思いついたまま

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://nishinomiya.areablog.jp/satossan

根来寺から歴史資料館と旧和歌山県議会議事堂へ


   《前回「根来寺」からの続きです》
 不動堂でご朱印を頂き、何とかお参りも済ませてお堂を出ると雨が降り出していました。

次に向かったのは「大伝法堂」

 根来寺の本堂で文政10年(1827年)に再建され、中に祀られる本尊は大日如来。脇仏は金剛薩??(こんごうさった)、尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)です。

多宝塔(国宝)

 12本の柱で円筒形に作られた内陣には、大日如来を中心に諸仏が祀られていました。

 この後、多宝塔隣の大師堂、本坊事務所に入って光明殿、行者堂、聖天堂などを見て廻りましたが、すでに3年前のブログに書き残していますので省略します。

最後に向かったのは「奥の院」でした。


 奥の院というと、何となく遠い所にあるものとイメージしますが、本坊事務所横の参道を進んで行くと直ぐでした。

 根来寺を開いた興教(こうぎょう)大師・覚鑁(かくばん)上人の御廟所・お墓です。康治2年(1143年)12月12日に入滅され、ここにお眠りになっています。

根来寺のお参りを終えて、次は600bほど西にある
「ねごろ歴史資料館」に行きました。


 館内は、開創から中世、秀吉の紀州攻めまでの根来寺にまつわる歴史の紹介や、発掘された土器・石塔などの出土品の展示、根来寺内の人たちの暮らしを支えた出土品(貯蔵用の大きな甕(かめ))を展示し、中心にはシアターゾーンがあり、映像と音声により根来の歴史をわかりやすく立体的に伝えています。また、根来寺と紀州徳川家とのかかわりの図表も展示されていました。





続いて隣の「旧和歌山県議会議事堂」へ


 和歌山城の東側に明治31年(1898)に建設された和歌山県会(現県議会)の議事堂です。平成24〜27年度の保存整備事業で建築当初の姿に復元され、昨年3月にオープンしま した。
 議場は公会堂としても使われ、明治44年には夏目漱石が「現代日本の開化」と題して講演したこともあるそうです。

「議場」と


その「ジオラマ」


初代議長・濱口儀兵衛(梧陵)の銅像も置かれていました。

 津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとしても有名な人物です。

 拝観は、ねごろ歴史資料館は無料。旧和歌山県議会議事堂は根来寺と共通入場券(500円)となっています。

 旧議事堂の向かいに「道の駅」(写真右)がありましたが工事中(未オープン)でしたので

土産物売り場(写真左)で

「うどん」を食べて4時前、帰路につきました。


 尼崎に帰ってから、コーヒーが飲みたくて喫茶店まで先輩に付き合って貰って家に帰ったのは6時前でしたね。
 途中から雨に降られましたが同行二人、いいお参りができました。残る3ヶ寺も一緒に廻ってくれるようにお願いしました。



ねごろ歴史資料館

goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11689575c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 1 ) | トラックバック( 0)

ジオラマが凄い

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/12/13 9:33:21 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

根来寺(近畿36不動尊 第34番)

   《前回「犬鳴山 七宝龍寺」へCからの続きです》

 「七滝(ななたき)に 心きよめて 不動尊 祈る願ひの 叶はぬはなし」と詠われた七宝龍寺、この日見てきたのは行者の瀧と塔の瀧。
 残る五つ、弁天の瀧、布引の瀧、固津喜の瀧、千手の瀧は入山禁止で見ることはできませんが、両界の瀧は もう少し足を延ばせば見る事ができたのに、引き返してしまって残念な事をしました。


 車中で昼食を済ませてから根来寺へ出発です。隣に停めていた車が先に出たので後ろから付いて行けて下りは楽でした。
 根来寺へはナビの予定通り20分で到着。じつは、この根来寺は2014年12月2日に一度妻と紅葉を見に来たことがあります。

 

ブログに書いていると思って見ると、二回に分けて投稿がありました。
http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11136749c.html

