犬と歩く夙川

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西宮街道今昔

さきほど苦楽園口のコープさんまで買い物に行きました。
帰りの車でラジオをつけて、AMからFMに切り替えたら、
たまたまさくらFMでした。

郷土資料館の合田さんと曲江三郎さんの対談で、街道のお話しが始まりました。

番組は西宮徹底解剖4月号「西宮街道今昔」というものでした。
今回は「第四話 たくさんの「街道」と西宮・質疑応答」でした。

いままでに
第一話 古代の国道1号「山陽道」
第二話 五街道に次ぐ脇往還「山崎道」
第三話 西国街道から国道171号・中央自動車道西宮線

と、放送されたようです。

曲江さんには一度だけお会いしたことがありますが、お話しが大変お上手で、
かつ新しい情報が多数織り込まれています。

本日の放送をのぞく前三回は既にMP3のデータとして市の広報のページに掲載されていますので、聞いてみたいと思います。



きょうのお話しのなかで、確認したくなったのは、江戸時代に朝鮮使節が西宮を訪れていたことが「老松堂日本行録」に書かれていたということです。大阪や尼崎についての記載があることは知っていましたが、西宮に来ていたことは知りませんでした。

また「滑稽有馬紀行」という滑稽本に有馬温泉の様子が描かれているのも知りませんでした。

ちょっと読みたくなりました。


曲江三郎さんは最近あまり登場されませんが、
今津っこさんのことです。





近世の西宮

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その番組聴いてました、相変わらずオモロイおっちゃんです今津っこさん。
ところで5/5の12:20頃〜13:00さくらFMに出ます、ナマです。

[ 笹舟倶楽部 ] 2014/04/29 8:09:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

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祝子・神子は男だった...

今朝は珍しく早起きで、授業準備の最後の詰めをして、8時に出発。授業を終えて西宮に帰着したのが午後1時。


その後、西宮神社に行き、西宮文化協会主催の講演会志村洋先生(関西学院大学)の「近世有力寺社と門前住民ー西宮と藤澤の事例からー」を拝聴してまいりました。

関西学院大学の日本史はかつてより、東大系の先生が多く来られていましたが、志村洋先生も東大の国史のご出身です。

近世の農村を研究テーマにされていますが、現在西宮神社御社洋日記を翻刻刊行されておられるメンバーのお一人でもあります。

今日のお話は、ご出身地でもあり学生時代に最初にとりあげられたテーマでもあった藤沢の遊行寺の門前の住民と僧侶とのトラブル、そして西宮神社の神楽を上演を巡る神子と神社との関係といった内容でした。

日本史など、比較的狭い領域を研究されている方のお話しは、専門用語が聞き取りにくかったりしたのですが、今はスマートフォンでだいたいこうかな?っとおもう語彙を打ち込んで検索すると、単語がひっかかってくるので、助かります。

先生のお話も、しきりに「みこ」といわれているのですが、書かれている単語は「祝部」と「神子」...最初はなんのことだかさっぱりわかりませんでしたが、徐々に、お神楽を踊ったりする、現在は女性の巫女さんが、当時は男性で、「神子」(みこ)だったということ、「祝部」と閣とはふりべと読み神職の一種であったことなどがわかってきました。

神職にはいわゆる神社に起居する人々以外に、街中に住む神職がいたようで、そういう人々との利権問題が文書に現れているということのようです。


きょうのお話しだけ聞いていても今ひとつよくわかりませんでしたが、各地の神社と周辺の農村や集落との関係などについていろいろ書かれているようです。
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/11009/1/62-3-1.PDF








近世の西宮
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>当時は男性で、「神子」(みこ)だった
へぇ〜〜〜〜ボタン、いっぱい押した(笑)

[ Lady J ] 2014/04/22 19:46:26 [ 削除 ] [ 通報 ]

