犬と歩く夙川

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西宮市の昭和

宝塚バージョンがよかったので、買ったのですがこちらは今ひとつでした。
旧西宮町や甲子園あたりが中心になっていて、残念ながら夙川近辺のモダニズムには視点があたっていませんでした。
もっと写真提供を呼びかければ良いのにと思いました。

プールの写真が面白かったので載せてみましょう。


下に比べると上はのどかなのがわかると思います。私はいつも上のプールに行ってました。当時から人混みは大嫌いでしたら、



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私は西宮南東端住民でしたから下写真の厚生年金プール専門でした。仁川地区にパブリックのプールがあったというのはこの記事を読んで今知りました。子供の頃の私には国鉄の線路以北の西宮はよその街でしたから。

[ せいさん ] 2015/05/04 15:13:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

子供の頃は従兄弟と樋之池のプールに行ってました。
地元なら朝日ヶ丘のプールでしたね。
その頃はすぐ横に鯉の釣り池もありましたっけ。

あ、後れ馳せながら越木岩神社で嘆願書に署名しときました。

[ 響 ] 2015/05/04 16:46:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

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DVD. 細雪

1959年版  映画、細雪のDVDが発売されているのを偶然見つけて買ってしまいました。

まだ、見てませんが、阪神間の失われたふうけいがでてくるのでしょうか。


私の習っていた画家の松葉先生は細雪に出てきます。

もうお一方、お名前は出せませんが出てくる方をぞんじあげてました。

長らくお会いしていませんが、当時を知るご夫妻が京都におられますが、

お元気でしょうか。



今朝、阪神の難波からエスカレーターを上がっていたら舞台の細雪の広告が出ていま

した。


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最近DVDが販売されていることを、きーぼーさんから教えていただきましたが、一歩遅れました。1959年版が、もっとも芦屋、夙川の風景が映っているそうです。

[ seitaro ] 2015/01/21 23:21:38 [ 削除 ] [ 通報 ]

たまたま、細雪の表紙の画像が欲しかったのでamazonを検索していてみつけました。お着物の柄などがたぶん時代考証していても微妙に映画をとられた時代のをひきずってたりするのかな…、と、思ったりしていますが、なかなか見る時間がありません。

[ ふく ] 2015/01/22 10:15:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

だべろう会に持ってきてください、みんなでワアワア観ましょう。欲しいものリストに登録しました。

[ 笹舟倶楽部 ] 2015/01/22 13:54:27 [ 削除 ] [ 通報 ]

う〜ん。忘れなければ。

[ ふく ] 2015/01/22 22:12:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

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今津にあった丸いガスタンク

今津に丸いガスタンクがあったのを覚えておられる方も多いと思います。
阪神間のガスタンクといえば、今津と尼崎が思い出されます。

大阪ガスのグラウンドがその横にありました。
(今もあるのでしょうか?)

グラウンドで野球をしている写真ですが、
ちょうど建築中のガスタンクが写っています。

akaruさんの写真にあるガスタンクとはまた違うのですが、
このブログをはじめた頃、写真をアップしていたので、
もう一度アップしてみることにしました。

二枚目の写真は完成したガスタンクと左側にakarusさんの写真にあるガスタンク、
そして、高い煙突が二本たっています(以前に教えてもらったのですが何の煙突だったでしょうか。野間宏の『青年の環』にでてくる辺りでしょうか。

このあたりは戦争の時、空襲で破壊されており、戦前と戦後ではすむ人たちもかなり入れ替わっているため、昔を知るよすがが殆ど残っていないといわれる地域です。

建築中というのがいつのことだかわかりませんが…
昭和35年には完成していたようです。



今津っこさんが以前に書いておられますが、残念ながら一部の写真のリンクがはずれてしまっております。



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村上春樹の1973年のピンボールにこのガスタンクが出てきます。「やっと灯台にたどりつくと・・・その背後には青黒い山並みが空に向けてくっきりと立ち並んでいる。右手には内側に向かって湾曲した海岸線に沿って、静かな住宅街やヨットハーバー、酒造会社の古い倉庫が続き、それが一区切りついたあたりからは工業地帯の球形のタンクや高い煙突が並び、その白い煙がぼんやりと空を被っていた。」これは明らかに昔の今津の浜の景色です。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2014/09/26 12:35:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