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11137148c.html


 この頃は子ども三味線教室・一期生の事や摂津国88ヶ所の札所を駆け巡っていたのを書いていましたね。それと、調子(無線ラン・ルーター)の悪いパソコンを嘆いて よくボヤいていました。
 早いものでブログも書きだして もう5年目に入っています。

 

 根来寺に到着したものの、時おりパラパラと、雨が心配です。大きくならない内にと思い、少し離れた所にある「大門」を先に見に行きました。

 

 根来一山の総門で嘉永3年(1850年)に再建されたもの。左右の仁王像は見れますが、上層に安置されている釈迦三尊と十六羅漢像は見れません。


 こんな離れた所に大門があるので、全盛時の根来寺の壮大な規模がうかがえます。昭和51年(1976年)から寺域周辺の発掘調査が行われ、発掘によって陶磁器、漆器、仏具、武器などのおびただしい遺品が出土したそうです。
 帰りに「ねごろ歴史資料館」に寄ってきましたので このあとのブログに書こうと思います。

 

駐車場が二つあって、つけた所の正面が丁度「不動堂」の前。

 

 不動堂は天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来攻めに遭って焼き落され、寺も閉山となりました。江戸時代になって復興が許され、現在の不動堂は紀州徳川家の外護を受けて、延宝5年(1677年)までには再建したと云われています。


 不動堂に祀られている本尊は秘仏の「錐鑚(きりもみ)不動」。身代わり不動とも呼ばれています。

 

近畿36不動尊 第34番
「一乗山大伝法院 根来寺」
本尊:大日如来
札所本尊:錐鑚(きりもみ)不動
宗派:新義真言宗 総本山
開基:覚鑁(興教大師)
創建年:文治5年(1130年)
所在地:和歌山県岩出市根来2286

 

「ご朱印」をもらってからの

 

お参りなんですが・・・
 私が先導してお経を唱えている時、般若心経の途中で止まってしまいました。一瞬 頭の中が真っ白になって次の経が出なかったのです。
 N先輩に助けられ、何とか最後まで唱えることができましたが、巡礼も遠ざかっていて しばらくお経をあげていませんでしたからね。
 忘れてはいないのだけど、止まった時の私の頭の中は「???」、不思議な出来事でした!
   (次回に続けます)

 



根来寺
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11689324c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

「犬鳴山 七宝龍寺」へC

   《前回「犬鳴山 七宝龍寺」へBからの続きです》

 N先輩と不動尊霊場を巡った この日(4日)は午後から雨の天気予報でした。今にも降り出しそうな曇り空の下、二人で くぐり岩をくぐった後、再び本堂に戻ります。
 近畿36不動尊巡礼は、ガイドブックを持っていますが、霊場会のホームページ(HP)もあり、よく参考にしています。その中の作家の家田壮子さんのコラムに、ご住職が在寺の時は朱印所にいらっしゃいますので お話を聞くのもいいでしょう、とあったので、朱印を頂くときに尋ねてみました。しかし、居られた方は住職ではなかったです。住職は日曜日に在寺の時が多いそうです。
 それでも少しお話を聞くと、駐車場下にもう一つ「塔の瀧」があると言うので向かいます。

 

朱印所の壁には こんなのも飾られていました。

 「役行者霊蹟札所」の掛け軸
 修験道の開祖・役行者ゆかりの三十六寺社の霊場巡礼です。寺名を見ると札所は険しい山中のお寺が多いようで、先日行った上醍醐も中にありました。
 
参道の あちこちで見かけた不動三十六童子。


瀧の手前に「義犬の墓」

犬鳴山の名前の由来になった伝説の犬です。


  七宝龍寺HPより引用します↓

 『宇多天皇の寛平二年(890年)三月、紀伊の猟師が犬を連れて、当山の行場「蛇腹」附近で一匹の鹿を追っていました。猟師の傍の大樹に大蛇がいて、猟師を狙っていましたが、猟師はそれに気づかず弓をつがえ、鹿に狙いを定めて射ようとしたとき、猟師の犬は愛犬は急にけたたましく吠えだしました。

 犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、腰の山刀で吠え続ける愛犬の首に切りつけました。犬は切られながらも大蛇めがけて飛び上がり、大蛇の頭に噛みつき、猟師を助けて大蛇と共に倒れました。


 事の意外さを知った猟師は、自分の命を救って死んだ愛犬の死骸をねんごろに葬り、弓を折って卒塔婆とし、そして七宝瀧寺に入って僧となり、永く愛犬の菩提を弔いつつ、安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。
 この話を聞いた宇多天皇は「報恩の義犬よ」と賞し、「一乗鈴杵ヶ岳(一乗山、鈴杵ヶ岳とも)」を改め「犬鳴山」と勅号を与えたと伝えられています。』

 

「塔の瀧」

 落差は少ないですが滝つぼの色は濃い緑色、深そうに見えますが・・・どうかな?

 

 案内図を見ると、ここから まだ下り坂が続いていました。どうやらバス停からの参道のようですが、下るのを止めて駐車場に引き返しました。
 「役行者護摩場」など、見る所も沢山あったのに残念です。

 

お昼はコンビニで買った おにぎりとパンを車中で。

 

お不動さんに見守られての食事でした。


(次は根来寺です)

 

ご朱印を忘れていましたので貼り付けました!

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11688616c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

「犬鳴山 七宝龍寺」へB

   《前回「犬鳴山 七宝龍寺」へAからの続きです》

犬鳴山 七宝龍寺「本堂」

宗派:真言宗犬鳴派
本尊:倶利伽羅大龍不動明王
創建:661年(伝)
開基:役行者(伝)
 近畿36不動尊霊場第33番
詠歌:七滝(ななたき)に 心きよめて 不動尊 祈る願ひの 叶はぬはなし
所在地:大阪府泉佐野市大木8

 

本堂内に入ると右に「ご朱印所」

 

 ご朱印をお願いすると、書いておきますので、本堂を抜けると行者の滝に行けますから そちらへどうぞお参りください、と言われました。

 

 本尊は秘仏で ご開帳は1月と8月の28日の年二回、Nさんと二人で般若心経等を唱えてお参りしてから行者の滝へ向かいました。


本堂を出ると景色は一変します。

 そそり立つ岩壁に荒々しい道、そして滝の落ちる音と相まって神々しく感じました。

 

赤い建物は「清瀧堂」

 

「行者の瀧」全景

 

滝の前まで行くと、ブルっと身震いがしました。

 歴史上に名を残される役行者、弘法大師など、わが国の仏教に多大なる功績を残された方々が此処で修行されたと思うと感慨深いものがありました。

 七宝龍寺のHPを見ると
『瀧修行は犬鳴山入瀧作法伝授を受けた方に限ります(作法無しの入瀧は厳禁としております)。
 瀧修行を御希望される新客(初心者)の方は、七宝瀧寺修験先達の御指導をお受けになるか、または得度講習会を受講してください。』
と、書かれていました。
 それでもメディアの紹介などにより人気のスポットになっているのか、全国各地から禊ぎに訪れる人々が後を断ちません。とも書かれていました。
 寺名の由来も、このような瀧が七つあるから付けられたようです。

 

「行者くぐり岩」の前で記念写真を!

 

岩もくぐり抜けてきました!

 作法は「魔訶般若波羅密多」、「南無神変大菩薩」を三返唱えて礼拝し、「六根清浄」を唱えながら くぐります。
  (次回に続けます)

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11688276c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

「犬鳴山 七宝龍寺」へA

   《前回「犬鳴山 七宝龍寺」へ@からの続きです》

 一土庄橋からの坂道、舗装はされていますがとても狭いです。前から車が来ないことを願って登っていくと、一台も出会わず駐車場に着きました。
 駐車場の手前 数10bは急な下り坂でしたよ。帰りは車が登れるか心配するほどの勾配でした。

 

本堂への参道入口に「案内図」があったので位置を確認します。

 

