犬と歩く夙川

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市役所情報公開課の写真展

先日、写真展をようやく見に行くことができました。


夙川、香櫨園。


といっても、ほんの一部です。


この写真は駅から、とんでもなく細いアンダーパスを抜け出たところ。


道路が広くなる前こんなにほそかったでしょうか。


不動産屋さん、後にシーマンが入るビルの前身。


山根鍼灸院は、二階で息子さんに習字習ってました。



私の家はこの交差点を左に曲がって、二回直角に曲がって、斜めに坂を登っていったところでした。交差点を曲がってすぐ左に行くと、ひだまり日記の直野さんの家がありました。その先には当時珍しかったイエローラブのいる家。


この道確か、向かって左側がセットバックしたはずです。


こんなにほそかったでしょうか。記憶にありません。


廊下に飾ってある写真より、本当に面白かったのはパソコン内のデーターでした。


下の写真のばしょも夙川に振り分けられていたり、


他にも見たらすぐわかる景色だらけ、


全部見るのには到底時間が足りないので、また行こうと思います。



閉庁時間まぎわだったので、出てきたら日没。


家から見るのとは全然違う六甲山が見えました。








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ワタシも室内のPCで小一時間楽しみました、また行こう

[ 笹舟倶楽部 ] 2015/02/24 21:17:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

PCの写真、感激モノでした。今日の記事に使わせてもらった昔の香櫨園駅の写真も、そこから拝借。回生病院の美しい写真、鳥瞰図でしか知らなかった夙川病院の写真、井上靖の下宿していた家などブログネタ満載。私ももう一度行かねばなりません。

[ seitaro ] 2015/02/24 22:11:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

笹船倶楽部さん 芦屋は古い写真をネット公開しはじめたみたいですので、西宮にも期待します。

[ ふく ] 2015/02/26 9:33:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん 写真の整理大変そうでした。どこがどこ?というのこそ、リタイヤされて時間のおありのかたとか昔の風景を知っている遊休人材を活用されるとよいのにと思ったりしました。

[ ふく ] 2015/02/26 9:35:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

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パインクレスト新聞記事

昭和6年の大阪毎日新聞からです。

見出しは「新アパート」殿山町にあったパインクレストです。

このアパートについては既出ですが、

アパートメントとありますが、食堂を完備したホテルです。


夙川停留所から約五町、駅から北へガードをくぐり、線路沿いを西に、

道は何度かおれますが、道沿いに北西にななめに坂をあがってゆきます。

香櫨園の遊園地として開発された、夙川駅の西側ですが、破綻し、遊園地施設は現在の香櫨園へ、この頃には大新土地の手によって住宅地として開発がすすんでいます。谷崎潤一郎が転居してくるのはもう少し駅に近いあたりです。

そろそろ、造成がすすみ、石垣の上に洋館がたちならびはじめた頃だと思います。

パインクレストの周辺にはヴォーリズ設計の洋館も何軒かたちました。

その道を少しいくと、岡は終わります。現在は北側はなだらかな坂道があり、樋之池へと続いています。


当時は山の向こうに夙川から直結している自動車道はなかったのかもしれません。田畑や、ツツジの満開になる小山があり、中新田川を越えて苦楽園へと上がってく道があったと思います。


通っていた幼稚園がパインクレストのすぐ先で、またずっと近所に住んでいたので、この建物はよく覚えています。最後は太陽神戸銀行の社宅になっていたと思います。そしてその後は震災後は家が建ちました。殿山町にあったヴォーリズの有名な三軒ならびの住宅が震災で倒壊し、そこに住んでおられた方がここに家を建てられました。そしてそこに居たのはうちにいたイエローラブのももちゃん(タイトル写真右側)の姉妹でした。しばらく行っていないのであのあたりがどうなったか最近はよくわかりませんが...




