思いついたまま

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「阪急ブレーブスおとな会」

 二週間前、読売新聞朝刊(阪神版)で、阪急ブレーブス私設応援団長・今坂さんの思い出が書かれた記事で、《阪急ブレーブス =勇者たちの記憶=》の連載が再スタートしたものだと思っていました。
 ところが、翌日の二回目の記事以降、記事が載らなくなっています。
楽しみにしているのに残念です。まさか二回で終わるとは思われないのですが・・・


 毎日朝刊で、真っ先に見るのが阪神版! すると24日、こんな記事が載っていました!

 

 

 昨秋、「阪急ブレーブスおとな会」が結成され、今年の1月23日には西宮ガーデンズホール(ギャラリー?)で長池徳士さん、山沖之彦さんなどを招いてトークショーが行われたようです。
 こんなイベントがあったとは!知りませんでした。参加者は200人と書かれているので、場所は阪急西宮ギャラリーでは無いと思います。


 新聞の紹介では会のメンバーかな?名前だけで、連絡方法が書かれていません。フェイスブックでPRに熱を入れていると あったので覘きに行くとページは非公開で投稿は見れませんでした。
 会の詳しい内容が分かりませんので入会するかどうか迷っているところです。

 

 

この記事をUPしてからパソコンで「阪急ブレーブスおとな会」のフェイスブックを見ると、見ることができました。何故スマホで見れないのだろう!?
 ネットでもヤフーブログで1月23日の様子が書かれていました。

 



「阪急ブレーブスおとな会」

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こんなコラム 見つけました(^_-)
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/160109/20160109043.html

堺[ なにわのオオカミ ] 2016/04/01 1:58:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

これいいですね 私も是非 参加したいです

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2016/04/01 9:05:28 [ 削除 ] [ 通報 ]

なにわのオオカミさん、ありがとうございます♪
イベントは旧西宮球場のメモリアルポイントとして ホームベースが埋められているスカイガーデンで行われたようですね。知っておれば行ってたのに、、、残念です(>_<)

[ さとっさん ] 2016/04/01 22:49:59 [ 削除 ] [ 通報 ]

モンセさん、入会されるのですか???

[ さとっさん ] 2016/04/01 22:52:46 [ 削除 ] [ 通報 ]

できれば 入会したいです

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2016/04/02 0:03:53 [ 削除 ] [ 通報 ]

阪急ブレーブス懐かしいですね!私は南海ホークスファンですがあの頃の阪急に勝った記憶がありません(>_<)

堺[ ふとん屋ちろ太 ] 2016/04/02 6:32:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふとん屋ちろ太さん、コメントありがとうございます♪
父に西宮球場に連れて行ってもらった頃(1958年)のブレーブスは常に負けている弱い球団でした。
南海も阪急と同じ年になくなってしまいましたね(>_<)
南海は まだホークスという名前が残っていますが、ブレーブスは消滅しましたから寂しいものです。

[ さとっさん ] 2016/04/02 11:39:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急ブレーブス黄金の歴史

 スコラマガジン社「プロ野球 伝説の勇者たち 阪急ブレーブス クロニクル」を読み終え、今ベースボールマガジン社の「阪急ブレーブス 黄金の歴史1936→→1988」を読んでいます。


 こちらもいいですねえ。年代ごとの主な記録が載せてあり、写真の量も多いです。 その当時のエピソード写真を見ていると、懐かしい時代にタイムスリップします。


 巻末には、1936年からの一軍出場全選手の顔写真も載せていて、昔を知る阪急ファンには堪らない内容です。


 その中から、山田久志と福本豊の対談を紹介します。


 両選手はそれぞれ1969年のドラフト1位と7位で入団します。デビューは福本の方が早かったようで、足の速さを生かされたようです。
 山田にいたっては7連敗のスタートだった。でも西本監督が我慢よく使ってくれたそうです。猛練習したことや、巨人との日本シリーズ、西本、上田監督のことなど、熱っぽく語っています。


 こんなエピソードも。
 阪急最後の試合後、上田監督の挨拶で「去る山田、残る福本」と言うべきところを「去る山田、そして福本」と言ってしまった。当の福本は、この時辞める気はなかったが「チームも変わるし、もうエエわ」と思い、引退してしまったとか。