 大阪府の西部から南部にかけての府県境には金剛葛城山地・和泉山脈が障壁のように立ち並んでいます。この山並みを道場としている修験道を「葛城修験」といいます。なかでも中心となる霊場がこの犬鳴山で、修験の祖、役行者が大峯山より先に道場を開いていたため「元山上」とも呼ばれています。
 普段は、奥にそびえる元山上ヶ岳などの行場へは一般者の入山は許されていません。

 

本堂に向う参道入口に「観音堂」

十一面観世音菩薩が祀られています。

 

少し先に進むと

 

参道の傍らに「志津の涙水」と志津地蔵尊のお堂(写真右)

 

 

右手に見えるのが「護摩場」

 

正面に来ると奥の「身代り不動」の大きさに驚きです。

左に弘法大師、右に役行者の立像がありました。

 

護摩場入口左に「七福神堂」

祀られていたのは布袋尊
 弘法大師空海が当山の七瀑(滝)に七福神を祭祀されたという伝説に因んで、古くから本堂下に布袋尊が祀られており、和合成就の神として人々の信仰をあつめています。

 

さらに石段を登っていくと

 

本堂に向かい合った所に「鎮守社」

 

 

「八大竜王」

 

ボケ除け不動と生まれ年(干支)本尊

 

「石仏」

石仏は参道のいたる所に置かれていました

 

次は本堂です!

 (次回に続けます)

 



犬鳴山七宝龍寺
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11687953c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

「犬鳴山 七宝龍寺」へ@

 先月の17日、久し振りの巡礼だった近畿36不動尊の上醍醐。一ヶ寺廻ると、さあ次は!!! と心がはやります。でも残っている5ヶ寺は交通の便の悪い遠方ばかりで、行こうか行くまいか躊躇する始末です。
 迷っていても先に進みませんので、先輩のNさん宅に伺って相談しました。Nさんは尼崎・寺町のボランティアガイドをされていて、お寺の事には詳しい方です。暫くの間体調をくずしていましたが、話を聞くと先日、中山寺の奥の院へお参りに行けるまで回復されていました。
 ならば!と、近畿36不動尊の同行をお願いすると快く引き受けてくれました。一人で行くのが心細かったので頼もしい味方ができて大助かりです。


 行先を、残っている5ヶ寺の中から泉佐野市の「犬鳴山 七宝龍寺」と和歌山の「根来寺」に決めて4日、息子の車を借りて行ってきました。


当日(4日)、天気予報は12:00から雨なので1時間早めて9時に出発!
「七宝龍寺」参道の入口(一土庄橋)に到着は10:40でした。

↑Googleマップより
  車中から撮った写真は↓

 

 いつもの事ながら、目的地に着くとホッ!とする瞬間です。ここから本堂下の駐車場まで2.5qの坂道、狭い道でした。
 バスで来る場合は この100m先にバス停(犬鳴山)があって、そこから参道を30分上がって行くと本堂に出るようです。
   (次回に続けます)

 



犬鳴山七宝龍寺
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11687652c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

やっと上醍醐へ!D 近畿36不動尊巡礼

  《前回「やっと上醍醐へ!C」からの続きです》

 

醍醐水横の石段を登り切った所に石仏が並んでいます。

 

そして前方右に広場がありました。「准胝堂」跡です

 

中央に行くと左の白塀に焦げ跡がくっきり残っていました。

 

 准胝堂の創建は貞観18年(876)と伝えられていますが、幾度かの火災により焼失しています。昭和43年(1968)に再建されたお堂は2008年8月24日未明の落雷による火災により焼失しました。
 この事はニュースにもなりましたし、ちょうど西国33ヶ所巡礼を始めた頃なのでよく覚えております。

 

准胝堂跡から上がってきた道の反対側を下ると
「薬師堂」

 


さらに進んで行くと一番見たかった
「五大堂」です

 

 

 五大堂は延喜13年(913年)に醍醐天皇の御願堂として創建されましたが、以後ここも数度の災に遭い、現在の建物は昭和15年に再建されたものだそうです。

 

