犬と歩く夙川

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修道院のお引っ越し


「ふるさと宝塚」から、昭和32年、シスターのお引っ越しの様子です。


ボンネットトラックです。

後に十字架(一生神様にお仕えすると誓っていただくと効きました)を首からかけておられるかどうかで終生誓願が終わっているかどうかがわかりましたが、以前は白いベールは終生誓願を行う前のシスター。

黒いベールは終生誓願の済んだマザーだと思っていましたが…。


はっきりと教わったわけではないので、わかりません。


場所は、当時の小林聖心女子学院本館、正面玄関です。

昭和2年、レイモンドによって建てられました。

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/185860



 現在


聖心会の修道女になるための修行をする修練院は小林にありましたが、

この時、静岡県駿東郡裾野にある富士聖心に移りました。


小林は主に、学校使徒職といって、学校教育を通して子どもの育成にたずさわる修道女が残ることになったのだと思います。


http://www.sacred-heart.or.jp/about/index.html


それほど気に入った学校ではありませんでしたが、せっかくですので、自分が卒業した学校の母体についてももう少ししっかり調べておこうと思い徒然、見ていますが、写真集に思わぬ画像をみつけましたので、ご紹介しておきます。




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ふるさと宝塚B 奉安殿

私の行っていた学校が「ふるさと宝塚」にとりあげられていますが、
その一つに奉安殿の写真があります。








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わがまち宝塚A


昭和48年に行われた、母校の五十周年記念音楽会の様子です。

以前の母校であれば、隔絶された世界にありましたので、宝塚市の懐古写真集にでるわけがなかったような気もしますから、たまたま写真に写っているマザーたちは、天国でさぞや驚かれていることかと思います。そのような不思議な生活も徐々に普通の世界に近づいて来た頃に私たちは学校生活を送っていました。

昭和30年代から40年代へ、小学校から中学にかけて、実はカトリック教会は現代化をテーマにした第二回バチカン公会議が開かれ、改革されました。当時なんとなくよく耳にした「バチカン公会議」という言葉、中世みたいだと思っていました。でも実はその結果をうけて学校行事や、修道会と学校への関わりも変化したののだということが、最近ネット検索でいろいろな資料が閲覧できるようになり、漸く理解できました。
修道女による学校運営ということで、激変する世の中の動きに対応するのは大変だったことでしょう。考えてみれば高度成長期もそうですが、戦中戦後からずっと激変続きですから、想像を絶するものがあります。
さて、この写真は創立五十周年を記念した音楽会です。読売フィルだったでしょうか。指揮は手塚さんだったでしょうか?オーケストラと歌わせていただいたことが、二度ありました。
一度目の音楽会で私たちが歌ったのは「見よ 勇者は帰る」ヘンデルのオラトリオでしたか…。次がこの五十周年記念、この時はウィーンの森の物語だったはずです。指揮者やオーケストラ名、ホールの名前など失念しました。
大勢の人で何かをする時、一緒に熱中するのが苦手で、一歩ひいて外から見物しているのが好きでした。三つ子の魂百まで、今もそんなところが濃厚です。
こんな世間から隔絶された学校、小学校に入学したときは45人でスタート、その後増えたり減ったり、中学は二クラスになり卒業したのは90人でした。かなり一般とはかけ離れた教育をうけているので、一般社会に適応するには多少のリハビリ期間が必要だったかもしれませんね。

この写真私も写ってるはずですが…さてどこにいるかわかりません。



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ふるさと宝塚

名古屋にある郷土出版社からしばらくすると「ふるさと西宮」という写真集がでます。その宝塚バージョン「ふるさと宝塚」が姿勢60年を記念して昨年出版されました。

そのなかに何枚か、私が通っていた学校の写真がありましたので、ちょっとご紹介したいと思います。


この不思議な写真を見てください。説明は以下の通りあります。


小林聖心女子学院の院長フィースト(昭和53年)「フィースト」は「フィエスタ=フェスティバル」で、祝祭の意。年に一度、院長をたたえる伝統的な行事、院長の位置から会場を撮影。置くでは生徒達が「最後の晩餐」を演じている。