日本文化の尖端を行く阪神阪急沿線にまた一つモダーンな建築物が出来た、名称はパイン・クレスト・アパートメントで阪急
夙川停留所を西北へ約五町、松林に囲まれた南面の丘上に建築中であった同所大神土地株式会社経営のもので四月上旬開業の予定である、建物は純洋風近代式鉄筋コンクリート三層建、工費十八万円、アパートメントに附随してホテル、食堂を経営し客室は六十一室、各部屋には洗面所、卓上電話、電熱附のサーヴィス・テーブルおよびベッド等を設け部屋は五坪乃至九坪で専用バスと便所附の家庭向きの室もあり共用食堂、バス、便所などを設備し各部屋にスチームの設けもあって大体一部屋百円内外である 
 写真―パイン・クレスト・アパートメント 




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名次神社の灯篭A 

名次神社の石碑の続きです。
とりあえず、奉納の年次はほぼ昭和一桁ですが、
ここではおいておいて、施主の名前のみ列挙します。

こちらは西と東に階段があり、西にのみ鳥居があります。


本殿横
富和靖介
富和靖介

東側
大同生命保険株式会社
大阪商事株式会社
株式会社杉村倉庫

南側
小寺 某(摩耗していて読みにくい)
株式会社日本信託銀行
大阪株式取引所 取引員組合

西側
富和証券株式会社
株式会社大阪株式取引所
株式会社大阪株式取引所
大阪代行株式会社

株式関係だけではなく銀行、倉庫、証券などもあります。
が、やはり目立つのは株式関係です。

時間がないので、おいおい考察するとして、
とりあえず、本殿横に一対を寄進されている、
富和靖介とは何者かと思い、検索してみました。

すると、有名な相場師のようです。

以下日経の記事を引用します。




ここに寄進された方々、あるいはその会社の社長さんたちが周辺に居住されていたのかどうかなどについては全然わかりません。私の知る限りではそういうわけではなさそうです。現在は名次神社は広田神社の摂社になっていますが、当時の宅地開発との関係でしょうか。わかりません。







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ふくさん、こんばんは。
この件は、いずれふくさんや凛太郎さんに問おうと思っていました。この寄進は、ここに遷られたあとなのでしょうね。
2号線の新靭公園あたりが大阪の靭あたりの商人の住宅地として開拓されたという話があり、ここらも北浜あたりの株式関係者の住宅地として開拓されたのではと勝手な仮説を立てていましたが・・・。

[ もしもし ] 2015/01/04 22:15:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん 甲子園のことは不案内ですので、新靭公園の話は存知ませんでした。名次神社はたまたまいつも通っているので気になっていたのと、ずっと住んでいると地域の方々とのおつきあいが希薄な土地ですが、何とはなしに耳にする噂などもありますが、株屋さんの話など聞いたことなかったのでちょっと検索してみたところ、有名な株屋さんの名前がでてきてびっくりしました。すぐそばの石屋もお墓などの移転とともに同じ頃に移ってこられたと思いますが、さて、どの程度みなさんご存じなのでしょうね。私の知ってる範囲では有名な株屋さんの家があったとは聞きません。浮き沈みの激しい商売ですから、はっきりしたことはわかりませんが、昭和12年頃に紺綬褒章を受章されていることが記録にのこっています。戦前戦後の紳士録などを繰ってみたら、個人情報など関係のない時代ですので、住居表示などがでてくるかと思いますが…時間があったらやってみます。

[ ふく ] 2015/01/04 23:38:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、こんばんは。
新靭公園のことは、この辺りで触れています。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000080132/p11014676c.html

[ もしもし ] 2015/01/05 23:27:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

新靫公園の記事ありがとうございます。直接その公園に関する話題には思い至りませんが、靫公園周辺は船場が中心とすれば周辺の地域であり、戦前戦中には飛行場として接収された話を同級生から聞いたように思います。

[ ふく ] 2015/01/06 0:01:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

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名次神社の灯篭@


名次神社が今の場所に遷座したのは明治四十一年といいます。南側からうつされたのです。その当時の鳥居跡の石碑が神社の少し南、道にせりだした記念樹の松とともに名次町にのこっています。



 神社が遷座された頃、川の西側には越木岩新田があり、東側の夙川川筋には酒造家の水車小屋がありました。また丘陵の東側には廣田神社があり、広田、大社、越水の集落もあり、田圃が広がっていたはずです。後に開発される城山の北部、名次山、南郷山あたり一帯は山林だったはずです。

西宮の町からニテコ池に来て自殺する人が多かったとか、六湛寺から墓地が移されたことなども、当時ここが西宮のはてであり、人里離れた場所だったことをうかがわせます。

ところで、現在の神社の敷地内にはたくさんの灯篭がたっています。その年代はおよそ昭和六年、八年となっています。これは南郷山と名次山一帯に大阪財界で活躍した人々の邸宅が建ちはじめた頃とほぼ同じようです。今は松下邸で有名ですが、松下幸之助より一世代前の財界人たちの家がたくさんあったそうです。南郷山の方は住友財閥関係の邸宅が多かったからか一名、住友村ともよばれていたと聞いたことがあります。