 もうひとつ
 福本:・・・・・僕らの後も、山森、本西が出て、それが田口、イチローにつながって、阪急の伝統は続いていると思う。でも、僕ホント泣いてしもたのは、オリックスは構へんのです。でもブレーブスという名前をなくしてしまって、今ではバッファローズって、それ近鉄でしょ。名前変えられたときには涙が出ました。近鉄には申し訳ないけど。

 

 山田:8回優勝して、そのうち3回が日本一。やっぱり幸せな選手ですよ。それまで灰色のチームだって言われた先輩たちよりもいい時代にやれた。それもこれも、西本さんのおかげ。日本一になれなかったけど、チームを作ってくれったっていう、最高の功労者。頭が上がらないですよ。本当に、阪急の話をしたら止まらないね。まあただ、7番と17番は永久欠番にしてほしかったなあ・・・


 福本:10番と。その3つの番号は、絶対返してほしいね。今からでも(笑)


 まだ全てを読み終えていませんが、私にはとてもいい本だと思います。

 

 本文にはありませんが、福本選手の面白い逸話です。1983年6月、通算939個の盗塁の世界記録を達成し、国民栄誉賞を打診されたとき「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」と言って辞退した福本さん。この表現、最高やね!

 

        「阪急ブレーブス 黄金の歴史1936→→1988」

 

                目次 1

 

                目次 2

 

            年代ごとのベストオーダー

 左上の写真がとても懐かしい「1956年、対東映戦のスコアボード」

 

 父に連れられ、初めて西宮球場を見たときのスコアボード。私の好きなバルボン選手の名が写っています。

 

 

 



阪急ブレーブス
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私は全く野球少年ではなかったけど、ブレーブスとは一味ちがった接点がありました。まことに阪神間らしい、洒脱なイメージのある球団でしたね。

[ せいさん ] 2014/01/21 18:07:42 [ 削除 ] [ 通報 ]

実はねせいさん、強かったころ(70年代)の試合はあまり観に行ってないんですね。昼(競輪場)にはよく行きましたが(笑)。次に子どもを連れてよく行った時は弱くて、観客席もがらがらでした。冷静に試合を観戦しているファンの中で、応援団長の言動が際立っていたのを思い出します。この本の写真を見て懐かしかんでいます。

[ さとっさん ] 2014/01/21 18:46:44 [ 削除 ] [ 通報 ]

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阪急ブレーブス、ラストゲーム

 「阪急ブレーブス身売り」のニュースを知ったのは、1988年10月19日、地区文化祭の真っ最中の時だった。
 その時は、いろんなイベントを行っていて詳しい状況までわからなかった。


 10月19日といえばもう一つ、ロッテオリオンズ対近鉄バッファローズのダブルヘッダーが川崎球場で行われた日でもある。
 首位だった西武ライオンズが、ロッテ対近鉄戦の結果待ちの状況で、近鉄が2連勝するとリーグ優勝になる大事な日でもあったのだ。
 結果は、一試合目は近鉄が勝利したが、二試合目は引き分けて西武が優勝した。


 シーズン当初には「南海ホークス」の身売りが囁かれていて、ダイエーに譲渡する運びとなっていた。
 夜のニュース番組を見て、いきなりの「阪急、オリエント・リースに譲渡」の発表に、報道関係も慌てふためき、号外も出た。私もおもわず「阪急よ、お前もか!」と叫んだのを覚えている。


 残念なことに、今読んでいる「阪急ブレーブス クロニクス」には、この10・19のことが記載されていない。


 この4日後の10月23日、西宮球場で阪急ブレーブスの最後の試合が行われた。
 消化試合であったが、山田久志、福本豊の引退。また松永浩美の首位打者のかかった試合であった。


 このブレーブス・ラストゲームは youtube で見られる。すごい時代だなあ!
http://www.youtube.com/watch?v=caYjQY8imPg


 南海、阪急、両電鉄がプロ野球から撤退した激動の1988年。翌年1月には昭和も幕を閉じた。

高松ひなた緑地にあるメモリアルポイントの「西宮球場の歴史」パネル 

       上を拡大した「最後の試合のセレモニー」

 