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甲山八十八ヶ所霊場へ

甲山八十八ヶ所 夕方もう一度行ってみました。

目神山からの道は時々通っていましたが、この両側だったんですね。

あのあたり、道の両側に石仏が多いので、

八十八ヶ所の霊場とは知らずに、気にせず通っておりました。


昔から、バス道を通らずに目神山から神呪寺の正面にある道がありました。

このあたりの山の常で、岩がゴロゴロしており、

所々に痩せの生えた、真っ白な山道でした。


先日はきづきませんでしたが、すみれの花が咲いていました。

六甲山系はスミレが多いです。


そして、三十六番。




イマズ越水屋清五郎 を確認しました。

寺は越水にありますので、そこから出て今津で酒造業を開いたのでしょうか。

いったいいつのことなのか、

きっと寺にある過去帳を見ればわかるのかもしれません。


よだれかけをされていますが、

されていない方とされている方がおられます。

お世話をされているかたがおられるのでしょうか。


いくつかの仏様を見ながら歩きました。

浪華、灘などいろいろな所の人の名前が刻まれていて面白いです。

今日は行けませんでしたが、郷土資料館で冊子をかわなきゃと思いました。



一番有名な場所に行ってみました。

左の崖の下は目神山の住宅地でした。



パノラマ撮影するとこんな感じになります。



さらに、役行者と前鬼・後鬼。こんな方々もおられました。


全部を巡っておりませんが、ちょっとした散歩コースにぴったりですので、

また行ってみることにしましょう。


帰りは、栄文堂さんまで足をのばして、お願いしてあったお菓子の本を買って、ミルコートリカーショップに行ってチーズを試食して帰ってきました。








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ふくさん、こんばんは。
一度、かるーく歩いたことがあります。
次は、ちゃんとお参りしてみたいですね。巨石めぐりをかねて。

[ もしもし ] 2014/03/23 20:13:33 [ 削除 ] [ 通報 ]

甲山八十八ヶ所霊場は、歩きごたえががありますが、門戸厄神の場合は一周しても一分もかかりません。
そういえば今年は、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念の年です。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2014/03/23 21:02:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

写真を見ると「よだれかけ」はあまり汚れていませんね。
誰か世話をしている方がおられるのかも。
私も早く行って見たくなりました。
36番、四国は青龍寺で、本堂まで急な石段があったのを思い出しました。横綱朝青龍の高校時代、トレーニングの場所だったとか。

[ さとっさん ] 2014/03/23 22:05:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

行動力がさすがにすごいですね。再び行かれたとは。わんちゃんがいるとやっぱり歩かれるんだなあ。
金石文って写真に撮るのは難しいですよね。僕が腕が実に悪く、カメラも「写ればいいでしょ!」みたいな古いのを使っているので、あとで見ても全然読めなかったりします。光線がうまく遇えば陰影で読みやすいものが撮れるんですが。

[ 凛太郎 ] 2014/03/25 6:09:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

もしもしさん おはようございます。弘法大師の造形も一つづつ違って面白いです。実際の八十八ヶ所の仏像と比べてみたり、どんな人々が施主になっているかを考えながら見ても楽しそうです。家から歩くとちょっと遠いですが、途中まで車で行くなら、ほどよいお散歩コースです。一っかしょづつお詣りしたら時間かかりそうです。

[ ふく ] 2014/03/25 9:54:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

西宮芦屋研究所員さま 門戸厄神のはまだ行ったことがありません。一分ということは一ヶ所にあるということでしょうか。今は便利ですが、四国まで行って88ヶ所も巡るというのは大変なことだったのでしょうね。

[ ふく ] 2014/03/25 10:00:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

さとっさん よだれかけは、ネットにアップされている写真をみるとまた違うのがかかっているので、どなたかがお世話されているみたいです。朝青龍の名前はお寺の名前から来ていたのですか?そういえば師匠にあたる朝潮は高知出身だったような気がします。高速道路ができましたから、四国もピンポイントでは近くなったようですね。山の中や海沿いはまだまだ時間がかかりそうですが…。といいつつ四国は中学の修学旅行と10年ほど前に新居浜に行ったのみです。