ところが、境内の灯篭にはそういった方々の名前はなく、その殆どの銘文が証券会社関係です。その理由はよくわかりません。なかに個人の名前も幾つかありました。特に本殿の両側にあるものは他の灯篭より少し古くたったようで、富和靖介とあります。


富和靖介を検索してみると、大正から昭和初期にかけての有名な相場師でした。(つづく)



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苦楽園口の風呂屋

せいさんがお風呂屋さんの話を書いておられます。

苦楽園口にも風呂屋がありました。
といっても今の苦楽園口を想像しても駄目です。
昭和40年代の中頃までの苦楽園口のことです。

つまり阪急甲陽沿線の西側、今の北夙川小学校の校区は駅前を含めて殆ど何もなかった時代のことです。夙川河川敷、大正庵のあたりに、まだたくさんのバラックがたっていて、豚や鶏が飼われていた時代のことです。

風呂屋は苦楽園口の東側、夙川を越えた名次町にありました。
たぶんバスが通る一方通行、建石筋を東に渡ったあたりだったと思います。
交差点には茅葺きの家がありその先の北側でした。

住宅が新築される場合に徐々に風呂が装備されるようなっていったのだと思います。けれども、さざえさんや当時の漫画などを見ると、風呂屋のシーンはあたりまえでした。集合住宅に風呂がついたのも、公団住宅が建つようになったあたりからです。

西宮市内でも、昭和50年代の学生が下宿するとしたら、風呂無しアパートが当然。共同トイレでなければ、御の字ではなかったかと思います。
浅田美代子がデビューした「時間ですよ」だって風呂屋が舞台の話です。


名次町の風呂屋がいつ頃まであったのか思い出せません。また夙川駅付近だとどこに風呂屋があったのかも思い出せません。

西宮市内にかつて風呂屋のあった場所を書き起こしたものってないのでしょうか。おそらく昔の電話帳を見れば、すぐにできそうですが…。

阪急電車が高架化した頃、高い建物が殆どなかったので、夙川から西宮北口までの間に風呂屋さんの煙突をたくさん見ることができました。子どもの頃はテリトリーが狭いですから、確かめにいったことがありませんが…

名次町の風呂屋を検索していたら、「西宮文学全集」という頁をみつけました。


ところで近所の銭湯っぽいところって、
今は双葉温泉ぐらいしかありません。

おそらく阪神大震災で銭湯も集合住宅もかなりダメージをうけたから廃業したのでしょう。

そしてスーパー銭湯の走りのようなものがでだしたのも昭和50年代だと思います。守口のコミカ温泉というのがそのはしりだったような気がします。わざわざ西宮から行ったのを思い出します。


昭和の西宮
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時の流れを感じます… 風呂屋の歴史。

[ Numa ] 2014/02/23 11:20:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

Numaさん 戦後の都会では風呂や水洗のお手洗いがあるというのがすごいことだったようですが、今はないのが珍しくなってきました。ところで時の流れでもう一つ気づいたことが、先日掻いた北田辺の近くにあるエリオスという洋菓子のお店ですが、先代までは縄本日栄堂という50年続いた和菓子製造・卸のお店だったようです。http://kijicone.seesaa.net/article/228560871.html 美味しいので母が電話で注文したところ、送られてきた袋が縄本日栄堂でした。Numaさんが住んでおられたころからあったのではと思いました。

[ ふく ] 2014/02/23 11:39:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

線路沿いにあったお店、「日栄堂」さん。公園のすぐ南側なので、おそらく何度も前を通っていたことと思います。グーグルの地図では、今でも「日栄堂」で表記されてますね。
あの辺りは小さいころによく遊んだ場所なので、郷愁を誘います。

