犬と歩く夙川

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越水城趾だったのかも

小学校の低学年の頃、ニテコ池の西南に住んでいました。
祖父母と一緒でしたので、夏になると、大阪に嫁いだ父の姉の一家が帰省して来ました。

私より年上のお兄さんやお姉さんたちは、普段行ったことのない近所の裏山につれていってくれました。

現在は全くの住宅地でしたが、当時は満池谷付近には原っぱがのこっており、お墓から甲山へ至あたりも未開発の部分がたくさんありました。

その一箇所に、いったいあれはどこだったのか、時々不思議になるところがあります。ニテコ池の南側をどんどん東に歩いていって大社小学校あたりから斜面をおりていったのですが、突然道がなくなり、大丈夫かなと思うほどの高い草のしげった崖をくだっていったのです。すると171号線がカーブしている越水のあたりにでました。


西宮文化協会の冊子を読み返していると、それはどうやら越水城の跡だったようです。当時はまだ一部の石垣がのこっていたようです。



西宮文化協会は昭和22年から活動されていますが、昭和38年に刊行された会誌「西宮文化」に、関西学院大学の史学科におられた長島福太郎先生が寄稿された一文に、地図と写真と実測図がありました。


私が住んでいた頃とだいたい重なりますので、おそらく城跡付近にまぎれこんだのではないでしょうか。


永島福太郎先生は、在学中にはひょうひょうとしたお姿をおみかけする程度でしたが、後年いろいろとご教示いただく機会を得ました。けれども当時私は全く西宮の歴史には興味がなかったものですから、何もうかがわずじまいで、今考えると残念

なことです。










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西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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