今津や尼崎のガスタンクは知らないうちに全て撤去されてようですね。丸いガスタンクの跡地は、コーナン今津店(2号館)になっています。二本の煙突は、スーパーマルナカの東隣の西宮市環境整備西部工場(現在封鎖中煙突は1本ですが・・・)ですね。
【Googleマップを使って国土地理院の地図を見る】より1975年の航空写真で確認できました。
http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap.html?data=djws

2枚目の写真、野球グランドや右端の白い建物、丸いガスタンク、左に円柱のタンク、さらに左の煙突など検証できます。

[ Z探偵団 ] 2014/09/26 20:02:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

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空襲体験を語り継ぐ会

こちらのニュースの方が先に流れました。


空襲を語り継ぐ会が西宮で開催されたというものです。西宮市では昭和20年の5月から8月までの間に空襲があり、昨日、8月6日の空襲では当時の市街地であった阪急電車の線路以南が殆ど焼失したといわれます。

満池谷の震災公園には、戦災で犠牲になられた方を追悼する慰霊碑がたてられています。

このような会があるのは知りませんでしたが、平成21年から浜脇古老の会によって続けられているそうです。

夙川、苦楽園口地区でも、住宅地であった夙川駅前、現在グリーンタウンのあるあたりに爆弾が落ちたそうで、一部が被害にあったままの住宅もが長らく残っていました。また大井手町、寿町周辺、大社小学校も被害にあっていると聞きます。

第二次大戦以降の戦争は、現在の中東、ガザ地区の爆撃などもそうですが、市街地が無差別爆撃されるというのでしょうか、武器を持って戦っている前線だけではなく、市民生活の場が突然戦場になります。日常生活で、拳を振り上げたり、人に危害を加えるのは刑法で罰せられますが、戦争となりますと、攻撃が正義の為と正当化されます。不合理です。

語り継ぐ方自信がおられる間は、真実と脚色が見分けられます。ところが最近は、現場を生きた証人が減ってしまったことから、いったい誰が書いたものが事実なのかがわからなくなっています。

80代の方々は戦場で戦うというよりも、子ども之頃に空襲にあわれた方々です。兵士として戦われた世代は90代。指揮をとられた世代は100歳、中枢にあって責任を問われた世代はすでに鬼籍に入られています。

太平洋戦争に至った1930年代は列強からの軋轢でしたが、今は隣国からの挑発がありますので、さて、これからどうなっていくのか、平和は維持されなくてはならないと思います。


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語り部が減ってゆくことへの危惧
いつか民放のローカル局が、語り部が静かに語るのを収録するという企画を打ったように記憶してます。どこの地方局か失念しましたが、こういった貴重な映像こそビッグデータに取り込んで、いつでも誰でもが閲覧できるようにしておくことが必要なのではないかと思います。
ひとつの民放局の資料としておくには、あまりにもったいないと思います。

[ Numa ] 2014/08/07 9:21:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

Numaさん うちの母は土岐に疎開していたのにもかかわらず、名古屋大空襲の時に、名古屋駅のすぐ近く、納屋町の家にいたそうです。八事にも家があったので、そこにいたのばっかり思ったのですが、最近話しているとどうも納屋町にいたようなので確認したらそうだといっていました。詳しいことは誰もあまり話そうとしてくれませんが、父方の祖母は尼崎の空襲で、焼け出されて歩いて兄のいる苦楽園口まで歩いてきたそうです。開戦の時にヨーロッパにいて交換船で帰ってきた人や、アメリカに移民していて収容所に入っていた人とか、朝鮮や満州から命からがらひきあげてきた人など、いろいろな人の話をふとした時に(聞く会とかではなく)聞いたかもしれませんが、今後いろいろな局面が生じると思いますが、戦争だけは何とか避けてもらいたいです。戦中の話はすでに、左右のイデオロギーのプロパガンダの材料にもされていてニュートラルではなくなっていたりしますので、語り部の記録は改竄せずに残してもらいたいです。