[ Numa ] 2014/02/23 12:58:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

25〜6年前に平松町で仮住まいしてた時、札場筋に銭湯があったような‥。
たぶん、今ダーツの店のある場所にあったんやと思いますよ。

[ ノルバスク ] 2014/02/23 14:05:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

ノルバスクさん 札場筋にありましたか。分銅町に煉瓦の四角い煙突があったのですが、それが何の煙突だったのか知るよしもありません。電車から見えていました。

[ ふく ] 2014/02/23 23:33:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、こんにちは。
甲子園方面だと、「甲子園温泉」酒蔵通り沿い・甲子園網引町、「新甲子園温泉」甲子園前の大通り沿い・甲子園の南側 がかつてありました。「甲子園温泉」は、まだゴミ屋敷の横に貸店舗としてあります。
香櫨園近くでは、「市庭温泉」が駅の東北・旧国道沿い・今は空き地、名前は忘れましたが香櫨園駅の西側の市場の中にいい銭湯がありました。JOY西宮がすぐ近くにできて、あっというまに店じまいしました。
家から近いのはJOYですが、休日はいろいろ行っています。最近、マナーの悪いじいさんが多くて閉口しています。

[ もしもし ] 2014/02/24 17:05:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん こんばんは市庭温泉はぼんやりと覚えています。時々前を通るのがJOYのような気がします。冬場は湯冷めするので銭湯や温泉は苦手ですが、夏には行きたいとおもいつつ面倒で実現しません。

[ ふく ] 2014/02/24 22:18:50 [ 削除 ] [ 通報 ]

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夙川駅前1983年

Seitaroさんが昭和12…3年の夙川駅前の図をあげてくださっています。
http://nishinomiya-style.com/blog/page.asp?idx=10001713&post_idx_sel=10049799

収集癖のある我が家にのこっている住宅地図の一番古いのは
1983年のものです。
夙川駅の北西に住んでいましたので、夙川小学校校区にあたり、夙川駅前の地図がありました。

この地図は夙川駅前が再開発されている途中の地図になります。
グリーンタウンと歩道橋は1977年にできていますが、
駅ビルや、駅前広場(1984年)、線路の下をくぐって駅の北にまっすぐ徹る道はまだできていません。

駅前のたばこ屋さん(中谷商店)、阪神タクシー、夙川局(郵便局)、羽衣屋さん、羽衣文具の位置は確認できます。

ただ、阪急タクシーの場所は、すでに移転した本屋さんと薬局の場所にかわっています。神戸銀行、三和銀行も早々と移転していましたので、すでに工事中などにかわっています。

たぶん焼夷弾か爆弾が薬局のあたりに落ちたのだと思います。薬局から羽衣文具あたりにかけていわゆるバラックでした。また羽衣文具の隣の車庫のところが羽衣屋とつながっていたと思います。

それにしてもひまわりさんや 靴のアサヒさん つるや食品さんなど懐かしいです。

個別のお店について覚えていることも多々ありますが、とりあえず個人情報満載なのでさしひかえます。


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大雨と崖崩れ

今朝はものすごい雨でした。

兵庫県と大阪府のなかで唯一西宮市にだけ警報がでていました。
ということは、学校はお休みなのでしょうか。
テレビをつけると、確かに大阪市内はたいして降っていなかった様子です。

西宮市で豪雨というと何度かあるのですが、昭和42年の集中豪雨が一番印象に残っています。

日曜日どしゃぶりの中、幼稚園のバザーにいってきた日のことでした。
未明に雨音とともにものすごい音がしました。

朝起きて窓をあけると、
家の北側の斜面と、向かいの家の南側の斜面が崩れて
道がふさがれておりました。
小高い場所にもかかわらず、以前から側溝がつまったりしておりましたが、
ここまで崩れるとは思っていなかったので、
気がついたのは雨戸を開けた時という、すこしまぬけなことでした。


国土交通省、六甲砂防事務所の編集しておられる河川の頁には、
西宮市で何度も洪水の被害にあっていることが書かれています。
http://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/rokko/study/shuku.php

(この頁以前に西宮流で教えていただきましたが、ものすごくよくできています→発見したのは私のようなのですが各頁に国土交通省という書き込みがないので国土交通省が作ったということに私は気づいておらず教科書だと思っておりましたが、seitaroさんに教えていただいて、びっくりしたしだいです。)

昭和42年の洪水では五月が丘で崖崩れがあり被害がでました。
それに比べると規模は小さいのですが、
あちこちで住宅の石垣や擁壁が崩れていたように思います。

教則本の地図は浸水を中心に書かれているように思います。
実際にはもっと広い範囲で小規模な崖崩れが起こっていたと思います。

幸い夙川は反乱していませんが、
夙川に流れ込む久出川などの河川は何度か氾濫していると思います。



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ふくイメージ
西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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