犬と歩く夙川

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西宮航空園の新聞広告

一昨年の今頃、
掃除していてみつけた新聞記事です。
またどこかに入ってしまいました。
たぶん、こちらのブログは書いてなかった時期なので、
紹介していないかもしれませんので、
貼り付けておきます。

西宮北口にあった航空園の広告です。



昭和18年夏、7月17日の新聞です。

この年の4月に山本五十六元帥がブーゲンビル島上空で戦死、

この年の5月にアッツ島の守備隊が玉砕。

勇ましい活字が踊っておりますが、

こんな歴史は二度と繰り返さないことを祈ります。



西宮航空園については、今津っ子さんが詳しく調べておられますので、どうぞこちらをごらんください。

http://imazukko.sakura.ne.jp/nishinomiya-style/blog/imazukko/W.html 




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むかしの西宮1 | コメント( 0 )
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富倉川 

今津歴史塾で、西宮北口駅の南西をくねくね流れていた川のことを聞きました。この川は昭和20年代までは、そのままくねくねとJR西宮駅の北川に流れていたのですが、改修されて津門川と合流することになったとのことでした。

そのおかげで、西宮北口の昭和町あたりの浸水問題が解消したのかもしれないなと思いました。昭和町は昭和園として分譲されたのだが、一部は大雨のたびに冠水していたと聞いたことがあり、売れなかった部分があったと聞いたことがありました。

さて、「富倉川」という川について聞いたことが殆どなかったので、検索してみるとまずでてきたのが「富倉川(ふくらがわ)のがたろう」という市のホームページにあるむかしばなしでした。http://www.nishi.or.jp/homepage/siryo/minwa/minwa03.html

かっぱがいたという伝承の川を遡ってみたという方の「大阪妖怪・伝承探訪」というブログもありました。この方は西宮出身の方です。

市域は合併で広がっていますので、ちょっとずれると、それほどの親近感もなく、さっぱり土地勘もなく、また言い伝えなども知らないというのが西宮市、もっといえば兵庫県の特色かもしれません。

富倉川、「とくらがわ」と言っておられましたが、「ふくらがわ」なのでしょうか。この川、もうなくなったのかと思うとそうではなく、津門川となって改修された部分のさらに上流は今でも富倉川といわれているようです。

その川は知らず知らずの間によく見て知っていました。門戸厄神の駅の北川を斜めに横切っている旧道の横を流れている川だったのです。その水は武庫川から百間樋として分水されて流れて来ています。

西宮北口駅付近の富倉川の跡は神戸線の西宮北口駅東にある小さなガードなのだそうです。たぶん下の写真の場所はずです。

四つに区分された駅の南西には出口がありませんでした。南側は球場など娯楽施設があり小さな子どもは通らない方がよいということで、この南西、両度町の社宅に住んでいた同級生は北西の出口でおりて、線路沿いを歩いてこのガードをくぐって通学していました。線路の南側にはさち幼稚園があり、北側には阪急市場があったと思います。今の景色は思い出せませんが、昔の景色は思い出せます。質北口の看板も見えていました。





西宮市域でも、門戸厄神駅周辺から武庫川にかけては長らく農業地帯でしたので、市の中央部周辺よりも農業用水路が存続しているようです。




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とみくらがわと読んでました。
ふくらがわというのですか?(^O^)
チョット恥ずかしいです ^^;

[ やじきた ] 2015/05/17 7:43:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

やじきたさん 「ふくらがわ」とブログなどを拝見すると書いてあるものが多いです。でも今津歴史塾では「とくらがわ」と言っておられました。取水口のある武庫川から津門川として整備された171とクロスするあたりまでを地元の人がなんていっておられるのでしょう。正解がわかりません。