[ ふく ] 2014/03/25 10:03:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

凛太郎さん あのあたりは駐車場が整備されているので、犬の散歩によく行きます。金石は拓本をとったものが閲覧できれば一番うれしいのですが..。たしかに光線しだいで見えるかもしれません。最近横着でスマートフォンで撮影してます。

[ ふく ] 2014/03/25 10:14:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大田南畝の見た西宮1

昨晩、とりあえず大田南畝の紀行文、革令記から、西宮の部分を抜粋し、少し分割してみました。


@岡太神社
武庫川をかちわたりしてゆく、
左に一むらの森ありて、
石の鳥居あり、
岡太社といふ碑たてり、
ある人の云(泉屋仁右衛門)此社の前を嫁入のものの輿忌て通らず、
通れば必不縁なりといふ、
むかしは此神の前を通るに、裳の前をかかげて醜を露はしけるより、
岡太とかきて、おかしの社といひけるとなん、
今も裳をかかげて過るは、その遺風なりとぞ、
又自是東尼崎領とゑりたる碑あり、
一村(名をきかず)を過て枝川にいたる、
かり橋あれどかちわたりせり、

A
又一村(不知名)を過て右に寺あり、
石橋をわたりて西宮の方にむかふ、
此わたり浜の手島やは西瓜の名物なりときく

B
西宮脇本陣壺屋源兵衛がもとにいこひて昼餉す、
泉屋雨柳眞兵衛今宵兵庫まで所用ありてゆくとて、
雨づつみのしたに酒壺を携へ、
蒲鉾といふものを肴に酒をすすむるもうれし、
ここは大阪市令の支配なれば、
市令の吏二人町同心河合善左衛門島田小兵衛来りてそのよしをつぐ、

C
西宮太神宮は宿はづれにあり、
石の鳥居の前に駕籠たててかちよりあゆみ、
西宮の神前にぬかづく、
宮居はよろしけれど人げなく神さびたり、
池に弁財天あり、
八幡宮もあり、

D
神主の家と思しき所の入口に、
関屋といへる札はれり、その前に制札あり、
ゑびすの御うちの札、
外よりいだす事かたく停止の事、
月日関屋と志るせり、
従者をして御影をこひて収む、
隣に薬師堂あり、

E
すべて此市中に木の輪を厚くしたる三輪の車あり、
猶も田面をゆけば右に甲山ちかくみわたさる、
志ぶ川をかちわたりして、
又小河を渡り田間をゆけば人家あり、
打出村といふ(後略)
(近代デジタルライブラリーにあった蜀山人全集 吉川弘文館1908より)

以上に書かれたことをまとめると、

@小松村の岡太神社
 泉屋仁右衛門がいうには、
 岡太神社の前を嫁入のものの輿が通れば必ず不縁なる。
 むかしは岡太神社の前を通る時は、裳の前をかかげて通るから、
 岡太とかきておかしの社という

A西瓜の美味しい場所がある

B西宮脇本陣壺屋源兵衛
 泉屋雨柳眞兵衛がやってきて、
 蒲鉾といふものを肴に酒をすすむるもうれし
 西宮は大坂市令の支配だから、吏二人町同心河合善左衛門島田小兵衛が来た。

C西宮太神宮
 宮居はよろしけれど人げなく神さびたり→当時の西宮神社の様子
 境内には弁天、八幡宮あった

D西宮太神宮神主家の御札
 月日関屋の札
 神主家の隣に薬師堂があった。

E甲山を右に夙川から打出へ
 三輪の輪とは?
 志ぶ川=夙川? そしてもう一つ川を越えると打出

と書かれています。
読んでわかるところと、なんだこれと思うところがあります。
これからぼちぼちと解読していきたいと思います。






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何も調べてませんが、この岡太神社は今でも市内に大勢いる岡田さんに由来するものでしょうね。
とすれば、岡田山にも岡田神社があるのですが、そちらにも関係あるのでしょう。
ご存知だと思いますが、広田あたりで石を投げると岡田さんの家に当たるくらい大勢いて地主も多いので、昔から栄えていたのでしょうね。
うらやましい限りです。