[ ふく ] 2014/08/07 10:27:48 [ 削除 ] [ 通報 ]

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夙川と芦屋 昭和8年の地図

夙川と芦屋は阪急で、一駅です。
といっても実は山が入り組んでいるためかJR以北で車で通り抜けられる道は限られていました。山手幹線ができて直線の一本道ができましたが、夜間以外は夙川駅前がかなり混みます。

@一番北は 苦楽園から六麓荘への道。
A次は岩園トンネル。
Bそして、稲荷山を越える急坂。
Cさらに、釣り堀のあった池を埋め立てた住宅地。
D阪急以南では雲井橋南から大師前踏切手前を西へ、住宅街を通り抜け、大谷町でJR沿いにでて、JRの変電所を右に見て坂を下り、そのまま芦屋駅北側の道へ。
E山手幹線

できた順序からいうと、@とDが古く、ABC、さらにEでしょうか?
@は戦前からありました。
Aは昭和40年頃
Bはいつからあったのかわかりません。
Cは昭和の終わりです。
Eはつい最近です。

夙川も芦屋川周辺も、阪急の開通の後にひらけた住宅地ですので、
東西の道ができたのはかなり後のことです。

現在の道ができてきた過程をある程度知っていますが、

昭和八年の地図を見てちょっと愕然としました。

実はこんな道などなかったと思うのですが、
大きな立派な道が地図には書いてありました。




わかりました。大正12年の地図(芦屋市史)をながめていると、

神戸水道路とありました。

http://www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/shishi/documents/31-1.pdf

http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Senngari_map.JPG



千刈貯水池から上ヶ原浄水場まで送られてきた水を神戸市内兵庫区奧平野浄水場まで送る送水管の通り道です。この水道管の通るところを神戸水道道といいます。


wikiには
上ヶ原浄水場からは、南に阪急電鉄甲陽線の水道路踏切を抜け、夙川学院中学校・高等学校前から芦屋市岩園町の水道橋までゆるやかに南西方向に進む。この付近は今では高級住宅地であるが、建設当時は住居もほとんどなく田畑が広がる地帯であり、この水道が通るため付近の山を鉄管山とよんでいた。

と、書かれています。がこの道が道として西宮と芦屋を繋いでいたのでしょうか。
たぶん車が通る道として繋がれていなかったのではないかと想像しますが
岩園トンネルできる前、阪急バスは苦楽園を経由して苦楽園口と芦屋を結んでいました。阪神バスは国道を通っておりました。車でJRに行くには

詳しくはもう少し戦前戦後の地図を見てみなければわかりません。

朝からずっとパソコンの前にいるので、そろそろ散歩にでもでかけましょう。


夕方、宮川へ下りる道を走っていたら、いかりのちょいと手前、

水道橋のバス亭のところ、工事していました。

よくよく見ると、水道橋の工事でした。





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その道が伸びた延長線上に灘の水道筋商店街が出来たと聞いたことがあります。

[ 響 ] 2014/03/03 7:55:12 [ 削除 ] [ 通報 ]

響さん 甲陽線のサイゼリアの交差点が水道路、芦屋川の駅山側の商店街、岡本駅と山手幹線の間の商店街も水道路といってました。(今はわかりません)灘は路じゃなくて道。レーニン食堂に行ったことがあります。話かわりますが、星野さんのtwitterや、mixiの食虫のコミュなどのぞいています。モウセンゴケが好きかもしれません。

[ ふく ] 2014/03/03 9:23:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

思い出しました!
芦屋の阪急山手商店街は遊び場でしたが、友人の中には『水道道』と言ってるやつもいました。
親か祖父母から教わったのかも知れないですね。

久々に商店街の駄菓子屋や文具屋なんかを思い出しました。

モウセンゴケがいいですか。
よかったら、次回市民会館で集会をやるときにでも冷やかしにきて下さい。
東大阪は遠いですから。

[ 響 ] 2014/03/03 15:56:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

響さん 灘は筋でしたね。書き損ないました。阪急山手商店街は震災まで古いお店も残っていました。文房具は松本,駄菓子屋は商店街から少し入ったところだったような気がしますが…忘れました。

[ ふく ] 2014/03/03 20:17:15 [ 削除 ] [ 通報 ]

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県道82号線

県道82号線は「大沢西宮線」「六甲神楽線」「建石筋」などと呼ばれています。
この道は主要地方道に昇格する昭和57年(1982年)までは県道115号六甲神楽線といったそうです。また二号線と合流する神楽町より南の海に近いあたりを建石筋とよぶので、北の方を建石筋という人もいます。

比較的よく利用する地元の人間がいったいどうよんでいるのか。タクシーにでも乗ってみないとわかりません...