[ ふく ] 2015/05/18 7:34:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

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今津歴史塾の遠足

旧西宮エリアブログの今津っこさんが主催されている「今津歴史塾」に最近漸く数度ですが参加させていただくことができるようになりました。

昨日はakaruさんが書いておられますように第三回の遠足でした。


今津の初音屋さんに集合。
コースの発表はその当日にあるそうですが、
今津駅から中国街道の跡をたどりながら芦屋まで歩くというコースでした。

古地図をテキストにして聞くお話しと、実際に歩いてみるのとはまた印象が違います。ふだん車で走っている道をちょっと入ったところに、道標をはじめ、旧道の痕跡が潜んでいました。




初音屋さんに集まった方はそこそこの人数でしたが、年配の方も多いからか遠足の参加者はそんなに多くありませんでした。地図を片手にですから2時半すぎ出発したのですが、三時過ぎに松原神社あたり、西宮神社での途中休憩が四時前、打出あたりを通過したのが五時半頃、そして旧街道が現在の国道二号線と合流する芦屋のお茶屋所町についたのが六時前。

大昔の人々はこんなにだらだらとは歩かなかったと思いますが…。お天気もよく楽しい半日をすごせました。



※長文の記事をかけなくなってきました。パソコンから写真をあげるのが手間で、文章をスマートフォンからあげるのが手間になってきました。最初に文章だけあげて、後に写真を付けることも多いので読みにくくて申し訳ありません。


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右甲山・左越木岩神社の道標

市役所の自転車置き場に道標が移されているというお話しを今津っこさんからうかがいました。

昨日、トレーニングで市役所の側まで行ったので、少し周辺を散策して見てきました。


市役所本館の南側というのでしょうか。確かにありました。

「右甲山」
「左越木岩村」

とあるのですが、右甲山しかはつきりかくにんできませんでした。

左側は六湛寺、ここにかつてあった寺の名前で、道標とは関係ありません。

ここに建立されている経緯は不明とのこと。





この道標がどこにあったかという推測ですが、実際にはどこから来たかわからないそうです。この日聞いたお話しは「西宮の街道と道標(2)」有馬道 というものですので、有馬道にあったものだろうということです。

「有馬道」これはどういう道かといいますと、有馬へ行く道です。ですから一本ではなく、各地にあります。ずいぶん以前ですが、食通のかたに美味しい蕎麦屋さんご存じですかと聞いたところ、有馬道にありますといわれました。その後話がとぎれたので、当時私が一番なじみだったJR住吉駅から北にあがる「有馬道」商店街を探しましたが、蕎麦屋は一軒もありませんでした。結局実際にあったのは神戸市の西の方兵庫区にある有馬道だったようです。

今回は西宮の有馬道ですが、そんな道があるのも知りませんでした。実は江戸時代有馬へむかう正規のルートは宝塚の小浜から生瀬を抜けていく道でしたが、大回りを嫌ったり、経済的負担を軽減するために、別ルートがたくさん生まれました。

そんな有馬への道の一つが、今回の有馬道です。西宮神社のあたりから現在南行き一方通行になっている産所町西の交差点に至る細井道を経て、安井小学校の南側にある「礦敷岩架橋」(これでこしきいわとよませたそうです。音が先にあってひらがなで書きますから、すべてがいわゆる当て字です)をくぐり、そのまま大井手橋のあたりに出ます。街道はそこから松生町方面から越木岩神社を経由して鷲林寺に向かいます。

また別途その大井手橋のあたから夙川沿にあがる新道もできたそうです。こちらは酒屋の水車がたくさんあったため、できたのではないかと推測されていました。

道標はその旧道と新道とのわかれ道にあったということのようです。大井手橋の少し南側にあがってくる道です。このあたり日々通過しているため、土地勘があり、とても面白く聞くことができました。


