犬と歩く夙川

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武庫についての記載を調べる

六甲山のことをかつては武庫山といっていました。
兵庫県にはかつて武庫郡があり、武庫川の河口の両岸の地域、尼崎から兵庫あたりまでの臨海部をさしたという書物もあります。初出は『日本書紀』神功皇后紀、『務古」と書いたといいます。大和から出て、難波から船出する時、海の向こうに見える山山を向こうの山と呼んだからではないかといわれていますが、他にも諸説あります。

この務古の既述の個所は廣田神社の遷座に関わる部分でもあります。そこを流れる川は武庫川、そして六甲山は元々武庫山と呼ばれたとも解することが多いようです。今では独立している阪神間の市も明治期には摂津国武庫郡〇〇町として近代を迎えています。今では武庫川、宝塚市武庫山、尼崎武庫之荘などにその名が残っていますが、かつてはもっと広い範囲をさして使っていました。

地図があったと思って検索したら、別の視点からですが自分で既に書いていました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10761319c.html



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古代の西宮周辺 | コメント( 0 )
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古代の西宮の海岸線

古代の西宮周辺という分類を作ってはいますが、古代史は世の中の流行ほどに詳しくないので、あまり書くことがありません。

今朝方、Facebookの某市のグループに広田神社に掲げられた、古代の西宮の海辺の状態と遺跡などを描いた看板の写真が掲載されているのを見て、ちょっと考えてみました。

近代以降は埋め立てですが、それ以前も山岳の岩や土を川の水が運んでくることによってによって、海はどんどん埋まっていきました。

現在の標高10メートルのあたりが古代の海岸線であると推測する人もいます。すると海沿いの地方で、自転車で行動したくなくなるような場所以外は当時は海だったということになります。

西宮芦屋研究所員さんに教えていただいた市史にのっている図です。



古代の遺跡や遺物、古くからの神社は殆どがこの海浜よりも山側に、当然ですがあります。つまり神話や古代史を考える時にはこの地理感覚を頭にいれておかなければならないのです。


神功皇后伝説と神社を考えると、あまり内陸部に神社が存在するとちょっとわけがわからなくなるのも、いまの地理感覚がどうしても頭にあるからのようです。


あと、地方史はどうしても現在の行政区分で考えがちですが、そんなものができたのはつい最近の話ですから、もう少し広域で考える視点を持っておかなければならないでしょうということです。


大阪高低差学会さんという面白いホームページをみつけました。

http://osakakoteisa.blog.fc2.com/blog-entry-12.html



以前に住吉大社のことを考えた時も同じでした。

古代の道と海岸線のイメージが大切です。




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古代の西宮周辺 | コメント( 3 )

「地方史はどうしても現在の行政区分で考えがちですが、そんなものができたのはつい最近の話ですから」その通りだと思います。 文学でも平安時代や奈良時代に西宮の地域について書かれたものを読んだり聞いたりしたときには、昔の地形を頭に描いておくことが必要です。梁塵秘抄の歌の中に、津門から西宮神社の方へ行くのに船を使ったようなことが書いてあるらしいのですが、これ以外にもいろいろ思い当たるものがあります。ふくさんのこの投稿は今後いろいろと参考にさせていただきます。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2015/02/11 19:05:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

梁塵秘抄の「廣田より戸田へ渡る舟もがな、濱のみたけへ言付もせむ」でしょうか。中世以前は地形もそうですが、神社の所在地も今ひとつ判然としません。時間ができたら廣田社については高隈原はともかくといたしまして、戦前の社殿の位置も今ひとつ把握できていませんので、歩いていける範囲でもありますので、時間のあるときにゆっくり考えてみたいと思います。

[ ふく ] 2015/02/11 21:22:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

そすそう「廣田より戸田へ」でした。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2015/02/11 22:08:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

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神呪寺縁起などなど

さとっさんが書かれた88ヶ所を巡るA所巡礼にのなかに中に六軒新田と上ヶ原からの参詣道が交わる少し左の谷間に霊水が涌いた話がありました。出典は四井屋久兵衛覚之事(西宮市第五巻)とあります。

場所がどこか気になりました。二つの参道の交わる少し「左」といわれましても…後ほど市史を見るのがたのしみです。

弘法大師と神呪寺の関係を再度考えていると、淳和天皇の第四妃、如意尼が開山となっています。この方は真名井御前といわれる伝説の多い方で、神呪寺の本尊は弘法大師がこの方をモデルにお手彫りの如意輪観音といわれています。

もう一つ気になるのが如意の尼と、廣田神社の祭神瀬織津姫の関係です。さらに瀬織津姫と水と六甲比命神社の関係。水、弁財天、神呪寺とどうどう巡りしているようです。

※参考文献は 神呪寺と如意尼について書かれている『元亨釈書』(鎌倉末  虎関師錬)




※もう一ヶ所『帝王編年記』淳和天皇天長4年(827)3月に、正子内親王が「摂津国武庫山に狐岳があり、その形は宝珠のようで、観音利生の地で有るので寺を建立すべきということになり、天皇に申し上げたところ、同意を得て、橘氏公と三春晴上に堂宇を建てさせ、如意輪観音を祀らせた...。


伝説は総て事実でないようでいて、どこかに何か真実の片鱗があるような、作為的に何か書かれているような…難しいものなので安易にとびつくと神がかりなファンタジーの世界に落ち込みます。



※街道については以下に詳しく説明されています。
聞きかじり西宮歴史散歩にある巡礼と石仏(google地図あり)

今津っこさんの書かれている甲山道と尼崎道です。
http://imazukko.sakura.ne.jp/kaidou/B09kabutoyama/amagasaki/amagasaki1a.html




古代の西宮
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古代の西宮周辺 | コメント( 4 )

早速調べていただきありがとうございます。
尼崎道からたずねてみたいと思います。

[ さとっさん ] 2014/03/26 15:55:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、こんばんは。
郷土資料館では、甲山八十八か所の書籍は売り切れです。
さとっさんのように、神呪寺で手に入れるしかないかもしれません。
取り急ぎ。

[ もしもし ] 2014/03/27 22:29:57 [ 削除 ] [ 通報 ]

さとっさん 昔の道を歩いてみるのと、近いとはいえそこそこ遠いのかもしれませんね。

[ ふく ] 2014/03/28 7:52:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん ありがとうございました。よく読んでいませんで失礼しました。神呪寺の方が行きやすいので明日にでも行ってみます。

[ ふく ] 2014/03/28 7:53:14 [ 削除 ] [ 通報 ]

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西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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