 ゆっくりとお参りするはずだったのに、二人になってから頭の中は 何を話そうか、単語は何だったか、その事ばかり集中していましたね。
 五大堂では般若心経を唱えず、お不動さんの御真言だけを唱えたと思います。今ブログを書いていても、堂内での様子がどうだったのかハッキリしません。
 日本には こんな文化もあるのだと、般若心経を唱えてお参りするところを見せるべきでしたね。帰ってから後悔しています。

 

五大堂から道なりに下っていくと
「如意輪堂」(左)と「白山大権現」(右)

 

 

その横に「開山堂」があったのですが

写真だけ撮って確かめもせず素通りしていましたね。

 

境内案内図では少し離れた所に描かれていたので、開山堂を探しに
 ↓標識の道を降りて行きました。

 

 後ろを振り返ると彼女は上で立ち止まったままで、大きく腕をクロスして頭を下げてその後、手を横に振りました。ここで別れることになると思って私もサヨウナラと、大きく手を振りました。

 

 それから少し坂を下ったのですが、どうも道が変です! 人が通った形跡もなく、堂も見えてきませんので引き返すことにしました。


別れてから10分以上は経ったでしょうか。
 上がった先を左に行くと
  「上醍醐陵」があり

 

そこに彼女がまだ居たのです!!!!!
 まさか待って居ていてくれたとは思えませんが、ひょっとすると そうかもです! ここから先、帰りの地下鉄の電車まで同乗する事になるのだから不思議な縁です!

 

 会話なんですが、彼女は喋ってくるのですが私には何を言ってるのかサッパリ分からず、こちらは知っている単語を言うだけ。
 御陵では天皇はエンペラーで通じましたが、「墓」の単語が分からない始末。こんな状況が道中続きました。

 

 大阪のおばちゃんではないけど、少し飴を持っていたので あげました。すると、リュックの中から八つ橋の瓦型の煎餅を出してきて頂きました。飴はとても気に入ってくれました(^o^)

 

 名前を聞くのを忘れていたので自己紹介してから尋ねると、彼女は「Patti」さん。ファーストネームです。これも会話では分からなかったので紙に書いてくれました。子どもさんが日本にいて、日本人の奥さんと松山に住んでいるとか、孫は?と尋ねると! いない と言っていました。

 

 「膝が笑う」を説明するのに困りました。こんな時は動作をするにかぎります。左右の膝を押さえて左右に振ると分かってくれたようですが、日本語を覚えてくれたかどうかは分かりません。このように動作をしたり分かっている単語を並べたり、肝心なことはスマホの翻訳を見せたりで、何度も立ち止まりながら山を下って行きました。

 

 何とか何かで繋がっておきたいなあ!と思って、SNSのラインかフェイスブックをしていないか聞くと、していませんでした。
 するとパティさんは「WhatsApp」というアプリなら使っていると言うので、インストールするとメッセージや写真のやり取りが出来るようになりました。

 

 醍醐寺を出て、醍醐駅まで歩くのをかなり行き過ぎてしまって引き返すハプニングもありました。

 

 まさかこの歳になって英語を話す機会があるなんて夢にも思いませんでしたし、何を言っているのか分からないことばかりで辛かったです。でも道中は とても楽しかったし、近畿36不動尊巡りの素敵な思い出になります。

 

 山科駅についてお別れとなりましたが、車内から手を振ってサヨナラをしていたPattiさん、とても笑顔の素敵なご婦人でした。

 

人物が特定できる写真はあまり載せたくないのですが・・・
Pattiさんの自撮りで、WhatsAppで送ってくれた写真です

 



不思議な縁
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11683478c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 7 ) | トラックバック( 0)

心温まる素敵なお話ですね。

[ mamimi ] 2017/11/22 9:35:37 [ 削除 ] [ 通報 ]

醍醐寺へ行くのを「旅」といえるかどうかわかりませんが、やはり旅は刺激的なことが起こるんですね。いい経験をなさいました。

[ akaru ] 2017/11/22 13:14:51 [ 削除 ] [ 通報 ]

もてるな〜♡

[ モンセ分店薬局 薬剤師徒然日記 ] 2017/11/22 17:15:36 [ 削除 ] [ 通報 ]