夙川沿いより一本東にある広い道とでもいいましょうか。


二号線からさくら夙川駅のところを北にまがり、甲山を正面に市街地を走ります。北上すると甲陽園線の踏切を経て坂道に入ります。

さらに登ると左手に旧夙川学院短大、甲陽学院を経て、しばらく行くと右手に北山公園、左手に柏堂、剣谷、真ん中に巨大な岩を見ながら、左鷲林寺、右甲山の交差点を経て、湯元にいたり、さらにすすむと、右に宝塚・左に盤滝トンネルおよび六甲山となります。その交差点を盤滝トンネルへとすすんでゆくのがこの県道です。

一方、六甲山に行く道は宝塚と明石を起点にした県道16号線明石神戸宝塚線です。

この道に盤滝トンネルが開通したのは平成3年(1991)で、それ以降西宮市北部と南部を結ぶ主要な幹線になりました。つまり中国道の西宮北インターにもこの道を使うと簡単にいけます。

そのため交通量が圧倒的に増えて、鷲林寺交差点付近が拡幅され渋滞が緩和され、また2007年のさくら夙川駅建設にともない、都市計画道路建石線として神楽町から北名次町までの整備がなされました

ところで、いったいこの道を車が通るようになったのはいつのことなのでしょう。ということが以前から気になっておりました。旧西宮町の表六甲側からみると、柏堂、鷲林寺、社家郷山などにかつて徒歩で入っていた時代と、便利になった現代までの間の交通機関はいったいどうなっていたのでしょう。

県道82号線は今では西宮市の南部と北部をつなぐ幹線ですが、トンネルができる以前は、船坂峠を越えるのに、七曲というほどの坂道があり、ものすごく時間がかかったこともあり、ドライブ目的は別にして用事で通ることはあまりなく、西宮市南部市街地からはむしろ、県道16号線に入り宝塚に行くために使われていたと思います。

この県道16号線の方は宝塚と六甲山を繋ぐ道として整備されたのは意外に古く戦前に遡ります。では82号線はどうなのでしょう。戦前から車で宝塚にぬけられたのでしょうか。あるいは戦後なのでしょうか。




北山公園やガミヤ池に上がった頃にはこんな道はなかったように思いますが…、ハイキングだから通らなかったのでしょうか。

昭和8年の地図には道らしい図がのっていますが…
よく見ると、今の県道はこの当時は甲陽園線で行き止まっています。


夙川左岸の道路の方が主要な道路だったようで、私が時々行く三ツ豆珈琲のある
今ではマイナーな夙川沿いの道が甲陽園線を横断しています。



さて、県道82号線、ひょっとすると県道になる前の郡道の時代からあったのか、
県史を見ると道路の項目があるのでしょうか。調べきれていませんが心覚えに書いておくことにします。



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地蔵前?

さらにもう一つ、日文研の別の地図をみていて気づいたこと。


の手前「地蔵前」という地名があります。

地蔵前というからには後ろに地蔵があったはずです。

この地蔵はどういう地蔵だったのでしょう。

ひょっとして越水の墓地の六地蔵?