以上が写真の説明なのですが、子どもたちが正装である、白リボン、絹のブラウスを着て、白手袋をして、身動きせずにたっている異様な写真です。


一見解説は正しそうですが、実は大間違いです。この写真は昭和53年のものでは絶対ありえません。


全員が着ている制服はたぶん昭和40年代のはじめに別のものにかわっています。ベルトがも皮ではなくなりました。靴下も同時期にハイソックスにかわったはずです。決定的なのは写真に写っている建物です。講堂のようですが、今はもうこの建物はありません。聖堂は新築され、当時聖堂だった部屋が講堂になりました。そのかわり講堂は取り壊されたと記憶しています。この建物は殆ど覚えていませんが、今はなき以前の講堂ではないかと思います。


「ハーッピーフィーストレボレントマザーHappy feast reverend mother 」という院長様をたたえる文言はなんとはなしに記憶の片隅にありますが、最後の晩餐の再現するような催しは私が在校中にはなかったかと思います。


するとこれはいったいいつのことなのでしょう?

おそらく私より十歳以上は上の方々の写真かと思います。


提供したのは学校かと思いますが、もはやいつのものなのか、どなたもご存じないのでしょうか。不思議な一枚です。


元聖堂だった現在の講堂はこんな感じになっているようです。中間や期末試験を教室ではなくこうやって講堂や体育館を会場にして行っていたのは以前もでしたが、ブルーシートを敷いていたような記憶があります。そして、なぜか必ずおもらしするこもいました。




seitaroさんからコメントいただいた前にある二枚の絵、偶然数年前に行った時に写真をとっていましたので、貼り付けておきます。


舞台の右手、聖マグダレナソフィア・バラ(聖心会創立者)



マザーマイヤー(戦前戦後に日本の聖心会で活動した修道女)



手元に1957年に発行された、Mother Hermanna maayer 志のびぐさ

という冊子があります。1977年にドイツ、シュトゥツガルトで誕生、

1999年オーストリア、リーデンブルクで聖心会に入られ、

1909年9月に来日されています。1955年12月になくなっておられます。



明治末年に来られたということで、ドイツ人なので、英米系の修道女の多くが本国に送還された後、戦時中も日本にとどまられ、戦中戦後の苦労を体験されたのだと思います。


私はお名前とたいそう慕われたかただということぐらいしかわかりません。最後の教え子といわれる方々もおそらく、一番お若いかたでも七十前になっておられると思います。舞台左のマザーマイヤーについて今はどのように教えられているのでしょうかと、思いました。





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遠藤周作の母郁さんが受洗された聖堂ですか。門外不出の写真ありがとうございます。講堂の左側に掲げられている肖像は、須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』にもでてくるマザー・マイヤーでしょうか。

[ seitaro ] 2015/03/20 7:34:32 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん 下の写真はFacebookにあったものをお借りしましたので、門外不出ではないと思われます。よく使われる肖像画がいくつかあります。緒方貞子さんの番組にでてきたのはマーテルアドミラビリス(聖母マリア)、上の写真は私たちが我に来たれと呼んでいたキリスト、そして修道女(マザー)は主に創立者聖マグダレナソフィア・バラ、副者フィリピン・ドゥ・シェーン(北米に渡って布教した最初の聖心会修道女、たぶん列聖されたと思います)そしてマザーマイヤーでしょうか。遠くてわかりにくいのですが、マザーマイヤーは正面像だったと思います。

[ ふく ] 2015/03/20 9:54:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

「ふるさと宝塚」で取材を行った者です。院長フィーストの写真、私のメモで「s53」となっていますが、「1953」のつもりで「53」とあって、私が誤解したかもしれません。それなら時期は合うでしょうか。今からは直せませんし、学校に確認のお手間をおかけするわけにもいきませんが、ご指摘ありがとうございます。