阪急ブレーブス
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阪急ブレーブス

 「勇者たちへの伝言」を読んでから、西宮球場・阪急ブレーブスのことが頭から離れません。
 他にブレーブスに関する文献がないか探して、2冊注文して購入しました。


 1冊はスコラマガジン社「プロ野球 伝説の勇者たち 阪急ブレーブス クロニクル」
 もう1冊はベースボールマガジン社の「阪急ブレーブス 黄金の歴史1936→→1988」


 スコラマガジン社の方を紹介しますと、まえがきにこうあります。
「プロ野球が始まってから10年が経った戦後の復興期、日本人のエネルギーは大衆娯楽に向かっていった。そんな中、大阪・梅田を起点にし、大阪−神戸間の山側を走る阪急電鉄は、海側を走る阪神電車の境遇に比べ、客層もどこか上品で山の手の趣があった。


 同じ ″ファミリー・ベースボール″でも、甲子園が「みんなで大騒ぎする野球」なら、西宮は「心の中で楽しむ野球」
そうした「大人の」ファンに支えられていたのが、阪急ブレーブスであろう。・・・・
 しかし、一時代を築いた勇者も、昭和から平成に代わるとともに、あえなく終焉を迎えた。


 あれから20年以上の時が経ったが、野球ファンの脳裏にいまだ刻まれているであろう「大人の」勇者たち。
 そんなブレーブスの思い出を、ここに再現しよう。

 


 上田監督のインタビューから始まり、福本豊、山田久志、長池徳二・・・・・と続きます。
 その時の試合結果や記録、写真を掲載していて、回顧に浸れます。


 故人となられた西本幸雄監督のインタビューが無いのは致し方ありませんが。
 巻末の「阪急ブレーブス戦士」では、懐かしい選手の写真と主な記録を載せていて、ファンには堪らない内容です。


 書評は良くなかったのですが、それはきっと、ファンでない人が読んだのでしょう。
           ブレーブスファンなら完全保存版の必携書です。

 



阪急ブレーブス
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実は年初から書こうとしていたのは、かんべむさし「決戦日本シリーズ」で、阪神・阪急のパロディ風ハチャメチャ戦記。なつかしい今津駅も登場で、現在の今津駅の写真まで撮りに行って準備していました。「勇者たちへの伝言」を年末に笹舟倶楽部さんの記事で知り、急遽変更。「決戦日本シリーズ」は少し落ち着いてからにいたします。

[ seitaro ] 2014/01/18 11:13:00 [ 削除 ] [ 通報 ]

「西宮文学回廊」拝見しました。1976年の出版ですか、ブレーブス日本一3連覇の時代ですね。阪神と日本シリーズとは・・・夢のまた夢。今や実現不可能。紹介をお待ちしています。

[ さとっさん ] 2014/01/18 11:42:17 [ 削除 ] [ 通報 ]

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西宮ガーデンズに忘れ物を取りに行きました

 先日、勇者たちへの伝言・いつの日か来た道を辿って阪急西宮ギャラリーに行った時、忘れ物があったので取りに行った。


 一つ目のホームベースはすぐにわかった。西宮ガーデンズ4階、スカイガーデンの「木の葉のステージ」横にあった。


 記念プレートのような形で埋められていましたが、なんの説明書きもありません。あれでは殆んどの人は知らずに通りすぎるでしょう。


 二つ目の「ブレーブス子ども会記念碑」「ブレーブス後援会記念樹」は見つかりません。ガーデンホールの係の人に聞くと、知らないようで、フロアガイドを持ってきてくれた。


 探しても無いはずだ。ガイドを見ると1階に表示されていた。
 やっとのことで見つけたが、ここでも愕然とした。追いやられたように敷地の端にあり、植え込みで下の方が隠れている。

 

            垣根の中に入って撮影した子ども会の記念碑

 

          後援会の記念樹 碑が見えない!

            これも中に入って撮影した


 子ども会も後援会も親子で入っていたのでショックが大きかった。わざと目立たなくしているように思えた。
 フロアガイドをもう一度見直した。やはり思った「こんな場所でいいのか」と。


 つぎに、「にゃんこ」さんからいただいたコメントの、高松ひなた緑地のメモリアルポイントに向かった。

            高畑町の遺跡の紹介パネル

 

           西宮球場の紹介パネル

          3枚の写真を載せていました

 

           ダイヤモンドクロス

         ダイヤモンドクロスの説明パネル

 

 ここから次は、前に行けなかった日野神社に行った。

線路沿いに歩いていて、ふと下を見ると

     マンホールの蓋の絵に西宮球場が描かれていた

 