[ 響 ] 2014/01/15 10:42:49 [ 削除 ] [ 通報 ]

響さん 岡田神社と岡太神社については私もよく調べていません。広田村には岡田さんがおおいのですか。知りませんでした。両岡田神社ともいったことがないので、いちど訪ねてみようと思います。

[ ふく ] 2014/01/15 21:48:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

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大田南畝が見た西宮


堀内ゑびすコレクション雑感2は 大田南畝です。


南畝(1749-1823)の名前は時々耳にします。
江戸時代後期の文人、狂歌を作ったりで有名になりますが、
幕府の御家人で、享和元年(1801)、銅座役人として大坂に赴任しています。

木村兼葭堂という大坂随一の文化人であった米屋の親爺や上田秋成との親交が有名です。

銅座役人として赴任する旅については『改元紀行』という日記を遺しています。そして大坂から長崎への旅を描いた『革令紀行』に西宮についての記載があります。

八月十八日の朝、南畝は道修町を出発、尼崎を経由して西宮にやってきます。
以下現在の西宮市に関わる部分のみ抜粋しておきます。(近代デジタルライブラリーにあった蜀山人全集 吉川弘文館1908より)

武庫川をかちわたりしてゆく、
左に一むらの森ありて、
石の鳥居あり、
岡太社といふ碑たてり、
ある人の云(泉屋仁右衛門)此社の前を嫁入のものの輿忌て通らず、
通れば必不縁なりといふ、
むかしは此神の前を通るに、裳の前をかかげて醜を露はしけるより、
岡太とかきて、おかしの社といひけるとなん、
今も裳をかかげて過るは、その遺風なりとぞ、
又自是東尼崎領とゑりたる碑あり、
一村(名をきかず)を過て枝川にいたる、
かり橋あれどかちわたりせり、
又一村(不知名)を過て右に寺あり、
石橋をわたりて西宮の方にむかふ、
此わたり浜の手島やは西瓜の名物なりときく
西宮脇本陣壺屋源兵衛がもとにいこひて昼餉す、
泉屋雨柳眞兵衛今宵兵庫まで所用ありてゆくとて、
雨づつみのしたに酒壺を携へ、
蒲鉾といふものを肴に酒をすすむるもうれし、
ここは大阪市令の支配なれば、
市令の吏二人町同心河合善左衛門島田小兵衛来りてそのよしをつぐ、
西宮太神宮は宿はづれにあり、
石の鳥居の前に駕籠たててかちよりあゆみ、
西宮の神前にぬかづく、
宮居はよろしけれど人げなく神さびたり、
池に弁財天あり、
八幡宮もあり、
神主の家と思しき所の入口に、
関屋といへる札はれり、その前に制札あり、
ゑびすの御うちの札、
外よりいだす事かたく停止の事、
月日関屋と志るせり、
従者をして御影をこひて収む、
隣に薬師堂あり、
すべて此市中に木の輪を厚くしたる三輪の車あり、
猶も田面をゆけば右に甲山ちかくみわたさる、
志ぶ川をかちわたりして、
又小河を渡り田間をゆけば人家あり、
打出村といふ(後略)

このうち、堀内ゑびすコレクションの展示と関係があったのは御札のことです。
南畝も御札をいただいたという説明がありました。

写真は西宮神社のホームページからお借りした御神影です。


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「泉屋」というのがちょっと気になります。うちの隣のお地蔵さんにある石文に「亀半・亦長・泉瀬」というのがあり、寄進者の名前の略称だと思うのですが、泉瀬は泉屋なんとかの略称ではないかと。考えすぎでしょうか?