さすが色男。

おつかれさまでした。

[ もしもし ] 2017/11/22 21:49:19 [ 削除 ] [ 通報 ]

mamimiさん、ありがとうございます♪
こんな出来事って滅多に起きませんよね。それだけにお寺巡りでの素敵な思い出になりました。

[ さとっさん ] 2017/11/22 23:45:07 [ 削除 ] [ 通報 ]

akaruさん、一度別れたのに再会するなんて! 上醍醐天皇が会わせてくれたのでしょうかね・笑

[ さとっさん ] 2017/11/22 23:50:22 [ 削除 ] [ 通報 ]

モンセさん、もしもしさん、 でしょ!!!笑
でもね、英語が話せず、相手の言葉も分からず、無言で下って行く時は辛かったです、かなり気を使いましたよ。

[ さとっさん ] 2017/11/22 23:56:31 [ 削除 ] [ 通報 ]

名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

やっと上醍醐へ!C 近畿36不動尊巡礼

  《前回「やっと上醍醐へ!B」からの続きです》

不動の滝で立ち止まり、少し休憩して先に進みます。
 ここまで予定時間どおりでしたが、それでも、後ろから来る人に何人も追い越されました。山上までだと10人以上も、でしたから、ゆっくりしか歩けませんでした。

 明らかに私より年上と思う人に、こんにちは!と声を掛けられて追い越されると、なにくそ!頑張るぞ!と元気を貰いましたね。


「音羽大王大権現」

おそらくここが中間地点では!?と思います。

 

どんどん登って行くと、
「醍醐寺境内」の看板がありました。

どうやら ここから下り坂のようです。

 左の小高い所に「石仏」

 

少し進んで行くと前方に建物が見えてきました。

不安げに歩く中、建物が見えるとホッとする瞬間です。

 近づいて門柱を見ると「上醍醐寺務所」、左には「摂受庵入口」とありました。


 この時です!!!!! 後ろから「こんにちは」と声を掛けられました。振り返ると女人堂で出会った外国人の女性です。さて、ここから下山まで、二人道中の始まりとなりまから大変です! 立ち止まって会話を交わすのですが、彼女は日本語が分からず、私も英語は殆ど話せません。


 まず最初、何処から来たのか国を聞きました。これは直ぐに通じたようですが、彼女の答え 流暢な英語(当たり前ですよね)で何を言ってるのか分かりません(>_<)
 何度繰り返して言ってもらっても分からないものだから、当てずっぽうで「スイス?」と聞きました。なんと!それが当たりました。
 その場でスマホで調べると、Switzerland(スウィツァランド)と言っていたのですね。その後もお互いスマホの翻訳を使っての会話が続きました。


 次に彼女が私にスマホの画面を見せた文が、ローマ字で「issyoni ikimasu iidesuka?」でした。大きく手で丸を作って、OKと答え、二人道中が始まります。

 

寺務所の横、「醍醐山の略史」が書かれた先に

 

「清瀧宮拝殿」と

 

少し登ると「本殿」

 

戻って奥に行くと「醍醐水」

ここがまさしく聖宝・理源大師が山上に立てた隠遁場所で醍醐寺発祥の地です。

 今でもこの霊水を飲むことができます。

 

この先を登っていくと焼失した准胝堂跡に出るはずです!
 持参した地図を確かめながら石段を二人で登っていきました。
   (次回に続けます)

 



二人道中
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11683001c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

やっと上醍醐へ!B 近畿36不動尊巡礼

  《前回「やっと上醍醐へ!A」からの続きです》


12時55分、上醍醐への登山口・女人堂に着きました!

