ロープウェイ」パンフレットに使われていた写真ですね。
 撤去後の残骸の一部、前ヶ辻道に今も放置されたままでは?

 パンフによりますと、乗車賃片道 35銭(小児半額)・・・
 
 経営母体は阪急なのですね。

 

[ shiratori ] 2014/03/17 20:49:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

shiratoriさん こんばんは ロープウェイのパンフレットの写真がえはがきにもなっていたのですね。表六甲のロープウェイについては今回写真がでてきて初めて存在を知りました。御影に住んでいた頃、私の部屋の窓からロープウェイの姿が見えていました。
35銭ですか。葉書一枚に2銭切手、今なら切手が40円なので料金は700円前後でしょうか。(情報を追加しました)

表六甲は豪快な成金がドライブウェイを自力で敷設したそうですが、阪神大水害で閉鎖され、戦後までは車だと、宝怩ゥらの東六甲、あるいは有馬からの裏六甲を経由する道などの道があったようです。

[ ふく ] 2014/03/17 22:25:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん

 時代の背景もあってか、
 昭和19年、六甲登山ロープウェイ撤去。尾根を挟んで東側の六甲ケーブルは運休、・・・両社の間、何らかの圧力が動いたのでしょうか?。
 
 同19年、摩耶ケーブルも撤去されているのですが・・・、

 

[ shiratori ] 2014/03/17 23:09:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

shiratoriさん こんばんは 軍というのか国策というのでしょうか。不要不急のもののため、運休して資材を供出させられたようです。戦後復旧できたものとそうでないものがあったようです。

[ ふく ] 2014/03/18 21:20:57 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ジョネス邸解体のこと

ジョネス邸は塩屋駅前、二号線と海との間にたっています。
以前はもう少し東にあったものが国鉄がひかれた時に、こちらに移築されたそうです。
F.M.ジョネスさんというのは、煙草の貿易にたずさわっていたイギリス人で、氏の創業されたラオンス社はニッケル社と合併して現在でもニッケルエンドライオンス株式会社として存続しています。



ジョネス邸はあなぶき工務店が保有しており、
マンション開発のためとりこわすことになっておりましたが、
買い取り運動がおこっていました。

seitaroさんのブログにこの春のことが書かれております。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10869218c.html

ところがきょうの神戸新聞によりますと、
買い取り交渉が失敗に終わり、
残念ながら解体がきまったそうです。



この塩屋もそうですが、かつて高級住宅地であったり、別荘であったり、環境に配慮した開発が行われたために、地価も高くプレミア価値のついている住宅地があります。その価値の一つは住環境や景観だったりすると思います。そうした美しい景観を計画的に保全して、残してゆくことも自治体にとってのメリットではないかと思います。


ところが、規制が甘すぎるために、どんどん破壊されて、マンションが建っていきます。マンションが悪いというのではなく、場所を決めて建てて欲しいと思うのです。ここは低層とかここは高層とかの基準も確か震災後緩和されたように思います。


せっかくの住環境というブランド力を、自治体が率先して破壊しているように思えてなりません。例えば夙川学院跡地マンションの桜伐採のように、ここは環境がよいのですよという環境を破壊してマンションを建てておいて、新住民には桜の街にようこそみたいな広告をうつというのは破廉恥きわまりありません。


塩屋でもきっと同じようなことがくりかえされるかもしれません。結局札びらきらないと、思うようにはできないということでしょうか。


経済活動はちゃんとしなくてはなりませんが、無教養さを露呈するような開発はなんとかしてもらえないでしょうか。




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現在の日本ではこの建築様式は建築許可がおりません。
だから、既存のビンテージ建築を死守しないと二度と見ることができないのです。チャラチャラとガラスだらけの、あるいはまた取って付けたように悪趣味なタイル貼りの、かっこいいつもりでも貧相な(値段だけは一人前の)建築物が又増えるだけなのですね。

[ せいさん ] 2013/10/12 17:45:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

残念です。寄付が5億円くらいは集まっていると聞いておりましたが、やはりA社提示の額には達しなかったのですね。塩屋の異人館というイメージはどんどん無くなりますし、2号線沿いにあった湘南海岸風のしゃれたイメージもなくなり、単なるベッドタウンになったようです。西宮もおっしゃる通り心配です。

[ seitaro ] 2013/10/12 18:18:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、こんばんは。