[ kurage ] 2015/05/22 19:20:25 [ 削除 ] [ 通報 ]

kurageさん 書き込みありがとうございました。懐かしくなり写真を使わせていただいてしまいました。1953年ならありうるのかもしれません。私が小学校に入学したのは1962年です。1960年代の後半までは同じ講堂で同じ制服でした。フィーストはお祝い日と訳されており、ふだんは木綿のブラウスに紺のリボンでしたが、お祝い日にはシルクのブラウス、白リボン、白手袋と決まっていました。私たちの頃はいくつかのお祝日がありましたが、既に院長様のフィーストはなかったと思います。ただどんなお祝い日にもハッピーフィーストレヴォレントマザーのご挨拶がありました。先日クラス会があったので、この写真が話題になりました。正面で劇が演じられていますが、おそらく無言劇、タブローと読んでいたものだと思います。私たちの時代はクリスマスに歌と組み合わせて生誕劇をしておりました。けれども最後の晩餐の劇は見たことがありません。最後の晩餐なので、復活祭の催しかなとも思いましたが、そんな催しは私たちの時代にななく、年度はじめにあたることが多いと思うので、なかなか考えにくいのではないかといっていました。学校からの写真でしたら、現在はアーカイブがあるとのことなので、一度問い合わせてみたいと思います。どうもありがとうございました。

[ ふく ] 2015/05/26 18:20:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

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宝塚歌劇100年展

今年は宝塚歌劇100周年だそうで、
イベントが目白押しです。
その一つが展覧会。
兵庫県立美術館で8月5日から9月28日まで開催されます。

トークイベントがあったりだそうです。



チラシをいただいたので、掲示することにしました。


※私はどちらかというと男役の化粧と独特の発声などが苦手で、ついていけませんんが...。



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とても興味があります。
時間を見つけて行ってみますね^^

[ ショコママ ] 2014/07/04 22:27:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

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そらやん

伊丹空港のゆるキャラ、そらやんというらしい。


はばたんにも似ているかも…



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はじめまして。
そらやん・・・、ゆるくて可愛い。
またの更新を待ってます。

[ 慶応進学会フロンティア ] 2014/06/17 20:42:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

はじめまして。着ぐるみなどいるのかどうか気になりますね。

[ ふく ] 2014/06/18 8:10:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

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桜がまだ咲いています

亀岡から南丹市にむかう国道沿い、
まだ桜が咲いていました。


確か3月の月末に埼玉の草加に出かけた時にはもうあちらの桜は散っていました。

その後、寒さがぶりかえしましたので、今年は桜が長く見られます。


ボタン桜も今が旬でしょうか。



そして、もうすぐすると栗の青葉繁るころとなります。



筍の時期は終わりですね。



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三田 方廣寺に桜?

1971年の春号の「甘辛春秋」をぱらぱらとめくっていますと。竹中郁さんの書かれた「しだれざくら」という一文がありました。



竹中先生のおすすめの桜はどこの桜かと思って読み進みますと、
三田からバスで東北にむかって10キロぐらいのところにある方広寺のしだれ桜について祇園の丸山ほどではないにしても云々と書かれています。

方広寺を検索してみますと、紅葉や木蓮が有名な花の寺とあります。きっと桜よりもその二つが有名なのかもしれません。



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上手いもんですねえ。郁さんは原稿をためらわず書いたと足立先生が言われています。推敲もせずに。真似できません。

[ akaru ] 2013/04/04 21:40:58 [ 削除 ] [ 通報 ]

imamuraさん 推敲もせずにというのはすごいですね。このお寺今年は無理そうですが、一度いってみたいと思いました。

[ ふく ] 2013/04/04 21:47:23 [ 削除 ] [ 通報 ]

あ、誤解なきように言っておきますが、これは随想などのことで、詩はこの限りではありませんので念のため。
方廣寺ですか、わたしも行ったことありません。こんな文章を読ませられると行きたくなりますよね。

[ akaru ] 2013/04/04 23:17:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

詩は想像を越えています。随想。想の字が入るところが私どもが事務的に書くものとは違います。随筆、随想、エッセイ、アンソロジーってどこが違うのでしょうか。
このお寺紅葉も綺麗なようです。そんなに遠くはなさそうですのでなにかの折りにたずねてみたくなります。なにかわくわくして、行きたくなったり、食べたくなったり、読みたくなるような文章が好きです。

[ ふく ] 2013/04/04 23:37:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

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ガーデンフィールズの閉園、宝塚文藝図書館取り壊し?