わかりません。



地蔵前の位置を現在のgoogle地図に落とし込んでみました。

「前」はどちらの方向をさすのでしょう。



西宮市最新地圖 : 合併記念

西宮が周辺の町と合併して市になった時の地図です。
赤いところ、が西宮市です。
西宮の地蔵調査では大社村の地蔵として処理されてしまっている南郷町や名次町あたりがこの直前まで西宮町であったことはこの地図でもわかります。水利権の他、権利の問題などがありますから、歴史的遺物の調査をする場合は町村の境界は、ある意味厳密に分けて欲しいものです。




今までは住宅地図として見ていましたが、神社等、
宗教とからめて地図を見ていくと面白そうです。



凜太郎さんが教えてくださった、今津っこさんの地図から
地蔵さんの位置を推測してみます。
塞神社はいつからあったのでしょう。
もし古いとしたら、ここは道の要だったと思われます。
すると古地図では廣田と名次神社を繋ぐ道の北に地蔵さんがおられますので、地蔵さんは塞神社より北、今の浄水場のあたりにおられたのではないでしょうか。推測の域をでませんが、
東にある六地蔵とはまた別の、地図に載るようなお地蔵さんが
おられたのかもしれません。



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ふくさん、こんばんは。
このあたりに、現在お地蔵さんがあるとすれば、越水墓地の六地蔵ですね。
浄水場前の神社跡らしきものに関して、何もありませんね。
平成24年3月作成の西宮市役所発行の白地図には鳥居マークが記されています。
何なのでしょうね?

[ もしもし ] 2014/01/21 21:51:10 [ 削除 ] [ 通報 ]

凛太郎さんに教えていただいたゴードンスミスの六地蔵、現在ではまったく気づかないような場所でしたが、昭和の初めには地名になるほどだったとは。
改めて昭和8年の地図見せていただきますと、谷崎潤一郎や大岡昇平の小説の舞台となった夙川周辺、苦楽園温泉など当時の様子が伺え、文学散歩する上では大変貴重な資料です。
既に紹介されていたような記憶もありますが、輿木岩温泉まであったとは。夙川短大のあたりで、最近の技術をもってボーリングすれば確実に温泉がでてきそうですから、そのうち健康ランドでもできるかもしれません。(望んでいるわけではありませんが)

[ seitaro ] 2014/01/22 8:14:00 [ 削除 ] [ 通報 ]

今頃のコメントで誠にすみません。m(_ _;)m
今津っ子さんのHP「阪神間の街道を歩く」では江戸期の古地図を公開して下さっていて本当に有難いのですが、ちょっと調べたいことがあり先ほどから細かく見ていたのです。さすれば。
http://imazukko.sakura.ne.jp/kaidou/archive/ezu/nishinomiya/namba/namba.html
北西部の詳細図を選んで、名次社、ニテコあたりを拡大して下さい。そこに、地蔵がいます。驚きました。
この「南波図」と呼ばれる絵図はしばしば引用される有名なものですが、これには全然気づいていませんでした。こういう絵図に描かれるくらいですからさぞかし大きくて有名なお地蔵さんだったのだろうと思うのですが、僕は見聞したことがありません。σ( ̄、 ̄=)ンート…
しかしおそらくはこのお地蔵さんが「地蔵前」の由来ではないでしょうか。

[ 凛太郎 ] 2014/03/01 6:57:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

凜太郎さん ありがとうございます。 確かに地蔵があります。遠近感がよくわからないのですが、ニテコ池の北側は西宮の街から見ると小高い丘で、後方は山手です。満池谷から廣田社への旧道がどの道なのか、その道の北に地蔵はあったようです。あるいは塞神社のあたりはいくつかの道が交わっています。あのあたり道があったのでしょうか。塞神は分岐点に外からの厄が入らないように祀られる神様といいます。とすれば今の浄水場のあたりに地蔵様がおられたのかもしれません。
考えると楽しいですね。またお気づきのことがありましたらご教示ください。

[ ふく ] 2014/03/01 10:05:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

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西宮地図 六と八の間違い

以前甲陽園の中寿花壇の裏の石碑のことをみんなで調べたのですが、
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10930215c.html

きょう、別のことで以前にご紹介した京都の日文研にある西宮市街全図 昭和10年を見ていて、そのなかに記述を発見しました。

甲陽園の蜘蛛のように道の広がっているところですが…
地図を見てください。
「六」じゃなくて「八」になっています。
西宮市には「馬」のつく名前が多いのですが、
地図作製者が「六馬」を「八馬」と書き間違えたわけでした。
間違いなく六であることがわかった今はよいのですが、
これを先に発見していたら、八馬別邸と勘違いしたところです。
・・・・。ちょっと気になったので、記事にしておくことにしました。