全てはおカネって無教養の本音を、居心地とか環境とか言葉とビジュアルの広告でごまかして、桜の木が残酷に切られた土地をさも自然にやさしい住居と偽って販売する。歴史も自然もカネの前には無力。こんな世の中になってしまったのが残念です。
せめて、西宮住民は、そんな風潮を許さない。そんな街にしていきたいですよね。小さな声でもブログで上げ続けるのは大切なことかもしれません。

[ もしもし ] 2013/10/12 19:59:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

せいさん 確かにそうですね。建築許可おりません。和洋折衷の妙な建物ということができるのかもしれません。仮に遺贈されたとすれば、税金の支払いも大変ですし、修理の費用だとかも莫大でしょう。地方公共団体も財政的にお手上げなのでしょう。個人の資産として保有とか、法人に経営させるというのではなく、地域の資産として活用できるような法整備が必要だと思いますが、そういう風には全くいってない状況です。だから売ってしまって開発されるのでしょう。建物の一部の部材を残して云々とは書いてありますが、どうなってしまうのでしょう。

[ ふく ] 2013/10/13 10:18:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん 5億集まったのですか。3億6千万円が集まらなかったみたいに読めましたが、よくわかりません。ちょっと西に行けば埋め立て地ができてしまっています。そこには人工的な南欧風のモールもありますが、そんなものを作れるというのなら、既にあるものを買い取って保存すればよいのにと思います。道路を通すのに買収することはするのに、保存のための買収という発想はないようです。西宮も震災後の復興ならぬ開発で、イメージがかわってしまいましたね。とくに大正から昭和初期に開発されたゆとりと緑のある住宅街がマンションになったり、小住宅化した時に樹木の保護や建築制限を従来より厳しくしなかったことが災いしちゃいましたね...。

[ ふく ] 2013/10/13 10:27:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん 身の回りの環境や自然についてじっくり考えられる人は学校の生徒と、昼間も居住地近辺にいる人、自分の仕事と環境保全などに利害関係が無い人、生活にある程度ゆとりのある人でしょうか。
涼しくなって朝、早く起きて夙川やニテコ池周辺を歩いてみてなんとなくそう思いました。
早朝から深夜まで働いていると、家にいる時はほぼ夜間しかないわけで、自然なんて感じる余地もなく、地元にうとくなりますから...。

[ ふく ] 2013/10/13 10:38:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさま
夙川学院テニスコート跡地マンションには一方通行側に4mか5mの樹木(?)が細々と植えられ始めました。が、以前の環境とは比べようもないものです。以前はさくらの木が道路側に枝を張り出していましたので、ドライバーも少しはスピードを落としたものですが、今は夙川学院の正門から夙川の西側まで見えるという見晴らしの良さが際立ち、ものすごいスピードで車や自転車が下ってくるようになりました。今に事故が起こるでしょう。
夙川学院の短大跡も250戸以上のマンションとか、あのあたりの自然も大きく変わると思います
高等部テニス跡地のかつての風景は
google地図で兵庫県→西宮市→神園町→2で検索すると県道から私たちの家の前の道にかけてのテニスコート、夙川学院の樹木の写真を見ることができます
一度見ていただければと思います
もはや、写真のなかでしか見ることができなくなってしまったと思うと本当に残念です

[ フー博士 ] 2013/10/19 11:58:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

フー博士 もともと開発が認められていた建石沿い名次町、南郷町、結善町でも、かつては業者が自粛して建築条件いっぱいのマンションを建てていなかったのですが、震災後ルールが破られ始めました。本来そのあたりで市がなにか縛りをかけるべきだったのですが、復興と減った人口を戻すために住宅建築が第一目標になりむしろ積極的に建築を許可したのではないでしょうか。我が家からも以前は見えた六甲や甲山が見えなくなりました。
夙川学院跡地は、土地の用途が変わるわけですから、もっと細やかな対応が必要だったと思います。ディベロッパーもわけのわからない会社ではなく大手なのに酷いです。このところ同じ会社が市内の一等地をめちゃめちゃにしています。夙川学院短大のさらに上、甲陽学院に隣接した森も宅地になっていますし、柏堂のサンハイツの南側も宅地になっています。地図拝見しました。本当に残念です。

[ ふく ] 2013/10/20 8:51:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

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神戸 京橋1920年代

昨日の写真。


 



今はともうしますと、





阪神高速の入口があります。

ところで神戸の今と昔というブログがあるのに気づきました。

こちらにもとりあげられている

この絵はがき、時代も近いのではないでしょうか。


http://oldkobelove.web.fc2.com/kyoubasi1.html




神戸 京橋1920年代
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西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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