犬と歩く夙川

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本朝神社考にみられる寛永期の広田社

林羅山によって書かれた神社研究書。古事記、日本書紀、延喜式、神皇正統記などにより、諸国の神社の源流を考証した。後の国学者に影響を与えた書。寛永年間の終わり頃、17世紀の中頃に著された。

広田神社は平安時代中期以降に朝廷より特別の崇敬を受けた二十二の神社の一つとして記される。以下引用する。中世以降に行われた神話の解釈が示され、また甲山神呪寺の如意尼伝説と神話の解釈との関係が興味深い。復刻版の当該の部分を引用する。



広田 十八 (摂津 俗に西宮と号す)


[註] 標語県西宮市広田に鎮座。撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀り官幣大社に列す。

延喜の制名神大社に班し新年、月次、相嘗、新嘗の官幣に預り、新階は従一位に陞る。


日本紀、神功皇后、新羅を征し玉ふの明年忍熊王、兵を起こして、住吉に屯す、皇后之を聞いて、

務古の水門に還って之を卜ふ、是に於て天照大神是に誨て曰く、我は是荒魂なり、皇后に近く可からず、当に御心の広田の国に居むべし、即ち山背根子が女葉山媛を以て之を祭らしむ。

風土記、人皇十四代、仲哀天皇、将に三韓を攻めんとす。筑紫に到って崩ず、今の気比大明神は此の帝なり。その后神功は開化天皇五世の孫、息長宿袮の女なり。是に於て、軍を発して三韓を伐つ、時に産月に当れり、石を取って其の腰裳に挟んで、産まざらん事を欲す。遂に新羅、高麗、百済に入る。皆悉く臣服す、還って筑紫に到って皇子を産む、是れ誉田天皇なり。皇后摂津の国海浜の北岸、広田の郷に到る、今、広田明神と号るこれなり。故に其の海辺を号して御前の浜と曰ふ、御前の澳と曰ふ、また其の兵器を埋む處を号して武庫と曰ふ、其の誉田天皇は今の八幡大神なり。


如意尼は天長帝の妃なり。如意輪供を修す。夜空中に音あって、曰く、摂州に宝山あり如意輪摩尼峰と号す。昔、神功皇后、新羅を征して還って如意珠及び金甲冑、弓箭宝剣衣服等を埋む、故に亦武庫と曰ふ。目を開いて之を見るに、天女、白龍に乗って白雲を擁して西南に向って飛び去る。天女は大弁財天如なり。白龍石と変する像、今猶此地に在り、又、是れ、役小角の旧跡なり。天長五年二月、如意尼、宮女二人と摂州南宮の浦に着て船より下って南宮の神祠に詣ず、神、殿戸を啓て妃と晤語す。而して二女は見ることを得て予余は知らず、此日又広田の神祠に詣ず、神又戸を開いて宛も南宮のごとし、次の日山に入る。山の西北に池あり、池中に五色の光を出す、池の辺皆白石にして玉に似たり、摩尼山前に小峰あり、大蛾に逢ひぬ、此に於て進んで摩尼峰に登る。紫雲來復、一美女あり、来って曰く、此の山を究酒匂竟摩尼霊場と曰ふ。四神相応の勝区なり。我れ珍宝を此地に蔵む、毎日禺中、我れ此の地に降る、宜しく道場を立つべし、言巳って山を下るが如くにして見えず、是れ広田の神の化現なり。妃大に喜んで梵宇を営構す。







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