地図の分岐点あたり、夙川の東にあったようです。


通ってみました。この道のさきで、右甲山、左越木いわにわかれるので三叉路あたりにあった碑だったと推測されています。




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昭和10年6月末の大洪水

今日偶然みつけた朝日新聞、昭和10年6月30日の記事です。



28日から29日にかけての近畿地方は豪雨に襲われました。



阪神間の大水害は谷崎潤一郎の小説『細雪』にも登場する、昭和13年が知られています。その三年前、昭和10年の水害は鴨川が決壊するなど京都市内に大変な被害がでました。



西宮でも、29日甲陽園の大池、御手洗川、津門川の堤防が決壊し、濁流が広田神社から市役所前までを一気に襲い、地盤の低い南部地域が浸水しました。


写真はその時の市役所前、阪神国道(当時路面電車が走っていました)の様子です。小説家森田たまさんが『もめん随筆』に「大阪の雨」としてこの水害にふれておられます。

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最後まで読ませていただき、びっくりです。大阪の雨はずっと阪神大水害のことだと勘違いしておりました。確かにもめん随筆が発表されたのは昭和11年、阪神大水害は昭和13年。私のブログを訂正しておかなければ。ありがとうございました。

[ seitaro ] 2015/02/04 8:25:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん 調べものをしていたら偶然みつけたので出力しておきました。この当時も最近と同じく水害が続いたようです。これを書くときに以前に書かれたブログを拝見しましたが、間違っておられなかったように思いますが…。

[ ふく ] 2015/02/04 10:51:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

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名次町の楠と南郷町の謎の構造物

このところ毎朝ニテコ池まで散歩に行きます。




車の少ない道を通るようにしていますが、

いつも目にしているので慣れっこになってしまっているこの楠の木です。

西宮市の保護樹です。
http://www.nishi.or.jp/contents/00006427000300025.html



市営住宅の東南の角あたりにあります。



地図ではここになります。


ところで、この市営住宅たぶん昭和30年代の前半頃は木造平屋でした。


お正月前にお餅つきに参加させていただいたのをなんとなく覚えています。


(後にも先にも餅つきはその時が最初で最後だったので覚えてます)


その楠の道は南から行くと急に狭くなります。


たぶんそのあたりに、池があったようなので、池の堤防上にあった木ではないかと思


います。



こちらは西宮市のホームページにある古地図 明治42年のものです。


http://www.nishi.or.jp/homepage/siryo/images/nanbu.gif

ニテコ池の北側を東西にはしるバス道は昔からの道のようですので、

その道と夙川の流れをあわせて見ると、池の位置がだいたいわかります。

現在の名次神社はちょうどニテコ池の一番北側の池とその楠のある池の間になるはず

ですが、この地図にはそのあたりには何もありません。

ところが、その現在の名次神社のある場所から南へ、

現在の名次町と南郷町といっている小高い山(名次山なのか南郷山なのか)

の尾根筋に南にたどっていくと、南の端にあたるところに四角く囲まれた区画があり

ます。これが何を意味するのか以前から気になるのですが、わかりません。



名次神社について書いたもの

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10902822c.html


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むかしの西宮1 | コメント( 5 )

このマーク、うちの実家のことです(^^;) いや冗談。
ただ、現在の地形図と照らし合わせてみると、なぞのマークの下、等高線がくびれているところが今の「西国街道」と呼ばれている若松町と南郷町の間の東西の道が通っているポイントですね。かろうじて大井出橋らしきものがわかりますし、その下に夙川に流れ込んでいる西からの流れも現在の位置とそう変わってなさそうです。
そうすると・・・南郷町1と南郷町2の間の南北の道を上がっていくと、東側に降りる細い道があるのをご存知ですか? あの四辻辺りを指しているような感じですね。
しかしこのマーク、この年式の地図だけに載っているのでしょうか? 同年代のほかの地図ではどうなのでしょうね? あるいは前後10年くらいずれた地図ではどうなってるのかなぁ・・・