            日野神社入り口の鳥居

         古そうな石碑があったので撮影した

 右に「瓦林城址」左に「日野神社」は読めたが、下は読めない

 

いつも電車の中から眺めていた場所に、やっと来た。


 日野神社を出て、どちらから帰るか迷ったが、武庫之荘に向かった。

ガリガリ橋を渡ったところに「楡(ニレ)」という喫茶店があったからだ。

                ガリガリ橋

 

 五年ほど前に引っ越しして近くのマンションの1階で営業を続けていたので、そこに伺うと、楡の看板が無く、別人が住んでいた。何人もが訪ねてくるみたいでイヤな顔をされた。


「占い」もやっていた競輪好きのママさんだった。引越しの時、パソコンの再セッティングをしてあげてからご無沙汰している。


 そういえば3年ほど連絡やメールがなかった。どこへ行ってしまったか・・・・

           また一つ無くし物をしたのかな

 

 武庫之荘駅手前にある喫茶「琥珀屋」で休憩して友人に助けを求めた。出るときは足がパンパンになってた。
 武庫之荘駅辺りで電話があり、近辺に外出中だった友人の車に乗せてもらって家に帰った。

 

 子ども会記念碑と後援会記念樹を見たときの虚しさが今も残っている。



西宮球場・阪急ブレーブス
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私も、そんなふうに長いご無沙汰の後行ってみたらなくなっていた、という場所がいくつもあります。あの喪失感は辛いもんですよね。

[ せいさん ] 2014/01/17 2:36:34 [ 削除 ] [ 通報 ]

まったく知らなかったところばかりで、ご紹介有難うございます。今度行った時に見てみます。

[ seitaro ] 2014/01/17 8:52:06 [ 削除 ] [ 通報 ]

そうなんです、せいさん。長い間連絡がないので、何かあるとは思っていました。ドアの前でインターホンを押そうか迷っていたら、中から子どもの声が聞こえました。孫がいてたので、そうかなあと思ってボタンを押すと別人の方が・・・・
どこに行かれたのでしょう。心配です

[ さとっさん ] 2014/01/17 23:11:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

seitaroさん、「ブレーブス子ども会記念碑」「ブレーブス後援会記念樹」はフロアガイドを見ても分かりにくかったです。
植え込みを碑の前だけは刈り取るとかしてほしいものです。

[ さとっさん ] 2014/01/17 23:17:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

ダイアモンドクロスが、あるの知りませんでした。
旧西宮球場関係は、確かに探すの苦労しまいた。。。
今でも映画館横に年に2度ほど立ち寄って、アストロビジョンのミニチュア楽しんでます。
マンホールは残念ながら甲子園球場なんです。。。

[ ふくちゃん ] 2014/04/27 22:50:05 [ 削除 ] [ 通報 ]

ふくちゃん様、コメントありがとうございます。
かなり前の記事に頂いたので驚きました。
最近ガーデンズには足が遠のいています。西宮には行く機会が増えてマンホールはよく見かけますが、当時は西宮球場しか頭にありませんでした。よく見ると、言われる通り甲子園球場ですね。

[ さとっさん ] 2014/04/27 23:47:01 [ 削除 ] [ 通報 ]

早速おじゃましました(*^_^*)
前半、かなり切ない気持になりました(T_T)
ガリガリ橋、これを見た瞬間、ちょっと気持ちが晴れました(*^_^*)
この橋の横にあった、自転車・歩行者用の橋を使い、
西宮球場に通ってましたから(*^_^*)
そして楡、父が毎朝通ってました(*^_^*)
元・実家はそのすぐ近くだったのです(二年程前まで)
あまりに近くのことが書かれてあり、すごくうれしく、
今さらではありますが、コメントさせていただきました(*^_^*)

[ 小野山です ] 2014/09/16 20:26:09 [ 削除 ] [ 通報 ]

小野山さん、懐かしい記事にコメント頂きありがとうございます。
やはりガリガリ橋でわかるんですね!私の家は塚口駅の近くなので、球場には電車でいきました。
それにしても「楡」を知ってたなんて驚きです。
お父さんが毎朝通ってたということは常連さんだったんだ(笑)
いや〜 見に来てくれてありがとう!!!!! 感謝感謝