 


 昔、上醍醐に女性は入山できず、ここから山上の諸仏を拝んだことから、通称「女人堂」といわれています。正式名称は「成身院」。現在の本堂は江戸初期の再建といわれ、本尊には、山上の准胝観音の分身が祀られていまので、2008年8月、落雷によって准胝堂が焼失した後、しばらくの間西国33ヶ所の納経所となっていました。

 

 本堂の前には左から、不動明王、理源大師、弥勒菩薩、役行者、地蔵菩薩が祀られていました。

 

 その隣に休憩所があったのでお昼にします。

 

 ベンチに腰掛け駅のコンビニで買ったおにぎりとサンドイッチを取り出すと、上から女性が一人降りてきました。声を掛けると、ここには毎月一回来ていて、そのほか、36不動尊の葛川息障明王院や吉野の如意輪寺などの話も聞けて大変参考になりました。
 そこへ、今度は下から外国の女性が! ベンチを独り占めしていたので移動すると、横でお弁当を食べ始めました。この時の会話はお互い「こんにちは!」だけ!

 

 おにぎり一個だけ食べて さあ出発です。受付で入山料500円(下醍醐でセット券を買っているので100円引き)を払って山上を目指します。


 山頂まで約2.6q、徒歩60分。途中の不動の滝まで約1.1q、徒歩21分。准胝堂の文字は薄く消されていましたね。

 

 

 平坦な道ならいくらでも歩けますが、坂道はきついです。ハアハア・ゼエゼエ息を切らせながら

 


「不動の滝」に着きました!

 

 時間は1時32分、スタートが1時12分でしたから表示板通りです。心配していた足と腰は大丈夫でした!

 



女人堂
goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11682942c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

やっと上醍醐へ!A

  《前回「やっと上醍醐へ!@」からの続きです》

 醍醐寺は、空海の孫弟子聖宝理源大師が貞観16年(874)、醍醐山上に草庵を営んだのが始まりで、そののち醍醐・朱雀・村上三帝のご信仰がよせられ、延喜7年(907)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って「上醍醐」の伽藍が完成したと云われています。
 それに続いて「下醍醐」の地に伽藍の建立が計画され、延長4年(926)に釈迦堂が建立。ついで天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成となったようです。

 まずは下醍醐の中心、本尊の「薬師三尊像」を祀る金堂をお参りして


「五重塔」へ


 五重塔は醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成したもので、京都府下では最も古い木造建築物となっています。

 境内のところどころに西国33ヶ所巡礼ツアーで白衣を着た参拝者が居たので挨拶を交わし、上醍醐(准胝堂)まで登られるのですか?と尋ねると、今は上まで登らず、下の観音堂でお参り済ませるだけと言っていました。

その「観音堂」です


 2008年8月、落雷による火災で焼失した准胝堂が西国の朱印所だったので西国一の難所と言われていますが、今は西国はじめ、近畿36不動尊、その他五つの札所全て朱印等の受付所となっています。

観音堂「内陣」


観音堂から見えた「弁天堂」

下はまだ紅葉が盛んです

「ご朱印」

近畿36不動尊 第23番「醍醐山 醍醐寺」


  御詠歌
千年経て わきて尽きせぬ 山清水 不動の慈悲を 今に伝えて

 単なる朱印集めだけなら ここで終了となるのですが、折角お不動さんを巡っているのだから、本尊の五大明王が祀られていた五大堂へ行きたいですよね。
 あわせて西国の札所だった准胝堂跡も観たいし!の思いで上醍醐へ行こうと決意したのだから・・・

観音堂を出て
「不動堂」と護摩道場と


「祖師堂」の参拝

慶長10年(1605)9月、座主 義演准后(ぎえんじゅごう)により建立されたもので、
 中には真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師 聖宝とが祀られています。


さあ「出口」です


上醍醐への登山口・女人堂が近づいてきました!

 写真の撮影時間を見ると総門到着が11時43分、出口が12時48分でしたから、下醍醐には一時間居たことになります。
    (次回に続けます)



下醍醐
goodポイント: 1ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000083070/p11682672c.html
近畿36不動尊巡礼 | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

  1  |  2  |  3    次へ
  
このブログトップページへ
さとっさんイメージ
さとっさん
プロフィール公開中 プロフィール
「たくじろう」さんからこのブログを教えてもらいました。ほとんど自宅でPCと過ごしています。あえて趣味をあげるのなら、お寺の参拝でしょうか。
前年  2018年 皆勤賞獲得月 翌年
前の年へ 2018年 次の年へ 前の月へ 2月 次の月へ
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<