と、思ったのは大きな間違いで、ダンプ先生から訂正が入りました。
六馬別邸の交差点はもっと南でした。
八馬別邸は大師道の交差点です。
地図の道筋が今とはだいぶ違うので混乱しました。
もう少し落ち着いてみなおすことにします。




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ふくさん、これは八馬さんであってませんか?
太子道の交差点ですよね、これ。ナカスミ花壇はこの地図では大池の右横になると思うのですが・・・

[ ダンプ先生 ] 2014/01/21 21:44:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

ダンプ先生そうですね。もう一つ南が六馬さんですね。間違えました。後ほど訂正します。ありがとうございます。

[ ふく ] 2014/01/21 22:09:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

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甲陽園の地下壕

新聞を見ていると西宮に関する記事がいくつか目につきました。
まずは朝日新聞の甲陽園の地下壕の埋め戻しの記事です。



時々このトンネルの話しは西宮ブログでも話題になりますが、とうとう埋め戻されます。地下壕には川西航空機の工場があり、朝鮮半島から徴用された人たちが、紫電改の部品を作っていたといわれています。




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今朝の朝日を見て悲しくなりました。
いつかは行ってみたいと思ってたのですが、残念無念…
ふくさんは行った事ありますか?

[ 響 ] 2013/12/28 16:11:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、こんにちは(^-^)

私も今朝新聞でこの記を見ました。飛行機が入る程の大きさとは
とても広いのですね。ニテコ池が映画「ほたるの墓」の舞台
だそうですし、戦争の爪痕が残されているのですね。

[ てくてくカフェ ] 2013/12/28 16:44:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

響さん 蓋をする以前は少しだけなら入れたようです、私は残念ながら入ったことがありません。

[ ふく ] 2013/12/28 16:50:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

てくてくカフェさん 実家は尼崎市南部でしたが空襲で焼けてしまったので、夙川に引っ越してきました。ただ夙川も駅近辺には爆弾が落ちたそうです。大社小学校、芦屋の岩園小学校も空襲で焼けています。小さい頃には爆弾で一部ふっとんだであろうお屋敷などがまだ夙川駅周辺にもありました。南部はもっと酷かったようで、阪神パーク、仁川競馬場に航空機工場があったりしたため、市内阪神沿線はかなりダメージをうけています。最近はかなり風化してしまったようです。

[ ふく ] 2013/12/28 17:05:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

先ほど同じことを書いてしまいました。今読んで先に書かれていたのに気づきました。ごめんなさい。

[ seitaro ] 2013/12/28 20:12:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

あちらのお宅は、ヘアピンカーブのところが面影を残しておりますが、大半は崩したり新しい道を作ったりして沢山の分譲住宅が建っていますね。トンネルは、中学生などがエッチな本を隠したりしていたみたいでした。半島からの徴用は44年8月半ばから45年3月までの半年ちょっとの間の事だそうですが、45年3月からのこの工事にちょうどその方達が働かせられたのでしょうか。自分が生まれる五六年まえのことにもかかわらず客観的な事実は驚くほどわからないものですね。

[ アップルビー ] 2013/12/28 22:30:46 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、とても興味深いお話です。子供達は学校で戦争について
ざっくり習うだけで、この辺りの昔の話はまったく知らないです。
身近な地域のことをもっと教えてあげてほしいなたって思います。

[ てくてくカフェ ] 2013/12/29 0:35:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitarさん この記事はちょっとびっくりしますね。同じ事項についてみんなで別々のことを書くのは、面白いことと思います。

[ ふく ] 2013/12/29 11:51:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

アップルビーさん 最近上がっていっていないので、どうなったかはわかりませんが、上に住宅ができた場合は崩れると大変ですから市としては埋めざるをえないのでしょうね。賠償の問題があるので口をつぐんだのでしょうか。近しい場所であったことも一種のタブーとなって殆ど語られなかったのかもしれません。その時代に生きていなかった人の時代になり初めて語られるようになりましたが、この種の話しは近年、書く人の意見も両極にわれているような気がして、何を信じるのが客観的なのかわからない面があるように思います。