[ ダンプ先生 ] 2013/10/12 15:43:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

国土地理院の2万5千分の一地形図データと、この明治時代の地図とを画像編集ソフトの上で重ね合わせてみました。
残念ながら、縦横ともにかなりひずんでいるようです。
ニテコ池の中池を基準に位置合わせをしてみましたが、そうすると夙川は当時夙北市場の中を流れていたことになります。
また、広田神社の東側の新池の位置も大幅に狂っていました。
南北方向では国鉄の線路の線が、今の阪急の位置に重なってしまいます。かなり縮んでいますね。
資料として電子化したときの誤差なのか、もともとの地図の精度の問題なのか? 地名などの活字のひずみはほとんどありませんでしたから、電子化したときのひずみでもないでしょうねぇ。
とはいえ、明治も42年ですから、こんなに狂いのある地図を陸軍測量部も作らないと思いますしねぇ・・・

[ ダンプ先生 ] 2013/10/12 17:04:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

ダンプ先生 この地図は市の防災の頁に載っている地図で、自分の住んでいる場所がかつてどういう場所だったかを確認するためにあるのだと思います。以前に池じゃないかを確認しようと思ってみていたところ、妙な印を南郷町に偶然みつけました。

ずれてますか? 市役所のホームページの下方を見ると、建設用国土地理院発行の2万分の1地形図を複製したものとなってますが... ネットにあげる時にひずんでいるのでしょうか。今は無理ですが、時間のあるときに、この地図の原本を調べてみたいです。

日文研の西宮市の地図では既に宅地化していますので、
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/
西宮北口周辺については下のブログにこれだけのってますからこの地図を探してみればよいのかもしれません。
http://oldmaproom.aki.gs/m03e_station/m03e_nishinomiya_kita/x03e_nishinomiya_kita.htm

このマーク市内の他のところにもないので、何があったのかと妙に気になります。今は普通に家がたってますが...

[ ふく ] 2013/10/13 10:09:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

家でいろいろ比較してみました。
現在の地形図の水準点や三角点と同じ基準点で倍率をあわせてみましたら、ほぼほぼの位置に収まりました。池などの書き方に誤差が大きいのだと思います。
で、改めて位置あわせをして見ますと、やはり南郷山の尾根筋を上がっていく道の最初の四つ字のところから上になるようです。
地図の他の場所を見て見ましたが、このようなマークを見つけることはできませんでした。
地図記号としても見たことがありません。なんなんでしょうねぇ・・・気になります。

ひとつの考え方なのですが、これは地図記号ではなくてこんな形の建物がここにあったのでは? 北からの道も繋がっているようですし。。。それはそれでなんなんでしょうかねぇ?

[ ダンプ先生 ] 2013/10/13 17:07:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

ダンプ先生 ありがとうございます。きょう、そのあたりを通ってみました。同じ時代の国土地理院の地図にあのマークを探したらよいのですが、 図書館に行かなければ見られないのかもしれません。人里離れた場所ですから、神社などでしょうか? 

[ ふく ] 2013/10/14 0:07:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

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本庄京三郎について

甲陽園のことを調べようと思うと必ずいきずまります。
現在、手に入る資料がどれもこれも、孫引きが多く、
しかも出典が明記されていないからです。
本庄京三郎はかなり著名で、

「本庄京三郎」で検索すると、
まず、学校法人常翔学園の、学園創立90周年記念事業、
学園90年史の頁です。


こちらが経営されているのは大阪工業大学や摂南大学などで、
大学の90年史というのですから、確実な文献かなにかを使っておられるのだとは思いますがが、ホームページには簡単な略歴があり、甲陽園開発については民衆娯楽雑誌甲陽創刊号(甲陽社1924)を発行とあるのですが、さてこの本はどこにあるのか何号まで発行されたのかがわかりません。