[ さとっさん ] 2014/09/16 20:37:16 [ 削除 ] [ 通報 ]

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seitaroさんが古い昔を思い出させてくれました

seitaroさんの記事に刺激され、阪急ブレーブスの思い出をちょっと書いてみます


 父に連れられ、西宮球場に初めて行ったのは、私が小学校高学年の頃だと思います。ロベルト・バルボン選手が入団2年目あたりですから1957年ですかね。

 57年前です。半世紀を超えています。


 学校で、阪急ブレーブスの試合を見に行ったことを話すと、誰も知らず、話にならなかった記憶がよみがえってきました。テレビがまだ普及していない時代ですので、プロ野球を知っていても巨人くらいでしたね。


 おもしろいエピソードがあります。クラスでソフトボールをしていた時、攻撃側だった友人が、何度も「しゃんしゃ もーんだい」と繰り返し、大きな声で応援していたのです。
 ラジオでよく中継を聴いていたのでしょうね。いま思えば「三者凡退」を意味わからず使っていたのでしょう。攻撃側なのにね!


 当時、阪急の監督は藤本定義さん。梶本隆夫、米田哲也投手の二枚看板。スターティングメンバーのアナウンスで「9番ピッチャー米田」の発表で、観客一斉に「勝った!!!」の声でしたから。すごかったですよ!米田投手は。
 チームが弱くなり、「灰色の阪急」とあだ名されたのは1960年を過ぎたころからでしょう。


 私が結婚して子どもができ、男の子三人もよく球場に連れて行きました。


1988年、ビックリしました。同じ年、南海ホークスの身売りが噂されていて、心の準備はあったと思いますが、いきなりですからねえ阪急は!
 思わず「阪急よ・・・お前もか!」と、どこかの記事に書いたのも思い出しました。


 オリックスに変わって「グリーンスタジアム神戸」には一度だけ子どもを連れて行きました。


でも「ブレーブス」から「ブルーウェーブ」になって、阪急は完全に終わりました。


 そのあとの記憶は1995年、震災の年のリーグ優勝だけですねえ。翌年は宿敵巨人を倒して日本一になっていますが、なんの感動もなかったと思います。
「なんでやねん!今ごろ」っと、ムシロ冷めていましたね。

 

 長男が投球したスピードの電光掲示板  球団旗がブルーになっている

 

 投球を待つ子どもたち。ブレービーもいます。写真中央の青いパンツが長男

 

  振りかぶる長男  青い帽子をかぶっているから1989年、オリックスになった年だと思われます

 

         観客席でサービスするブレービー

 

阪急最後の年の山森雅文選手との撮影会  三男は阪急ブレーブス子ども会員ではなかったので写ってないのかな?

 

  同じ日の三人でのショット! お気に入りの中のとっておきの一枚

 

かなり前にスキャンした、昔の画像があったのを思い出し、載せました

 

 

 

 



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大学生時代、夏冬春の休みは全部郵便局の配達アルバイトについやしました。ずっと自転車で、ある班の区域全部の速達や大口郵便を満載して走っていました。高畑町にあったブレーブスの寮も配達先のひとつでした。束を掴んで寮の中にずかずか入って行く私を、ファンの女性たちが羨ましそうに見ていました。
もちろん、西宮球場も配達先でした。

[ せいさん ] 2014/01/06 19:33:40 [ 削除 ] [ 通報 ]

せいさんもそうでしょうが、西宮球場には思い出がいっぱい詰まっています。
今seitaroさん紹介の本を読んで涙しているところです。

[ さとっさん ] 2014/01/06 20:38:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

なつかしいお話たくさんありがとうございます。鉄腕米田、日本シリーズを戦ったころは一番信頼できる投手、必ずやってくれると思っていましたが、巨人には勝てず、口惜しい思いをしました。小説にはでてきませんが、大好きな投手でした。
バルボンの現役の頃からご存知とは、筋金入りの阪急ファン。小説のバルボンの話も良かったです。

[ seitaro ] 2014/01/06 21:38:13 [ 削除 ] [ 通報 ]

ありがとうございます、seitaroさん。まだバルボン選手まで読めていません。この歳になると小さな活字が読みづらくて、一気にという訳にはいきません。

[ さとっさん ] 2014/01/06 21:48:18 [ 削除 ] [ 通報 ]

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