[ ふく ] 2013/12/29 12:02:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

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酒の町西宮巻末の地図

大昔1980年代の前半、日中国交正常化からそんなに時間がたたない頃、
中国工藝の研究を目的に訪中団を結成して、(当時は中国は自由に個人旅行できなかったので、訪中団なるものを作ったのでした)浙江、杭州、福建をまわりました。

その時、紹興に立ち寄りました。酒の町であり、西宮市の友好都市となっており、団の中に私ともう一人西宮市民がいたので熱烈歓迎してくださいました。そしてその時紹興酒工場で飲んだ紹興酒の味は忘れられません。

そういえば、西宮もお酒が有名だとは思いましたが、どうも当時はブレンドされた醸造用アルコール入りの日本酒が苦手で、殆ど日本酒は飲んでいなかったのでした。

時代はかわりましたが、『酒の町西宮』という、昭和五十七年(1982)に西宮青年会議所から出版された本が手元にあったので、当時の西宮のお酒造会社について、少しご紹介してみましょう。

当時西宮は酒税納付額が日本一だったようで、「酒の町」宣言をしようということが書かれています。

その頃は全国に酒屋が二千六百十四軒、そして西宮には五十八軒あったようです。

扇正宗、大関、喜一、金鹿、金鷹、甲陽鶴、島美人、寿海、白雪、世界一統、宝娘、多聞、ツル正宗、灘一、灘自慢、日本盛、日本城、白鹿、白鷹、白魂、花房、富貴、福徳長、和源、 アサヒビール、ニッカウヰスキーとあります。


気になったのはニッカウヰスキーと福徳長です。
アサヒビールは現在工場解体中ですが、ニッカウヰスキーもあったのですね。

津門飯田町にあったニッカウヰスキーのあとはいま駐車場です。


そして福徳長はなんと、臨海ではなく山の中、鷲林寺にありました。
そういえば、時々鷲林寺の県道を通ると(遅刻しそうな時など車で送ってもらいました)、工場みたいなものがありました。現在は畑?のようです。


さて、この中でいまでも操業しているのはどこでしょうか。
移転したり、銘柄を譲ったり、廃業したり、閉鎖したりいろいろかとおもいます。



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昭和の西宮 | コメント( 13 )

かつて、灘五郷と伏見の大手酒造会社たった十数社で、日本全国の50%近くを製造していた実績があります。もっとも、ほとんどが零細な蔵元からの桶買いで、なかには自社の蔵で作ったお酒はほんの2割ほどという極端なメーカーもありました。
当時は、灘や伏見のお酒のCMが、毎日のようにゴールデンタイムには流れてました。そんな桶買いのお酒を「灘の生一本」と謳っていたのですから、いまの偽装問題もびっくりの荒業?でしたね。(笑)
コンプライアンスの欠片もありませんでした。

[ Numa ] 2013/11/16 7:33:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、おはようございます。
福徳長ですが、この畑ではなく左上の更地の部分と記憶しています。鷲林寺にお参りにきて、こんなところに酒蔵がとびっくりしました。酒蔵というより、ふくさん仰るように工場でしたけど。

[ もしもし ] 2013/11/16 8:53:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

阪神西宮界隈で呑んでいて、
ある店で、隣に座っってた方と、日本酒の話で意気投合して
「うちも酒、造ってたんだ。潰れたけど…」って
少し自虐的に話をしてくれた人のことを思いだしました。

[ tyu ] 2013/11/16 9:04:52 [ 削除 ] [ 通報 ]

Numaさん 灘の酒は知る人ぞ知るお酒が良心的で、コマーシャルで歌えるようなところのお酒はちょっと...みたいな風潮がありました。まさに現在なら偽装問題だと思いますが、そうではなかったようでマスコミの姿勢や、情報の多様化で酒をのむ大勢の人の知識が増えたからかと思います。飲食、金銭など直接個人の利害にはねかえってくることには敏感ですね。