ほかにひかれているのは大社村誌のみです。

次に常翔学園の別のページには、常翔学園のとして、
設立捨・校主 本庄京三郎 について書かれています。



こちらの方が経歴についてはもう少し詳しくかかれています。
ところがやはり典拠が示されていません。

これだけの人ですから、伝記か追悼文があるのかどうか、
少し検索してみましたが、
みつけられませんでした。

本人の経歴に関すること意外の多くのことは
南野武衛さんの著書か大社村誌によるようです。

たまたま手元に南野武衛著 ふるきよき時代の甲陽園(西宮文化15号昭和43年7月)がありましたので、貼り付けます。
これが初出なのかこれも何回も発表されたエッセイの一つなのかわかりませんが,とりあえずです。







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甲陽園大池

先日夙川の水害についてふれました。

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10936066c.html

実際に、見たわけではないのですが、
昭和10年から13年ぐらいにかけて、
何度か夙川や大池や新池が氾濫したようです。

近いところでは昭和41年と平成元年にも水害がありました。
昭和41年は家の崖が崩れましたが、平成元年は神戸に住んでいたのであまり覚えていません。

さて、あの大池がどうやってあふれたのでしょうか。調べるには至っていませんが、とりあえず久しぶりに大池にいってみました。

遊歩道ができているのは知りませんでした。
甲陽線から六軒に至る道は以前はとても細くて、
時々車がいきあえなくて困っていましたが、
今は綺麗に舗装され、池の周辺もマンションと住宅地になってしまっています。
以前は墓場の池側は全部真っ白な花崗岩が露出した不思議な景色だったのですが...

池のまわりは遊歩道が整備されており、
釣り客(たぶん近所の人ではなさそうです)で賑わっています。


葦が繁っていたりします。




池の北側には昔をしのぶ地図があり、(以前にseitaroさんがご紹介くださっています)





今は掃除用具を入れる小屋として使われている昔の建物があります。




道路沿いには立派な家もあります



そしてすぐそばには、水を川に流す水路がありました。





水路からの水はまずこの小さな川にでて、



この川から、中寿美花壇のある六軒の交差点で蜘蛛の巣のように合流する道とともに、暗渠から御手洗川に流れるようになっています。

このあと、中寿美花壇の上にある石碑も見てきました。
こんなに涼しくなったのにまだ蚊がいました...



先日引用した新聞記事に、蜘蛛の巣のようにドライブウェイを作るようなことが書いてありましたが、確かにそういわれたらこの交差点は蜘蛛の巣ですね。








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あ、昔の地図のプレート、きれいに直ってるんですね。
何年か前に行ったときにかなり割れてはがれていて見えなかったので
いつか行くことがあれば見てみます。

[ にゃんこ ] 2013/10/07 17:35:30 [ 削除 ] [ 通報 ]

にゃんこさん そんなにぼろぼろだったのですか。大人になってから歩いて甲陽園までいったことがありませんでした。意外に近いのでびっくりしました。池は昔の水利権とかがいまでも残っているのでしょうか。あのあたり、使われていない土地がすこし残っていますね。

[ ふく ] 2013/10/09 9:20:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

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桜街区 その後

夙川学院のあと、
桜街区というマンションですが...
こんなイメージで宣伝されているのですが、


実際行ってみるとこんなことになていました。


もちろんこの左側のマンションと道路の間は桜並木でした。

もともと、学院の土地に桜は植えられており、
住宅側にはなかったのです。
そして、桜並木があるのはちょうど今回売却された場所で、
それより甲陽園よりには殆ど桜の木はないのです。



たぶん、別の場所に移して戻したいのはやまやまでしょうが、実際試みたかもしれませんが、これは実際のところ、大変難しいそうです。コスト的には伐って植えかえた方が早くて安いよということなのだそうです。

またこの道は生徒さんも歩きますから、一方通行とはいえ道幅が狭く、そのためにセットバックさせる必要があったとか、この機会に植え替えるのだといわれそうですが...