[ akaru ] 2014/01/14 11:17:02 [ 削除 ] [ 通報 ]


 官僚でありながら、当代きっての文化人だったのでしょうか、南畝の文章を平成の今世にに沿って読んでみますと、何ら違和感相違ない事が窺い知れますね。

[ shiratori ] 2014/01/14 20:05:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

imamuraさん 泉瀬はなんとなく泉屋瀬兵衛だったりするのでしょうか。有力な方が施主さんでしょうから、地元の文書に名前がでてきそうな気がしますが...、郷土資料館や市史編纂で採録していないのでしょうか。

[ ふく ] 2014/01/14 21:27:46 [ 削除 ] [ 通報 ]

shiratoriさん 幕府役人ですが、現在の言葉の官僚とはほど遠いイメージのようにも思えます。なんですか地方巡視はなんともいえず、のんびりしているようでもあります。南畝や山東京伝などの旅行記、明治期に刊行されたものが国会デジタルライブラリーで閲覧できますので、うれしい限りです。ただし、現代人の常識や教養でははかりしれないこともたくさん書かれていますが...

[ ふく ] 2014/01/14 21:33:24 [ 削除 ] [ 通報 ]

昔調べた時に「西宮市史」に載っていたようにも思います。わたしの取材メモに残ってるのかもしれません。もう改めて調べるのが面倒になってしまいました。

[ akaru ] 2014/01/14 23:07:55 [ 削除 ] [ 通報 ]

imamuraさん ここに泉屋さんが二人でてきます。一人はどうも大坂の人のようです。泉屋というと住友が一番に思い浮かびますが、ほかにもいろいろおられたと思います。市史をみてみることにします。

[ ふく ] 2014/01/16 0:35:03 [ 削除 ] [ 通報 ]

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まつぼっくり 

「西宮市立図書館だより」を一部もらってきました。 
平成25年11月号です。

表紙は「幕末の歴史を今に伝える 西宮砲台」です。

参考資料「西宮市史」となっていますが、内容は定番の焼き直しでした。
過去の記事を要約して、広報に使うのはわかりますが。







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西宮砲台なら凛太郎さんに論文を書いてほしいですね。そして、ちゃんとしたところに発表してほしいです。そうでなければあれは本当に惜しい。

[ akaru ] 2013/11/23 12:23:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさん そのうち誰かが気づいて書かれるのかもしれませんが、その前にブログに書かれている内容を「歴史と神戸」などにご発表いただければよいのにと僭越ながら思います。新出資料が発見される分野はいざしらず、西宮の歴史のある部分は市史編纂時点から時計がとまっているようです。見直されてもよい記述もあると思うのですが...

[ ふく ] 2013/11/23 12:37:35 [ 削除 ] [ 通報 ]

本当に残念です。西洋人の設計を真似て造られた砲台の使い方を間違えたという史実の重み、教訓にもなり大論文になると思うのですが。

[ seitaro ] 2013/11/23 17:20:08 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん 新しい説は専門誌に発表しないと、殆ど目にとまらないのかと思います。西宮は市史編纂部門が解散しちゃったらしいので、専門職として携わるかたの声がなおのこととどきにくいのかもしれません。今までに公刊されたものの漸くか、外部の名士に外注なのでしょうね。目を光らす場所がないというのは問題ですね。

[ ふく ] 2013/11/27 13:19:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

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西宮を中心に古書や古い新聞に書かれた記事をもとに阪神間の昔をたどったり、出典になった本や古書の紹介をしたり、備忘録的ではありますが、ぼちぼちと更新いたします。もちろん犬の話し、海外ミステリー、書画骨董、食べもの、ワインの話しなども、たまには織り交ぜて書きたいと思います。
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