宝塚ガーデンフィールズの閉園をまたずに、
中華料理のお店が閉店するそうです。

もともと、宝塚文藝図書館として建てられた建物で、
一時期歌劇記念館として使われていました。

図書館時代には遠藤周作先生も通われたといういとは、阪急沿線文学散歩でseitaroさんがとりあげてくださっています。

また、中華料理の記事はショコママさんが書いてくださっています。

お花や植物たちがどうなるのかも気になりますが...
この歴史或建物もなんとか保存してもらいたいものです。



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本当ですか。阪急ともあろうものが、どうして維持できないのでしょう。宝塚図書館は遠藤周作を小説家に導いた図書館ですし、仁川への帰り道で過ごしたのが、彼の秘密の場所でした。
遠藤周作は関西に来た時、宝塚ホテルを常宿にしていましたが、その思い出があったからです。遠藤周作氏になりかわって怒っております。小林一三なら残したと思うのですが。

[ seitaro ] 2013/03/29 22:35:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

びっくりしました(@_@;)
取り壊しなんて・・・ロンファンは閉園になる前に転居も分かりますがこの洋館が取り壊されるのは残念でたまりません。

[ ショコママ ] 2013/03/29 23:37:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

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摂丹の霧

摂丹の霧

川西から国道477号線を通って京都府の亀岡から園部に行く途中に
地黄(じおう)というところがあり、嶋田商店という酒屋さんがあると以前にご紹介しました。

旧道沿いに、京都の地ビール、周山ビールと、
地黄からさらに少し京都の方角にむかった倉垣にある
能勢の名酒秋鹿などをおいておられます。

http://nishinomiya-style.com/blog/page.asp?idx=10001865&post_idx_sel=10047117

この酒屋のご主人が実は小説家とご紹介しましたが、

『摂丹の霧』(この地をおさめた能勢氏が主人公)
『明智の娘ガラシア』(細川忠興に嫁いだ明智光秀の娘)
『光秀奔る』

という三冊の著作があります。
そのうち『摂丹の霧』を読んでみました。
戦国時代に地黄をおさめていた能勢一族を主人公に
明智の立場から本能寺の変の前後と、
その後の能勢氏についてを小説にしておられます。

実際、川西市街から鼓滝を経て道はだんだん山手にあがっていきます。
そして一の鳥居から、園部までが最初は住宅地もありますが、
ほぼ約一時間の山道です。

一の鳥居でまず現在の塩川一族の牙城である大阪青山短期大学の天守閣を見上げて右折。街道筋に入っていきます。ゴルフ場や霊園をすぎると、いったん住宅地があり、その先で能勢妙見へのケーブル乗り場に出ます。

その先はご紹介した桜の黒川、そして地黄、倉垣と山間部を走り、
ようやく亀岡市本梅に至り、盆地らしきところにでます。
http://nishinomiya-style.com/blog/page.asp?idx=10001865&post_idx_sel=10046441

この街道、やたら日蓮宗のお寺が多いこと。
山間部なのにかなり裕福そうな家が多いこと。
耕作放棄などされていない美しい田園地帯が続いていること。
茅葺きなど古くからの家や倉が守り伝えられていること。
素人目にも特色のある地域です。

さて、どんな地域かと思っていたのですが、
この家村さんの本を読んで、
戦国時代の明智、波多野、能勢、塩川などの城主たちの
動き少しイメージすることができるようになると、
退屈なはずの一時間が楽しくなってしまいました。

地黄って漢方の地黄の栽培地だったそうです。
能勢氏は明智氏についていたのですが、
明智滅亡後、しばらくの期間身を隠した後
徳川家康につき、能勢の地に再び封ぜられたとか。
身を隠していたのは地黄つながりで大和の地黄だったとか。

能勢氏の若き統領は黒川の地を譲るという塩川氏の言葉にのせられて謀殺されたとか....。一の鳥居に現塩川城があるだけになんか嘘のようで興味をひかれます。

知らなければただの「地黄」「ん?じおう?」がちょっとしたきっかけでかわりました。

この街道沿いにお城がいくつかあることを苦楽園太郎さんに教えていただきました。いまのところ地黄城があったあたりのみ確認できましたが、まだまだです。もしかするとこのままお城の世界にひきこまれるかもしれません。(山登りは無理です)七月末までその道を通りますので、もう少し調査してみます。

次回は家村さんの酒屋さんによって地ビールを仕入れがてら
お話を聞いてみたいと思います。




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西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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