樹木は、そもそも生きものです。何ですか、日本って、根本的に環境に対する考え方が熟成されていないのではないでしょうか。


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植物があるだけで「自然」と呼んで勘違いし、河川の水を自然ではなく「資源」と呼び、大地は「敷地」にしか見えない、
そういう国なのですね。
環境に対する考え方は熟成どころかスタートすらしていないように思えます。
元登山者の意見です。

[ せいさん ] 2013/10/06 17:56:58 [ 削除 ] [ 通報 ]

せいさん ひょんなことで環境に対する意識に目覚めてしまうと生きづらい国みたいです。歴史のある国土の狭いドイツ、イギリス、北欧などに学んで欲しいですが、未開の広大な土地をどんどん開発するというアメリカ合衆国の姿勢に学んでしまってますからね... 一部の人が気付いていてもとめられないのはなぜでしょうね。

[ ふく ] 2013/10/07 7:50:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさま こんにちは
東京版朝日新聞に「高輪マンション紛争」という記事がありました。明治維新前、1859年から英国初代公使オールコックが駐在した、英国公使館跡(東禅寺近く高輪3丁目)で住民と業者で紛争が起きている。入り口近くには幾つもの切り株があり「切り落とされた」と。ソニー国際会議場跡でソニーが2011年に三菱に売却。交通量が増えることを懸念し、敷地内120本を伐採されるのに住民が異論。しかし、三菱は5本を移植しただけで、残りは全て伐採。住民はこれに対し千人の署名を集める。近くには大正時代のヴォーリズ設計の歴史的な建物もあり、柴田錬三郎邸に済む長女も「人道的なものを」と。翻訳家の道下匡子さんは、低層への見直しを求める手紙を再三送っても三菱はなしのつぶてだった、と。どこでも起きているのですね。↓(ブログから拝借。こちらの文章は省略されています)
http://blog.goo.ne.jp/machikenminato/e/c4afd6005cba7d75208c9c1d7129002d
ヴォーリズ設計 東芝山口記念館(旧朝吹邸)http://jirei.tlt.co.jp/pdf/ex3tyama.pdf
芥川賞作家 朝吹真理子さんの曾祖父のお宅でした。

[ ロックウェル ] 2013/10/28 16:00:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

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夙川の水害

八月の雨の画像を見て、ちょっと恐ろしくなっているところです。

時々、昔の新聞を検索したりして見ているのですが、
ちょっと恐いような記事を見たので書いておくことにします。



昭和10年(1935)の大阪毎日新聞の記事です。
「復興遅々水害一周年(八)」
歩道道に食われた夙川
責任感の技手発狂の哀話
嘆きは同じ阪神四河川

という衝撃的な見出しです。

昨年の水害で山が崩れたと書かれているのですが、
その災害は室戸台風です。室戸台風での被害については高潮の被害がすごかったようで、夙川の下流部が浸水したり、甲陽園の大池が決壊して市役所まで水につかったというのがこの時です。



住吉川、芦屋川、夙川、仁川の四河川の被害が凄かったこと、
山が崩れて大量の土砂が押し流され、
川が埋まってしまっていることが書かれています。
ただし、砂をとりのぞく費用は国から出ないとあります。

夙川については下のように書かれています。

六月の雨禍前は川幅僅々二間ぐらいだった鷲林寺の真下、柏堂の谷川は埋もれた谷底のため、幅を一ぺんに二間から五間余にまでひろげてしまった、延々十数町の渓谷を埋めつくしたこの夥しい土層が雨ごとに夙川を押し下るのだから、上流苦楽園で九メートル、香櫨園河口でも二十五メートルの河幅しか持たぬ夙川を砂で埋めてしまうのはわけのないことだ、それに、夙川はさきの改修で遊歩道をつくったため、河幅を一斉に食っている、再三再四の水禍原因を、この"遊歩道"に集中して"悪修された夙川"の非難は囂々、その矢面に立っている西宮市役所の中山土木課長は「純粋に川とみられているものを狭めたところは極僅かです、不規則な凹凸を矯めて河流に真直な流れを与え、河底には階段式の堰堤を施工したのだから、流水はなだらかになって、停水の個所もなく全く面目を一新したのだから、改修は悪いとは思えぬ」と弁明しているけれど、苦心の堰堤も、流れる土砂のため河底を埋められて一番役立たねばならぬ増水時に寸毫の効果もなく、去る八月中旬には、この改修に当っていた市の夙川出張所主任土木技手赤松栄太郎氏(三九)が責任を痛感のあまり、狂人になったという痛ましい哀話もあるくらいだ 