[ ふく ] 2013/11/16 9:31:35 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん ありがとうございます。そうでしたか。のちほど修正することにします。宮水はどうしていたのでしょうと勝手に心配してしまいます。鷲林寺に工場のできたのは昭和38年で当時は森永グループだったそうです。この銘柄は今でもあるようですが、経営などは全く違ったところになてちるようです。気候が寒冷だからだそうです。

[ ふく ] 2013/11/16 9:48:50 [ 削除 ] [ 通報 ]

tyuさん 昔の人口はいまよりも断然少ないのですが、酒蔵の数は考えられないぐらいあったようです。古くから西宮に住み着いている場合、何代か前まで遡ると、本人が知らないだけで、酒造関係者の子孫がかなりいるのかもしれません。昭和のはじめぐらいまでに廃業していればわからなくなっているはずです。お隣に座ってた方いんとってはきっと生々しい記憶だったのだと思いますが…

[ ふく ] 2013/11/16 9:54:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

いつも関心するのですが、
ふくさんって、本当に物知りですね。

[ tyu ] 2013/11/16 10:11:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

コマーシャルで歌えるようなところのお酒はちょっと...
この表現は真実だと思います。当時、零細な蔵元は販路もなく大手に桶売りするしか仕方なかったのです。現在でこそ流通も整い、全国ほぼどこでも地酒が手に入るようになりました。小さな蔵元も、ネットなどの普及で自らの情報を発信できるようになりました。
この日本酒の業界に風穴があいた同じ時期に、ウィスキーの世界でも例のインチキ・ウィスキーが淘汰され始めました。あの鳥井さんのところの「〇ールド」というでたらめな商品です。アル添桶買いの日本酒などより、さらに酷い代物でした。莫大な経費をかけたCMを連日連夜、ゴールデンタイムに垂れ流し日本中を洗脳しました。その覇権がようやく崩れたのです。
今でも、良心的なバーや気概のあるバーでは、ここの製品は一切置かないというところがたくさんあります。

[ Numa ] 2013/11/16 10:45:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

鷲林寺近くでずっと農家をしておられるお家の子供さんを教えに行ってた時に、酒造工場のことを聞きました。
全くあの辺りとは地縁もゆかりも無いそうですね。
言われてみれば、水はどうしてたんでしょうかね。鷲林寺の湧水を使っていたのでしょうか? だとしたら宮水の定義からはずれてますよねぇ…

[ ダンプ先生 ] 2013/11/16 14:02:46 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくさん、こんばんは。
福徳長は、いま偽装で話題の富久娘に吸収されたようですね。富久娘は、用海にあった和源>旭化成を吸収した合同酒精 現オエノンホールディングスに吸収されたようですね。酒の世界もいろいろです。

[ もしもし ] 2013/11/16 23:09:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

tyuさん ブログは知ってることしか書かないからよく知ってるように見えるだけだと思います...。

[ ふく ] 2013/11/17 22:40:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

Numaさん 当時は瓶ビール、日本酒(醸造用アルコールとまぜまぜしたコマーシャルばんばんしていたもの)、ウィスキー、〇ールドは高級な方で、四角いガラス瓶のとか、別会社の赤とか、黒50とか、飲みすぎると頭ががんがんするようなお酒が多く、飲み方も酷かったような記憶があります。焼酎もいまのようなものではなく、地酒もなく、時折女子学生が甘めのカクテルなんか飲んだりするとんでもなく悪酔いするみたいな、結構体に悪そうなものたくさん飲んでいたように思います。良心的なバーはそうなのですね...、そちらのメーカーのを店におかないと雑誌に載せてくれないとかあったみたいですね。

[ ふく ] 2013/11/17 22:47:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん 富〇娘は、もとは花〇さんという方がオーナーでしたが、昭和40年代に手放されました。造酒屋は廃業したり、経営がうまくいかず、酒の銘柄を手放されたとしても、銘柄だけが残ることが多いです。ですから今の酒と本来の酒との違いは今となってはさっぱりわからないのではないでしょうか。地酒ブームがおこり、大手の酒の人気が下がった後、再度良心的な酒を大手も造り始めたはずなんでしょうけどね。

[ ふく ] 2013/11/17 22:56:35 [ 削除 ] [ 通報 ]

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西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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