このところ、夙川を歩くことが多いので、川幅のことが気になっております。

夙川の河川整備がどのような手順ですすんだのかは調べておりません。
ただ、この記事の危惧は現実になります。
昭和13年の阪神大水害です。
住吉川、芦屋川よりは被害は少なかったようですが、この時獅子ヶ口付近の堤防が決壊しています。

その後、結局上の記事にある危惧はそのままに、夙川河川は整備されて、けっして太くはない川筋になっています。

その時の図がありました。


いろいろ検索していましたところ平成元年にも広範囲にわたって冠水しています。この時は神戸に住んでいましたが、JRで大阪まで行く途中線路の山側が水浸しになっていったのを思いまします。






http://web.pref.hyogo.lg.jp/hs04/documents/kyougikai2_3-01.pdf


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おはようございます^ - ^

夙川がこんなに水害にあっているとは知らなかったです。
阪急夙川駅近くに教会があるのですが、あの辺りも被害にあったのでしょうか?(-_-)

[ morokosi ] 2013/10/02 8:39:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、おはようございます。

夙川不動尊には、昭和12年甲陽大池決壊により剣谷から流れて来られたと書かれています。当時は、水害が毎年のようにあったのでしょうか?
この夏は水の恐ろしさを身近に感じました。いつもはきれいで可憐な流れなのですけど・・・。
こんな石のお不動さんを運ぶほどの力があるんですよね。

[ もしもし ] 2013/10/02 9:00:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

morokosiさん 本来人が住んでいなかった山林や河川敷を開拓して住んで居るのでしょうがないと思います。でもこれは夙川に限らずです。低地は冠水。高所は崖崩れ、海は高潮...でしょうか。夙川駅の西南から北にかけては小高い山ですので、冠水しません。水がついたのは夙川の東側の平地と駅の西側のアンダーパスの周辺。そして久出川も時にあふれます。平成元年の冠水時にここにおられなかったとしたら、それ以降はたいした被害がなかったので先日びっくりされたかも。床上までは浸水しませんが、本来は鉄砲水の出やすい、花崗岩の崩れやすい土地なんです。

[ ふく ] 2013/10/02 9:58:02 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん 昭和初期の洪水の情報はどうも混乱しています。国土交通省や市役所の記載が正確なのかと思って引用しましたが、一度きっちり整理しないと、昭和9年室戸台風10年6月の豪雨、12年、13年の阪神水害などまちまちです。国土交通省の東川の資料によれば、10年は6月7月8月の三度、さらに8月には新池もあふれているとのことですので、名次山や城山より東にあたる廣田神社あたりから市の南部までその水があふれたのだと思います。
http://web.pref.hyogo.lg.jp/wd15/documents/104khigashi.pdf

東灘区の観音林は昔洪水で観音様が流れ着いたところから命名されたとか。洪水にまつわる地名が六甲山麓には多いそうです。石のつく地名なども石がころがっていたような意味があったりするそうです。お地蔵様も事故などで亡くなった方をとむらう意味でたてられたものが多いですから、河川の近くにお地蔵様が多いということは水害が理由だったりするのではないでしょうか。きょうは陶片ではなく鉱泉探しにいってきましたが、獅子ヶ口付近で夙川が広がっています。その後狭くなるわけですが、大量の水が流れてきたら、あふれそうで恐いですね...

[ ふく ] 2013/10/02 10:09:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

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西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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